第2話 夜は応えない
夜は、思っていたより早く降りた。
山に囲まれているせいか、陽が落ちると同時に光が消える。空はまだわずかに明るいのに、村の奥はすでに黒く沈んでいた。
家々の戸は固く閉ざされ、灯りもほとんど漏れてこない。まるで最初から、外に出ることを想定していない村だった。
俺は広場の端に腰を下ろし、外套を肩にかけ直す。
見張るならここがいい。村の中央に近く、どの方向にも動ける。何より、森へ続く道が見える。
昼間、あの方向から灰が流れてきていた。
風は止んでいる。それでも地面には薄く白い筋が残っていた。靴で踏むと、わずかに軋む。
乾いた音だった。
やがて、足音が近づいてくる。
振り返ると、昼間の少女――リノが立っていた。
「帰れ」
短く言うと、少女は首を振る。
「いや」
「ここにいる理由がない」
「おにいちゃん、ここにいるでしょ」
理屈になっていない。だが間違ってもいない。
俺はそれ以上言わなかった。追い返しても、どうせどこかで見ている。
少女は少し離れた場所に座り込み、膝を抱えて同じ方向を見た。
「……鳴るよ」
ぽつりと、少女が言う。
「何が」
「鐘」
森の方を見る。
「本当に聞いたのか」
「うん」
「どんな音だ」
少女は少し考えてから答えた。
「割れたみたいな音」
昼間に聞いたものと同じだ。
「何回鳴る」
「一回だけ」
それきり、黙る。
風もない。虫の声もない。
妙に静かだった。
――静かすぎる。
夜は本来、音が増えるものだ。風が木を鳴らし、虫が鳴き、遠くで獣が動く。
それがない。
何もない。
音が削られている。
俺はゆっくりと立ち上がり、剣の柄に手をかけた。
そのときだった。
――カン。
音が鳴る。
遠く、森の奥から。乾いた、ひび割れたような音が空気に残る。
少女が息を呑む。
「……来る」
小さく呟いた。
森の奥を見据える。
暗い。何も見えない。
だが、何かがある。
そうとしか言いようのない“気配”が、そこにあった。
目を凝らす。
動いている――いや、違う。
最初からそこにあったものが、こちらに近づいているだけだ。
音はない。足音も、枝を踏む音もない。
ただ、距離だけが縮まる。
不自然な動きだった。
「……見えるか」
少女に聞く。
返事はない。
視線を落とすと、少女は俯いていた。顔が見えない。
「おい」
声をかけた瞬間、少女が顔を上げた。
目が合う。
昼間と同じ顔だ。
だが、焦点が合っていない。
「――ねえ」
少女が言う。
「名前、呼ばれてるよ」
背後から、声がした。
はっきりと、俺の名前を呼ぶ声だった。
振り返る。
誰もいない。
広場は無人だった。さっきまであったはずの気配すら消えている。
風が吹いた。
灰が舞う。
白い粉が視界を横切る。
――カン。
もう一度、音が鳴る。
今度は近い。
森ではない。
村の中だ。
俺は剣を抜いた。金属の擦れる音が、やけに大きく響く。
「帰れ」
もう一度、少女に言う。
だが少女は動かない。ただ、俺を見ている。
「もう遅いよ」
静かに、そう言った。
その言葉と同時に、広場の奥――井戸の縁に“何か”が立っていた。
人の形をしている。
だが、輪郭が揺れている。煙のように、形が定まらない。
足元には白い灰が溜まり、それがゆっくりと広がっていく。
一歩、踏み出す。
音はない。ただ距離が縮まる。
俺は剣を構えた。
考えるのは後だ。
「後悔? あとでいい」
小さく呟く。
「今は――」
言い切る前に、それは消えた。
視界から、完全に。
同時に、背後で何かが動く気配がした。




