春の訪れ9
一体感や連帯感というものは、えてして勘違いの賜物である・・・という事実に打ちひしがれる時間もない。
「ヴォオオオォォオオオオォォォォ‼‼‼」
存在を知らしめるような雄叫びに続いての絶叫。
それはただの掛け声などではない。
決意、覚悟、思い切りを有した咆哮であり、自然に行動をも伴う。
もし言葉にするならば、突撃‼ になるだろう。
熊の最大時速など知らないが、身近な犬でさえ40キロを超えるという。
それが下り坂―――ともなれば、その速度はもっと。
しかしだ。
それも正確ではない。
熊は走っては来なかったからだ。
ドォン‼‼ と腹の底に突き刺さるような地響き。
逸人の眼前には、既に熊が鎮座した。
飛び降りたのだ。
(熊って脚から落ちるんだ)
状況から振り落とされた凡人の思考は悠長を極め、どうでもいいことに目端が向いてしまう。
くだらない考えの中、視界が暗くなったことにだけは気付いた人間。
理解は遠く、彼方から飛来するが、遥かに遅く、納得の結末が訪れる。
熊は叫ばなかった。
攻撃の意思は明確に、振り上げた腕を振り下ろす。
身構えていればまだしも、棒立ちから避けられるはずもなく。
鋭利な爪先は肌に触れ、衣服を裂き、地面を抉る。
申し訳程度に上げられた細腕で、人間の胴体ほどはありそうな熊の腕を受け止めるなど不可能。
千切れ飛んでもおかしくない衝撃がその腕を、その体を襲ったに違いない。
飛び出るは鮮血にとどまらず、筋肉、骨、臓物など。
見るに堪えない光景であらなければならなかった。
本来ならば。
舞うは白。
引き裂かれた布切れ。
それと、鋭利で、硬く、狩猟と捕食を司るかのような分厚い爪先。
「えぇッ⁉⁉」
先に声を上げたのは逸人だ。
信じられないものを見た驚愕の叫び。
その表情、声色は嘲りのようにも思えた。
こんな程度なのか?
そう取ることができたのだ。
普通はしないだろう。だがここは今、戦場である。
熊にとっては。
侮られては生きては行けない。それが野生の掟である。




