13. 忍び寄る蛇の気配
【カサブランカ視点】
あの日。
レンガの舗装を突き破り、そこかしこに大木のような蛇の鎌首。もっとも強固な結界に守られたはずの王都が、悲鳴と混乱に覆われた。
『襲撃に逃げ惑う市民たち――最強ババアは何をしていた!?』
『衝撃告白! 魔塔が主導した王立病院の呪い解呪を、最強ババアが妨害!?』
「な、なんてことですの!?」
カサブランカは、新聞の一面記事に並ぶ文句に、言葉を失っていた。
「まーた、お得意の。"責任押し付け"も甚だしいんさぁ」
カサブランカの手から新聞を抜き取り、ビリリと細かく破るルシニウス。
「今に始まったことじゃないよ。あんたも知っているだろう?」
のんびりと針に糸を通しながら、ロッキングチェアに腰掛けるシティ。
「でも……シティさん。あんなに苦労されたのに」
気にした様子もなく、そばに置かれたマグカップに口をつけ、わずかに微笑む師の姿に。カサブランカは納得がいかなかった。
とにかく大変だったのだ。
厄介な呪いをようやく閉じ込めたと思いきや、街中で暴れる蛇を一つずつ寝かしつけ。
「あんた、何匹かいけるかい?」
師から突然役目を振られたカサブランカは、慌てながらも頷いた。
(蛇さん、どうかお帰りになって――!)
カサブランカの周りに緑が茂り、たちまち暖色の花が咲き乱れる。
「マリーゴールドね。やるじゃないか」
かけられた言葉が嬉しくて、カサブランカはちらりと振り返る。
「えへへ。蛇さんが嫌いなお花なんです」
すぐ後ろに佇む最強ババア。師は片目をつむりながら、カサブランカの術を見守っていた。
――額がぐっしょり濡れている。噴き出るように溢れる汗。
「シティさん!? 何が――」
弟子の言葉を制するように、シティは片手を突きだした。相変わらず片目は閉じたまま。掠れた声でこう告げた。
「別の街だよ。他にも蛇がいる」
舌打ち交じりに話す師に、カサブランカは息を呑む。しかしそんな自分を見やり、師は不敵に口角をあげた。
「あんた。仮にも最強ババアの弟子が、そんな顔してどうする。堂々と前だけ見てな!」
どんと背中を叩かれて、堪らず息を吐きだした。皺だらけの手は存外温かく――カサブランカは前を見た。
「なるべく早く、処理いたしますわ!」
決意を込めて宣言する。
「頼もしいね。助かるよ」
背後で師が笑う気配を感じた。
* * *
【シティ視点】
「しーちゃん、しーちゃん」
「……なんだい、ハチ」
人気のない裏通り。何度も建て増したのだろう、ちぐはぐな色のモザイク壁に挟まれて、狭い小道を歩くシティ。隣を影のように着いてくるハチが、ドレスの裾を引っ張った。
「そろそろヤバいヨ」
(――そんなこと分かってる)
生温い風が、むわりと体を撫でていく。見上げた空は、憎らしいほどに眩しい青一色だ。滲む汗をハンカチで拭っていると、真っ黒な頭が視界を遮った。
「だから薬屋に行くんでしょうが」
「クスリじゃなくて、ちゃんと休むんだヨ。しわ、増えるぜぃ?」
お調子者のハチのくせに、今日はやけに食い下がる。
シワシワと布地の顔面にシワを寄せてみせるハチに、シティはひとつため息をついた。
「バカ言わない。修繕の刺繍、クソダサにするわよ」
黒くて目立たないものの、ハチの表面はほつれだらけ。布の一部は大きく裂けて、仮縫い跡が白く目立っていた。
「まってよ、しーちゃん!」
まとわりつく使い魔をどかし、さっさと小道を歩き出す。そんな主に、「オイラ次はドラゴン柄がいいナ」などと言いながら、黒人形は後に続いた。
小道の突き当りから、濃密な花の香が漂ってくる。
古びたレンガの小さな店。掲げた看板の文字は掠れ、辛うじて「薬舗」の文字が見て取れた。
木鈴をコロンと鳴らし、薄暗い店内へ。青臭い香りが鼻を衝くものの、ひんやりとした空気が心地よい。
狭い店内の中央の席に腰掛ければ、ことりとカップが前に置かれた。
引っ込んだ手を目で追えば、染みだらけの前掛けに、一つにまとめたぼさぼさの髪。薬舗の店主・チェルニーだ。
「頼んだよ。いつものだ」
そう伝えれば、店主はひとつ頷き、がちゃがちゃ棚を漁りはじめた。
(人為的なものだったわ――)
一口、カップに口づける。強い苦みに顔を顰めながらも、シティは考えを巡らせた。
王立病院の呪いを解呪した途端、謀ったようなタイミングでの蛇の襲撃。それも、複数都市で一斉に。
蛇を制圧した後すぐに、街を守る結界石を確認した。
「まちがいナイ。伍チャンが見たって」
棚から引きぬいたワインを片手に、ハチが向かいの席に腰掛ける。パーツのない人形の顔なのに、どこか翳りを感じさせる。
最強ババアが操る九体の黒人形。
シティの目であり、手足である彼らは、今も各地に散らばり国を守っている。
各地で大蛇の同時発生。その瞬間、街の外周をうろつく不審な黒ローブを、黒人形・伍が見つけていた。
(同期する前に、やられたわ)
遠く離れた伍の視界を、シティが共有する直前に、背後から伍は切り裂かれた。すかさず駆け付けたハチのおかげで、なんとか伍は回収できたが――
きゅぽん
器用にコルクの栓を抜き、ハチは瓶ごと酒を煽った。
「あんたは悪くない」
ひらひらと修繕跡の目立つ腕をふりつつ、向かいで酒をなめ続ける黒人形。そんな使い魔の様子にシティは一つため息を吐くと、自分もマグカップを持ち上げた。
(間違いないわ)
シティは確信した。
国境の蛇、黒い花束の呪い。
どちらにも、この国に害意のある何者かの意図がこめられている――
カサリ、と。目の前に差し出されたのは薄茶の紙袋。
「もうできたのかい」
青臭い、わずかに甘みを含んだ粉っぽい香り。
『痛みのお薬』と手書きで書かれたその袋を受け取ろうと――
「なんだい?」
すっと引っ込められた紙袋に、シティはじとりと隣を見上げた。
赤、青、さまざまな色染みに染まった指先で、店主・チェルニーは紙袋を摘み、ぼさぼさ髪の頭上に掲げている。
意味が分からぬとシティが目線で示せば、店主はふるふると首を横に振る。
「まったく。さっさと寄越しておくれ」
手を伸ばせば一歩下がる。逃げる店主はポケットから紙片を引き出し、何かを書き付け始めた。
『おくすり、つかいすぎ』
渡された小さな紙片。
几帳面な文字のメモ。
目の前の女性は眉をハの字に下げて、こちらをじっと見つめている。
「気遣い、うれしいよ」
望む言葉は返せない。
悲しげにこちらを見つめる彼女に、シティは一度だけ笑みを返した。
見送りを断り、店を出る。するりと影のようにハチが付き添った。
カラン、と背後で鈴の音。
「もうしばらくの我慢だわ」
薬の連用が身体に悪いことくらい、重々承知している。それでも――
手のなかの紙袋に視線を落とす。
誰もいない路地裏に、シティの声がぽつりと落ちた。
* * *
「主さまぁ……」
燭台が作る薄明りの中。銀糸と針を持って迫るシティ。そんな主人を見上げて、最も若い黒人形は項垂れた。
「ゴメンなさい……キュウがふがいないから。いちばん弱いから」
へなへなと人形の形がくずれ、ぺたりと布に戻ってしまう。
「だからキュウだけあずけるんですね――」
そんな己の使い魔の様子を、シティは黙って見つめていた。夜通し刺繍を頑張って、ようやく伍とハチを縫い終えたのだ。
(ついでにキュウちゃんも、と思ったのだけど)
平たくなった使い魔は、好きにしてくれと言わんばかりに、絶望の匂いを漂わせている。ずいぶんと感情豊かなその姿に、くすりと笑いが漏れてしまう。
「違うわ」
なんと説明したものだろうか。
床に広がった布を優しく引き寄せた。銀の針に糸を通し、術式に手を加えていく。
「あなたは私の分身。唯一のオリジナル」
ほかの八体の黒人形。思考を共有できる彼らと違い、キュウちゃんには言葉が必要だ。
一針一針丁寧に。ほつれたところを直し、新たな刺しゅうを加えていく。
「あなたは、自分で考えられる」
初めて自分で作った使い魔に、自立行動を組み込んだ。
「完全自立にしたのは――私の大切なものを守ってもらいたいから」
先代たちの黒人形は、シティが操作することで最大スペックを発揮する。日々、八体の黒人形を同時に行使し、国を守る。それはとても――大変だ。
「だからキュウちゃん」
マチ針を外す。形を整えてやれば、黒人形はすくりと立ち上がる。
「あなたが助けてくれる?」
元気よく頷いた使い魔の背中で、銀の刺繍が煌めいた。
歴代最強ババアの誰も成し得なかった、九体同時行使。なんども繰り返し練習した。修繕だってばっちりだ。
(これできっと、届くはず――)
すっかり明るくなった窓の外。遠く、国境を作る山の影をしばらく眺め。
そっと裁縫箱を閉じた。
次回もまた来週、土曜の更新予定です。
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