第9話 残り一つ
夜は、深くなっていた。灰の流れは弱まっているが、消えてはいない。地面には白い筋が残り、空気も重いままだ。
終わりかけている。だが、終わっていない。
「……あと一つだな」
ダグが言う。誰も否定しない。ここまでの流れで分かる。三か四。今は三つ消えた。なら残りは一つ。それが終われば、この夜は終わる。
「……来る」
誰かが呟いた。
同時に灰が動く。広場の中央でも外れでもない。村の中ほど、家と家の隙間。逃げ場の少ない場所だった。
「……あそこか」
ダグが目を細める。俺も同じ方向を見る。影が形を取り始めている。ゆっくりと、確実に。
選ばれている。
誰かが。
足が動きかけるが、止める。ここで全員が動けば分散する。今までやってきたことが崩れる。
「……どうする」
ダグが低く言う。
視線が集まる。選択を、また押しつけられる。
守るか、続けるか。どちらも正しい。どちらも間違っていない。
だからこそ――
「……維持する」
短く言う。
ざわめきが走る。
「いいのかよ……」「見捨てるのか」
「……ああ。ここで崩せば、全部無駄になる」
事実だ。なら選ぶしかない。
灰が集まり、影が完成する。その前に、一人の女が立っていた。逃げていない。動いていない。ただ、そこにいる。
目が合う。見覚えのある顔だった。さっき泣いていた女だ。
何も言わない。ただ理解している。自分が“最後”だと。
足がまた動きかけるが、止める。視線を逸らす。見れば崩れる。集中が切れる。
「……やれ」
ダグが低く言う。任せているわけじゃない。支えている。その一言だった。
俺は中央に立つ。動かない。
灰が流れ、影が女の前に立つ。時間が伸びる。音が消える。空気が止まる。
そして――何も起きなかった。
影が揺れ、形が崩れる。女の前から離れる。
「……は?」
誰かが声を漏らす。
影は、こちらへ向かってきた。一直線に。
「……そういうことか」
理解する。優先順位。最後は“より強く引いている方”に来る。
影が目前に立つ。圧が増す。今までで一番重い。空気が押し潰し、呼吸が浅くなる。内側が削られる。
だが、離さない。ここで崩せば全部無駄だ。
歯を食いしばる。耐える。
影が揺れる。長い。今までより明らかに。
引き合っている。押し合っている。
限界が近い。それでも分かる。終わる。ここで終わる。
影が大きく揺れ、崩れた。灰が一気に落ち、地面に広がる。そのまま動かなくなる。
静寂が戻る。風が吹く。軽い。さっきまでの重さが消えている。
「……終わった、のか」
誰かが呟く。
答える者はいない。だが分かる。灰は動かない。気配もない。
終わった。
夜が明け始めていた。空がわずかに白む。
俺はその場に立ったまま、ゆっくりと息を吐く。肺が痛い。体が重い。だが、倒れはしない。
「……四人だな」
ダグが言う。その声は静かだった。
誰も否定しない。減っていない。
だが――
「……違うな」
俺は言う。
「順番じゃなかった」
それだけだ。
誰が先か。誰が最後か。それが固定じゃなくなった。
それだけで、十分だ。
広場に静かな空気が広がる。誰も喜ばない。誰も笑わない。ただ、それぞれが考えている。
何が正しかったのかを。
俺は何も言わない。言う必要がない。
答えは出ていない。これからも出ない。
ただ一つだけ分かっている。
選んだ。
それだけだ。




