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17. それぞれの戦い①


「確かに、素晴らしい写真だ」

「そうでしょう。若いですが、彼が撮るものは本当に、よく映える」


 台所の扉向こうで、男たちが話す声を聞きながら、ルシニウスはグラスを二つ取り出した。氷水を注ぎ、柑橘を数滴搾る。トレーに載せて、静かに隣室へ移動した。


「季節の行事写真などもよいですが――」

「やはり、"最強ババア"かね」

 片や、剥げかかった頭にハットを載せた、背の低い小太りの男性。派手なつけ襟のシャツとトラウザーはパッツパツ。今にもボタン達の悲鳴が聞こえてきそうな装いの彼は――ルシニウスの取引先である新興新聞社"ザ・トレンド"の編集長だ。


「アニスさん。そちらの方は?」

 グラスの一つを手渡すと、アニス編集長は一口喉を潤した。


「いや、助かるよ。夏も終わったというのに、今日は暑くてねぇ」

 アニスは取り出したハンカチで汗をぬぐうと、ルシニウスの視線に応えるように半身をずらした。背後の男を手で示す。


「こちら、ミスター・ブロイ。大手出版社の事業部長さんだよ」

「よろしく」と手が差し出された。ほんのわずかに間を置いて、ルシニウスは握り返した。


「どうも」

「驚くんじゃないよ、ルシニウスくん。なんとブロイがね、君の写真を、とある劇作品の広告に、ぜひ起用したいそうなんだ」


 夏の暑さが残るこの時期だというのに、飴色のオーバーコートを着たままのブロイは、ルシニウスより頭一つ背が高い。銀髪に立派な顎髭を蓄えたナイスミドルは、にこりと口角を上げた。


「君の作品――特に、最強ババアに関するものには、感銘を受けたよ」

 よく響く声は穏やかで、愛想よく笑いかけてくる。しかしルシニウスは、本能的に身体が強張るのを感じた。


「自分の作品が、劇作品? 気に入っていただけて嬉しいんですが……なんせ急な話で、その」


 わざと歯切れ悪く視線を落とす。

 床のタイルの目地を数えながら、自然に、ごく自然に戸惑うふりを――そして急速に頭を回転させる。


「あ、あの! ちょっと待ってくださいね? アニスさん!」

 狼狽えたようにその場で数歩足踏みし、ちょちょいと馴染みの編集長を手招きする。そのまま奥の部屋へと引っ込んだ。


「はは。なに、ミスター・ブロイ。少し作品でも見て待っていてくれ」


 良かった。すんなり編集長は着いてきた。ミスター・ブロイを残した空間との間に、そうっと扉を閉める。


「珍しいじゃないか、ルシニウスくん。人見知りしない君が。さすがに案件の大きさに動揺したかい?」


 丸っこい卵顔にからかいの色を浮かべ、アニスが肘で小突いてきた。しかしその表情はすぐに真面目なものへ変わった。


「アニスさん。何も聞かずに、着いてきてほしい」

 ルシニウスの声は、緊張に掠れていた。






「ルシニウスくん……ぜぇ、はあ……ルシニウスくんってば!」

 元々小さな村の外れにある工房だ。勝手口から外に出て、少し歩けば山の斜面にさしかかる。

 今、ルシニウスは足早に、山道を上っていた。


「ねえ、どうしたんだい? ブロイさんを置いて――」

「すみませんアニスさん、でも今は非常事態なんさ……!」

 絶えず周囲に気を配る。左小脇にキュウちゃんを抱きかかえたまま、右手でリュックの肩ひもを握りしめた。いつでも持ち出せるように、準備していて良かった。


「まったく、はあ……訳がわからない。その人形はなんだい? なぜ山を――」

「気づかれたのです! 走って!」

 人形のふりしてダラリと垂れていたキュウちゃんが、腕の中で跳ね起きた。風もないのにザワザワと、山の木々がざわめいている。


「人形が喋った!? 一体、」

「説明はあと。とにかく走るんさっ」

 すかさずアニスのふくよかな腕を取り、強引に引いて走り出す。アニスは目を白黒させているものの、共に走り出してくれた。


 が、遅い。遅すぎる。


「ぜぇ、はぁ……ま、まって……」


 ほんのわずかに進んだだけで、息も絶え絶えのアニス。脂肪たっぷりの全身に、玉の汗を浮かべていた。


「ぜぇ……ひゅう……」

「キュウちゃん、俺とアニスさんを抱えて、一気に飛べる?」

 空を飛べば"迷いの術"に守られた、魔女の小屋までひとっ飛びだ。一縷の望みをかけて、ルシニウスは尋ねてみた。数歩先を駆けていたキュウはピタリと止まり、キョロキョロと空を見回している。


「持てても、速く飛べないです。すぐに捕まっちゃうのです……」


 しょぼんとキュウが俯いたその時。

 さらに森のざわめきが強まった。深い山奥から、ガサガサ枝葉が揺れる音。それが次第に大きくなって、すぐ脇の木々が道を開けるように移動した。


「な、木が動いて、ぜぇ。なにが……一体どうなってるんだ!?」

 地面にへばったアニスが見上げる目の前に、ずしりと大木が一本、根を引きずりながら現れた。ゴツゴツとした縦皺の入ったたくましい幹から、一本の太枝が降りてくる。


「迎えに来てくれたんさ?」


 山登りの際、いつも懇意にしてくれていたコナラである。秋に向けて黄色く色づき始めた葉を揺らし、コナラは枝をそっと地面に横たえた。


「なあ、いい加減説明してくれないか? 人形は喋るし、木は動くし……何が何だかさっぱりだ」

 両手を広げ、困惑するアニスを前に、すぐに言葉が浮かばなかった。むしろここまでよくぞ、何も言わずに着いてきてくれたものだ。


「危ないっ」


 突如、ルシニウスは背中を押され、茂みのなかに頭から突っ込んだ。背後で弾けるような炸裂音に、耳がキーンと痛くなる。


「アニスさんはっ!?」

 遅れて、キュウが自分を抱えて跳んでくれたのだと気づく。振り返れば先ほど立っていた山道は、大きく地面が抉られていた。砂ぼこりが舞うなかに、アニスの姿は見当たらない。


「こ、ここだよ。ルシニウスくん」

 裏返った声が、ずいぶん高いところから降ってきた。見上げれば遙か頭上に、コナラがくるりと枝を巻きつけ、アニスを持ち上げているではないか。


「アニスさん! 木が安全な場所へ運んでくれます。あとでちゃんと説明するから!」

 顔を真っ青にしたアニスは、それでも頷き返してくれた。次々と別の木の枝に受け渡されていくアニスを、見送ってる暇はない。


 すぐ側でまた爆発が起き、木が何本も倒れていく。


「行くよ、キュウちゃん」

「はいです! なるべく低く飛ぶのです!」


 ルシニウスを抱きかかえ、キュウは小さな身体で力いっぱい地面を蹴った。矢のように飛び出したすぐ背後が燃え上がり、空から雷が落ちてきた。


ゴォオオッ――

ピシャーーン


「真上! それに後ろも来てるんさっ」

 真っ黒なローブが、空にぐるりと円を描くように飛んでいた。背後からも、足音がいくつも響いてくる。


「口閉めて! ジグザグで撒いてやるです!」


 たん! と手近な太い木の幹を蹴り、急激な方向転換。枝葉でびっしりな空間へ、真っ直ぐに突っ込んでいく。


(わわ、ぶつかる!)


 眼前に迫る枝に、ルシニウスはぎゅっと目を閉じた。深く濃い葉の香り。強い風が過ぎていくが、衝撃はこなかった。


(……避けてる!)


 両腕を交差させた隙間から、そっと様子を伺った。隙間なく並んだ木々たちが、グインと幹を反らして通り道を作ってくれる。そんな緑のトンネルは、くぐった側から閉じていき、背後の足音は次第に遠ざかっていた。


「ふぅ。逃げ切れたのです!」


 深い森をくぐり抜け、明るい空が出迎えた。


「あー……空気が美味い」


 ポツポツと白い花が並ぶ小道に下ろされて、ルシニウスは大きく息を吸い込んだ。この国を囲む山々が、どこまでも続いている。

 うまく説明できないが、ひんやりと空気が甘い。魔女の小屋を隠す"迷いの術"をもうすぐ抜ける。この道をあと少しいけば――


「……キュウちゃん、戻ろう」


 見慣れた大木が煙へと飲まれていく。山の一角が、赤い炎で燃えていた。


 




(くそっ――初めから置いていけば)


 燃える木々に囲まれた開けた空間。アニスは黒い装束に身を包んだ不審者たちによって、そこに捕らえられていた。


(いや、どちらにしろ人質か)


 性質(たち)の悪い。火の粉から守ってくれるキュウの黒い布地の下で、ルシニウスは小さく舌打ちした。


「……念の為に確認するけど、キュウちゃん一人でアイツらをやっつけて、アニスさん助けられる?」

 頭上でふるふると、キュウが首を振るのを感じた。


「ダメですよ? 主様がキュウに守れと命じたのは、ルシニウスだけなんです」

「そこをなんとか。アニスさんを見捨てられない」

「だめ!」


 まあそれはそうだよな。顔まで真っ黒な衣装で隠した奴らが4人。問答無用で一般人に炎やら雷やらをぶっ放してくるイカれた魔術師集団だ。


(人質は、俺に気づかれなきゃ意味がない)


 ルシニウスさえ知らなければ、アニスを人質にする意味はないのだ。


(俺狙い……シティの敵、なんだろうな)

 

 むしろここで自分が捕まって、シティに迷惑をかけたら大変だ。

 黒布の覗く隙間から、熱風が吹き付けてくる。メリメリと背後でまた一本、木が燃え落ちた。


(アニスさん、ごめん)


 炎に飲まれる木々に、一度ぎゅっと目を瞑り、ルシニウスは頭上のキュウに、来た道を戻るよう頼もうと――



「ぐ、ぅあぁあっ――」


 悲鳴。

 はっと空き地を振り返れば、なぜかアニスの足に、ナイフが突き刺さっていた。


「なあっ――」


 引き抜かれ、再度刺される刃に、頭の中が白くなる。まさか自分がここにいると悟られた? 知ってて人質を――


「逃げられたんだけど」

「ったく、おっさん捕まえた意味ねーじゃん」

「まじ、頭に怒られんの。萎えるわー」


 熱された風にのって、声が流れてきた。なんの気負いもない雑談に、まるで手遊びでもするかのように、振り下ろされ続けるナイフ。


(アニスさんには悪いけど、さすがに敵も、むやみに殺したりはしないはず)

 

 どす黒く染まっていくトラウザーに、強い吐き気が襲ってくる。咄嗟に目を背け、そっとその場を後にした。


(むしろ俺がのこのこ出てったほうが、状況は悪化するだろ……)


 燃える森を抜けようと、再びキュウちゃんに抱えてもらおうとして、ちらりと青いものが見えた。


 倒れた木の側で、一輪の青い花が揺れている。


(シティ)


 気づけば身体は動いていた。


「キュウちゃん……ごめんっ」

「え!?」


 リュックから取り出した筒を空き地に向かって投げ入れる。急ぎ閉じた瞼ごしに、強い光を感じながら、転がるように飛び出した。


 アニスを押さえる覆面に向かって、ガラスの小瓶を叩きつけた。さすが大型獣用。顔にタオルも巻いたってのに、つよい刺激が鼻を突いた。


「アニスさんっ」

 怪我をしたアニスを脇の下から支えて立ち上がる。背後でずるりと二人の黒装束が転んでいた。キュウが何かしたのだろう。


「ル、シニウスくん。彼らは」

「……すみません。巻き込んでしまって」


 それも、さっきまで見捨てようとしていた。

 それでもシティならきっと、こんな俺のことも許してくれるだろう。


 涙と鼻水でグチャグチャになったアニスの顔を見ながら、そんな思いと共に、ドロリと胸中が渦巻いた。


(だけど)


 炎の中から、コナラの木が現れた。燃える枝を地に打ち付けながら、ゆっくりこちらへ進んでくる。


(俺は……そんな俺が、シティの隣にいることを、)


 ミシミシと幹全体がきしむ音は、まるでコナラの木が悲鳴をあげているようだ。


「ごめんな、君や君の家族も巻き込んで」


 焼け焦げた枝をそっと撫でると、コナラは優しくルシニウスとアニスの二人を枝で持ち上げた。


 ぐいんと体が持ち上がり、一気に景色が高くなる。眼下では三人の黒装束と、キュウちゃんが激しく争っているのが見えた。


 ぐぐっと隣の枝がしなり、アニスが宙へ投げ出された。


「ありがとう」


 無事に炎のない場所へ、他の木々たちが柔らかくアニスを受け止めたのを見て、ルシニウスは自分を掴むコナラに告げる。

 コナラはもう動かない。多くの枝は焼け落ちて、幹もすっかり黒く炭化していた。それでも最後にルシニウスを掴む枝だけが、ゆっくりとしなりを作り――


「な!? ――――っ!」


 浮遊感に襲われた。

 空を飛ぶ代わりに、真下へと垂直落下。続く衝撃に息が詰まり、目の前が真っ暗になった。


「があっ――!」


 だが、暗転した意識はすぐに浮上する。頭を走ったそれが激痛だと分かった時、ルシニウスは叫び声を上げた。


 涙で潤む視界の中、倒木と穴だらけの空き地となった空間に、泥まみれの黒い何かが散らばっていた。


「おーい、確保確保ぉ♪」

「近くにいましたか。良かった……」


 回らない頭の上で、複数人の声が飛び交っている。


(ミスター・ブロイ……?)


「まったく、面倒な使い魔でしたねぇ」

「それよりまた逃げられんなよ」

「んじゃ、一本切り落としとく?」


(やっぱり、最初から罠――)


 聞き覚えのある声に、自分を取り押さえる男の顔を確認しようと――火がつくような痛みに、視線は咄嗟に右足へ。刺さってる。刃物が、足に。


(血が――痛い――)


 頭が真っ白になる。

 そこへ、はらりと小さな黒布が飛んできた。まるで慰めるように、足の傷の隣に舞い降りた。


(キュウちゃん……)


 パタパタと黒布は、ナイフの側ではためいた。しかしすぐに小さな風に煽られて、耐えきれずに飛ばされた。

 端切れが飛ばされ行く先に、根元に大穴の空いたコナラが倒れ伏せっている。



――腹が立つ。


 彼女の隣にいても、恥ずかしくないように。

 覚悟決めて、飛び込んでいったはずなのに。



――情けない。


 痛いし、こわいし、今更後悔してる。

 何もできずに捕まって。

 シティに責任を感じてほしくない。やっぱり見捨てて逃げればよかった。



――許せない。


 弱く中途半端な自分が。

 ここでまだ、割り切れない自分が、本当に嫌になる。


(だけどようやく吹っ切れそうだ)


「あ、こいつ起きてんよ?」

「おい、動くな。動くと足を――」

 

 敵が足に刺さった刃を動かすが構わない。俺は胸元から拳銃を取り出した。


 やけにゆっくり時間は流れていった。

 冷たい金属の塊を、真っ直ぐ敵に突きつける。

 覆面越しに、敵の驚きが手に取るように伝わった。民間人の俺が、まさかこんなものを持ち合わせるとは思わなかったのだろう。


 照準は頭のど真ん中。

 カチリと引き金が音を立て、真っ直ぐ敵の眉間に銃弾が吸い込まれていくはずだった。





「わわ、ちょっと。おすすめしませんよ」


 何の前触れもなく、少年が現れた。

 黒装束の額のすぐ手前、差し出された少年の親指と人さし指の間には、鉛色の銃弾が握られている。


どさり――


「寸止めです。死なない程度に"減速"しときました」


 仕立てのよい軍服に、金のボタンが並んでいる。短く刈り込んだ茶髪に、髪と同じ色の瞳。派手な顔立ちではないものの、全体的にすごく整った印象だ。


("こども兵隊の人形"みたいなんさ)


 そんなのんきな感想を抱けたのも、少年がすぐに手を翳し、足の傷を癒してくれたからだろう。


「君は、誰?」

「ヤータン先生に頼まれまして。あ、先生はね、僕の魔術の師匠なんです」


 さっぱり分からない。ヤータンとは誰なのか。

 突如、襲ってきた黒装束。

 そして自分を助けた正体不明のこの少年。

 良くないことが、起こっている――


 自分の名を名乗らない少年は、いつの間にかあお向けに倒れていた黒装束たちに、手枷をはめながら話している。


「先生、うまく最強ババアと話し合えてますかねぇ」


 少年が口にしたその名前に、すべての疑問は追いやられた。


(シティ……!)

 

 最強ババアは――シティは今どうしているのか。


 「あ、動くと足に良くないですよ? 応急処置ですからね」


 痛む足を引きずって、できる限りの素早さで、泥に汚れた黒布の破片を拾って回る。そんな自分を不思議そうに見守っていた少年だったが、すぐにその場へ屈み込み、一緒に布集めを手伝ってくれた。


「全部拾えました?」

 にこにこと振り返りながら、少年は問うてきた。

 いつの間にか火は消えて、すっかり焼け野原になってしまった山の一角。煤けた剥き出しの地面を見回すが、これ以上は見つけられそうにない。


「それじゃ、僕たちも行きましょうか」

 

 差し出された手を見て、躊躇した。

 先ほど、拾った端切れを手渡された時に触れた少年の手は、冷たかった。まるで陶器造りのように。


(汚れてる……)


 一緒に細切れとなった黒布を探し、地面の上を探った手は、泥と煤で汚れていた。

 集めた端切れを握る左手に、ぎゅっと力を込める。


「ああ」


 短く、了承を呟き、ぎゅっとその手を取った。 

 途端、ぐわりと周囲の景色が歪む。


「では行きますよ。先生と、最強ババアのところへ――!」








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