14. 過労②
【明日、日曜におまけ話を公開予定です】
【ルシニウス視点】
「先輩!? どうされましたの?」
魔女の小屋。最奥の主の部屋から出てきた俺は、手近な柱に頭をぶつけた。
「今なにか、物凄い音が!」
「なんでもない……いや、カサブランカこそどうしたんさ」
駆けつけてきた令嬢は、顔も体も煤だらけ。華やかな橙の髪もすっかり汚れ、身につけた灰色のワンピースに馴染んでしまっている。
「あら。いつの間に」
汚れた自分の両手をしげしげと眺め、カサブランカは苦笑した。
「課題ですの。黒人形さんを調べなきゃなのですが――」
しょんぼりと項垂れたカサブランカは、首だけちらりと後ろを振り返った。居間の一角が、墨汁をぶち撒けたように、大惨事だ。
「だ、大丈夫ですわ。きちんと片付けますから」
爆心地の中央で、黒人形の七ちゃんが、何やら引っ張り出してるみたいだ。カサブランカが手を貸して、ようやくドロドロの人型が引きずり出された。
「そんなことより、シティさんは?」
さらに汚れを増やした顔で、カサブランカは奥の扉に視線を向けた。
「まだ寝てる。かぜだとは思うんだけど――」
釣られて自分も後ろを振り返る。部屋にこもってもう三日目。ハチが運んだ食事も、ほとんど手つかずで返ってきた。
(なんとか様子だけ見に入れたけど――)
本当は誰も入れちゃだめらしい。だけど心配の限界で、ハチに頼みに頼んで入れてもらった。
ガチャリ、と扉が開く。銀のワゴンが押されて出てきた。空になったマグカップ。
「良かった、少しは飲めたんさ?」
「ウン。でも食事はまだだっテ」
仕方ないか。少しでも何か口にできて良かった。
ちょっとだけ安心する俺の前で、ハチはワゴンを脇に寄せると、何やら戸棚を漁り始めた。
「ちょ、ハチ。ちょっとタンマ。何持っていくんさ?」
箱を抱えたハチが、再び奥の部屋に戻ろうとするものだから。俺は慌ててその襟首を掴んで止めた。
「裁縫箱。しーちゃんのご要望だヨ」
呑気に話すハチに、俺は思わず額を押さえた。病人だぞ。三日間、ろくに飲み食いできてないってのに。
「ハチ。それは没収なんさ」
さっと留め具のついた箱を奪う。金属の箱は表面が綺麗な細工がされていて、見た目よりもずっしり重たい。
「ルン兄、それじゃオイラが怒られるんだぜぃ」
「だーめ。とにかく、今は安静なの」
ハチが取り返そうと手を伸ばすもんだから、俺は裁縫箱を頭上高くに掲げて考えた。
「うーん……じゃあ、お粥を少し食べれたら。そしたらこれ、渡すから」
ピタリとハチの動きが止まる。
「でもオイラ――」
「食べて元気になってから。それでも遅くないだろ?」
俯いたハチ。「裁縫箱、今すぐって言われてナイ……」なにやら俺の言葉を咀嚼するようにブツブツと呟いている。
ちらりと居間を見る。両腕を黒に染め上げながら、カサブランカが黒人形の酸を拭いていた。その周りで同じ黒人形の七ちゃんが、汚れた戸棚にハタキをかけている。
「第0原則。健康第一……おーけぃ、ルン兄。裁縫箱はあとにするヨ」
頭を上げたハチは、パタリと両腕を下に降ろした。よし、成功だ。
黒人形は主人のシティの命令が絶対だ。今そこでカサブランカが格闘している酸も、ほかの黒人形も、絶対ほかの奴の言うことなんて聞いてくれない。
「よし、じゃあちょっと手伝ってくれる?」
台所に向かう俺の後を、ハチがぺたぺた着いてくる。
最近気づいたんだ。ハチは例外だって。 "シティの健康のこと" に限るけど。うまく頼めば、こうして言うことを聞いてくれる。
仲良く並んで手を洗う。小鍋に水を入れて火にかけて。麦を量って何度か濯いだ。
「オイラは?」
「んー、それじゃ芋を頼むんさ」
ハチはすぐに保管庫から芋を抱えてきた。ごろごろと流しに放り込むと、手早くその手で剥き始める。そう、素手で。
「よく……切れるね」
「切れ味抜群だぜぃ♪」
立派な凶器だ。シュッ、シュッと振るわれるハチの手先は、布の腕が何やら光沢を帯びている。いつもこうして家事ばかりで忘れがちだが、外ではこうして敵を捌くんだろうか。
ことこと、こと
音を立て始めた鍋へ、小さく角切りにした芋を放り込む。一緒に香草をひとつかみ。そのままじゃ芋臭さが出るからね。少し火を弱めて、しばらく待ちだ。
「オイラ、しーちゃんの水替えてくるヨ」
作業が一段落し、ハチは主人の元に戻るみたいだ。一人になった台所。鍋の熱気を逃がそうと、小窓を少し開けてみた。
ほんのり涼しい夏の風。それと一緒に、虫の鳴き声が流れてきた。
くつくつ泡立つ鍋を気にしながらも、そっと壁に背を預ける。
――――衝立の向こう側。
"俺は今黒人形。そっと様子を確かめるだけ"
悪いことだと分かってて、でも心配で仕方がなくて。被った黒布の下の心臓が、煩すぎて気づかれないだろうか、なんて。
すぐに忘れた。
その音が聞こえたから。
「シティ……!」
声は極力抑えたけど、慌てて衝立の向こう側に回って――頭が、真っ白になったんだ。
シーツに広がる乱れた白髪。
掛布からはみ出た細い腕。
皺一つない綺麗な手指。
「うう……ん…」
苦しそうに寝返りをうち、こちら側を向いたのは――慌てて俺は視線を外す。
バクバクと耳の奥が脈打っていた。
(早く出ないと――)
理性は急いでこの場を離れようと決意するのに、彼女の声が俺をその場に縫い止めた。
「やだ…………ゾゾア」
知らない名前。シティから聞いたこともない。だけどわかるだろ。そんな風に、そんな声で呼ぶ相手なんて――
胸の奥がひりついた。熱くて、なんだかムカムカする。
「ふぅ――」
一度全部大きく吐き出して、俺は手拭いを洗面器に突っ込んだ。しっかり絞って、そっと額の汗を拭う。手早く、だけど丁寧に。乱れた髪も整える。
「ん……」
まだ少し苦しそうだ。躊躇った手を頭に載せれば、表情が少し和らいだ。しばらくぽんぽんと、撫でてみる。
呼吸が落ち着いたのを見計らって、静かに蒲団を掛け直し、俺はようやく部屋を出た――――
ごん
控えめに、頭が背後の壁を打つ。
さっきは衝動のままに柱にぶつけてしまったからな。カサブランカを驚かせちまった。
緩く、だけどごんごんと、数回頭で壁に当たる。
(ああ、俺――腹が立ったんだ)
ようやく冷静になれたところで、胸奥の熱の原因に思い至る。
ずっと、感じていた。
だからそんなに、驚かなかった。
それよりも、怒りが先に沸いてきた。
「あんな小さな子に、全部――」
親を求めて、泣いていた。世界の誰からも隠れて、小さな山小屋の奥の部屋だけで。
「ムカつくんさ」
呑気な自分も。君に全部背負わせた国も何もかも全部――
お読みいただき、ありがとうございました。
"それは、彼だけが見れる"特別な1枚"。
幸せそうに蒸しパンを齧るババアの写真。
その姿の向こうに青年は――少女の姿を幻視する。"
これは物語の最初期、短編版"最強ババアのティータイム"のラスト3行です。
ようやく、ルシニウスが少女姿のシティに会えました。(シティはそのことに気づいてません)
ここまで長かった……
さて、「新たな弟子編」も残すは1/3ほどです。シティとルシニウス、二人の関係はどこへ向かうのやら。
もうしばらくお付き合いくださいませ。
***
先日、「ルシニウスのカメラはどんなもの?」と質問をいただきました。作品設定に興味をもっていただき小躍りする作者です。ありがとうございます。
感想返信にも書かせていただきましたが、改めて活動報告などにも載せられたら、と思っています。
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