春の訪れ7
鹿だ。
見惚れて時間が経つのを忘れさせるほどに美しいと思わせる鹿の群れ。
けれども時は動き出す。突進する鹿と共に。
姿を現したのは全て雄の鹿であり、その頭には大きく湾曲し、捻じれ輝く角が複数に別れ伸び、そしてそれらは律儀にも悉くが天を貫く意思を示す。
捻じれた刃は危険だ。
ただ刺さるだけで、通常の刃よりも内部を多く、大きく傷つける。それが故に出血量も増し治療が困難で、致死率が飛躍的に上がる。
一部地域では取引や所持が禁止されるほどの代物。
(逃げ――)
――る。という選択肢はなにもおかしくはない。
生粋の現代人である逸人は戦闘能力など持ち合わせておらず、野生の動物と接触したこともほとんどない。
野良の犬や猫と出会ったことがある程度であり、さらに言えばそんな野良の犬猫と戦っても勝てないだろうレベルである。
だから、逃げるというのは最も正しい選択であると言えた。
しかし。
身体の向きを30度ほど回転させたところで、逸人の動きは止まる。
それどころか、ほんの一瞬の間を置いて向き直る。
ヤンキエルにはこれが後方の安全確認に見えた。
巻き込まれるような存在が万に一つも居ないかという確認に。
それほど逸人のことを強者だと思い込んでいた。
けれど事実は違う。
逸人は一目見て悟ったのだ。そして諦めた。
大きな木というものは大きな根を持つ。
根というものはえてして、地表に顔を覗かせる。
そんな木が何本も自生するこの場所は、当然のように起伏で溢れている。
人が1人では踏破できないような起伏で。
そうなれば、逃げることなど叶うわけがなく。
消去法で向き直したに過ぎない。
衝突する影は1つ。
群れと言えど、先頭は1匹。
真っ先に突っ込んだ一番槍が、柔らかい人体に突き刺さ―――、
「―――ッ⁉⁉⁉」
――らない⁉⁉
狼狽えたのは鹿の方だった・・・と言いたかったところだが、逸人も大いに驚いていた。
自然に手が角を掴んでいたことに、しかも先端近くを握っていることに、更には鹿の動きを止められたことに、誰よりも驚いていた。
ただ、それがよくなかった。
鹿は群れで現れた。隊列を組んで突撃してきた。
そう、1匹を受け止めたところで、第2第3の鹿が来る。
信じられないほど鋭敏に、鹿はステップを踏んで方向を変える。
一直線だった動きは稲妻の如く、横腹から。
なにより左右へ別れての挟み撃ち。
掴んだ手は離せない。
踏ん張る脚も外せはしない。
今度こそ確実に――ッ‼‼
「―――ッ⁉⁉ ッ‼‼‼ ~~~~ッ⁉⁉⁉」
皮膚がそれを受け止めていた。




