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誰も間違っていない世界で  作者: 抹茶
第1章 選ばれる夜

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第4話 届かない距離

距離は、思ったより遠かった。


 踏み出した瞬間は近く見えたのに、足を進めるほどに間が埋まらない。足元の灰が滑り、踏みしめているはずの地面の感触が薄れていく。


 進んでいるのか、止まっているのか分からなくなる。


「……ちっ」


 速度を上げる。考えるな、足を動かせ。それだけだ。


 視界の端で灰の影が揺れる。リノへ向かっている。確実に。


 少女は逃げない。いや、逃げられないのか。膝を抱えたまま顔を上げ、こちらを見ている。


 目が合った。


「――ごめん」


 小さく、そう言った。


 何に対しての言葉かは分からない。だが意味は理解できる。


 選ばれた。


 それだけだ。


 俺は加速した。地面を蹴るたびに灰が散り、肺に入る空気がわずかに重くなる。息が詰まる。それでも距離はまだある。


 ――間に合わない。


 そう判断した瞬間、足が止まりかける。


 だが、止めない。止める理由がない。


「後悔はあとでいい」


 低く吐き出し、剣を握る手に力を込める。意味がなくても構わない。やることは一つだ。距離を詰める。


 灰の影が、リノの前に立つ。輪郭が揺れ、手のようなものが伸びる。触れていない。だが、確実に届く。


 その直前、俺は少女の前に滑り込んだ。体を差し込み、腕で庇う。影と真正面から向き合う。


 冷たい。


 空気が抜けるような感覚が、胸をかすめた。一瞬、意識が揺れる。


 だが、抜けていかない。


「……俺か」


 呟く。


 影は止まっていた。見ているのかどうかも分からない。それでも、“選び直している”ような気配があった。


 灰が足元で渦を巻く。体が重くなる。沈むような感覚。内側から何かを剥がされるような違和感。


 歯を食いしばる。


 耐える。


 理屈は分からない。だが、持っていかれるものがあるのは分かる。なら、渡さなければいい。


 影が、わずかに揺れた。


 そして――離れた。


 すっと距離を取り、形が崩れる。灰が地面に落ち、消える。


 静寂が戻る。


 風はない。音もない。ただ、さっきまであった圧だけが、わずかに残っている。


 俺はゆっくりと息を吐いた。肺の奥が重い。何かが減ったような感覚がある。


 だが、立っている。それで十分だ。


「……立てるか」


 振り返らずに言うと、背後で布の擦れる音がした。


「……うん」


 小さな返事。生きている。それだけでいい。


 だが、終わってはいない。


 広場の向こうで叫び声が上がった。反射的に視線を向ける。家の前で、一人の女が崩れ落ちている。誰かが駆け寄り、抱き起こす。


 だが、反応はない。


「……そっちか」


 選び直された。


 リノではなく、別の誰かに。


 影は消えたわけじゃない。条件が満たされていない限り、補われる。


 村人たちの間にざわめきが広がる。


「まただ……」


「どうして……」


「順番じゃなかったのに……」


 順番。


 その言葉が引っかかる。


 俺は少女を一瞥した。無事だ。震えてはいるが、動ける。


「中に入れ」


「……でも」


「いいから」


 短く言うと、少女は頷き、家の方へ走った。


 それを確認してから、俺は広場の中心へ戻る。


 村人たちは死体から距離を取っている。円ができていた。誰も近づかない。近づけない。


「何人目だ」


 近くの男に聞く。


「……四人目だ」


 震えた声だった。


「これで終わるのか」


 男はすぐに答えなかった。やがて、小さく首を振る。


「分からない……でも、いつもは……三人か、四人で……止まる」


 曖昧だ。だが目安にはなる。


 俺は空を見上げた。夜はまだ深い。灰は消えていない。地面に残っている。


 つまり、終わっていない。


「……なるほどな」


 小さく呟く。


 守る。選ぶ。切り捨てる。


 全部同じだ。この村も同じことをしている。ただ、やり方が違うだけだ。


 俺は剣を納めた。今は斬る場面じゃない。知る場面だ。


 どういう順番で、何を基準に選んでいるのか。それを掴まない限り、同じことが繰り返される。


 風がわずかに動く。灰がまた流れる。村の奥から、ゆっくりと。


 まるで、まだ足りていないと言うように。

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