11. 老いたウサギと苦いお茶②
「いででででで……」
ぱちぱちと河原で燃える焚き火の横で。たおれる濡れ兎、ことケケ爺。
「いわんこっちゃない。年甲斐もなく無理するからだよ」
「ぐぬぬ……って、待てい! 全部入れる気か⁉」
鍋に細かく刻んだ葉を入れようとして、シティは老兎を振り返った。
「なんだい、せっかく人が茶を淹れてやろうってのに」
引退した身で鎚を振るったのだ。老骨を労ろうとせっかく気を利かしたのに。むっと眉を寄せたシティに、兎は大きく頭を振った。
「よせよせ、今代は大雑把が過ぎるんじゃ。まったく、今日はあの兄ちゃんは来とらんのか?」
腰を擦りながら起き上がったケケ爺は、周囲を見回した。音を探るようにピコピコと、兎耳が忙しない。
『もっと、甘えてほしい』
いつかの青年の言葉が蘇る。
危険だからと諭したかっただけなのに、あれからルシニウスは姿を見せていない。
毎朝、台所にキュウがバスケットを置いていく。薄布をめくれば、パンやお菓子、色鮮やかな果実の瓶詰め。丁寧に詰められたそれらを見るたびに、胸の内にぽっかり穴がある気がして、棚の奥へと片付けさせた。
「ははぁ、その反応は――喧嘩でもしたんか?」
白い前足が茶筒をシティの手から攫っていく。
泡立つ鍋を火から下ろし、きっちり茶葉を計って入れ込んだケケ爺は、くるりとこちらを振り返った。焦げ茶の丸目が、楽しむようにきらりと光る。
「……馬鹿言うんじゃないよ。今日来たのは真剣な話さ」
束の間、頭を過った短い黒髪を追い払い、シティは乾いた石を選んで座り込んだ。
「ほう」
兎はぷるりと毛皮の水気を払うと、火を挟んだ向かい側へ「よっこらしょ」と腰掛ける。
「話してみろ」
愛くるしい兎の瞳に、数百年を生きる者の深みが宿る。
さらさらと流れる小川のせせらぎ。時折混じる鳥たちの槌の音を聞きながら、シティはゆっくりと口を開いた。
* * *
「なあ、儂。まさか……人間ののろけを聞かされとるんか?」
――いよいよ待ったなしの蛇問題。
――王にかけられた呪いの謎。
――魔力もなしについて来たがる家人のこと……。
年長者の意見が欲しかっただけなのに。
火の向こうでニタニタと笑うケケ爺に腹が立つ。その長い耳を鷲掴みにしてくれようか。
「以前の、目のいい青年じゃろ。あんたは日ごろから助かっていると」
茶をすするケケ爺は、何を納得したのかしきりに一人で頷いている。
「それで。青年はもっとあんたを助けたい、一緒について回りたい、となぁ」
完全に他人事として楽しんでいる。
(決めた。ヒゲね。あの飛び出たヒゲを引っ張ってやるわ)
「いてて……やめい! やめんかい!」
長命兎の素材をはぎ取ろうとするシティの耳へ、のんきな会話が飛び込んできた。
「キョーン」
「まあ、そうなんですの」
「キョエ?」
「あらまあ。それはそうですわね!」
カサブランカとケケ爺の弟子鳥たちだ。ずいぶん会話が弾む様子に、シティは内心舌をまいた。
(よく、話が通じるわね)
鳥が大きな嘴を水の中へと打ち付ける。その隣で、カサブランカは張り付くようにのぞき込む。
「……ま、お互い。弟子には恵まれて良かったのう」
なんとかシティの手から逃げ出したケケ爺は、少し離れた位置へと座り直した。淹れ直した茶を啜りながら、鳥と少女のやり取りを眺めている。
ひんやり気持ち良い風が河原を抜けて、やさしく木立をゆらしていく。
「蛇たちは、もう限界だ。倒し続けてきたのは、無限に増える分身……オリジナルを倒さないと止められない」
話をはぐらかされたようで、シティは少し苛ついた。
「倒す算段は、あともう一歩でつくはずなんだ。だから、集中したいのに――」
ゆっくりと振り返った白兎。老いた兎の瞳に、シティは思わず口を閉じた。
いつものふざけた気配がない、真剣味を帯びた色。
「その算段。本当じゃろうか?」
焦げ茶の瞳に映る最強ババアは――ただのか弱い老婆に見えて、慌ててシティは表情を繕った。
「一人でできる。それは――"驕り"じゃないと言えるんかね?」
静かにこちらを見据える瞳。そこに映った最強ババアは、シティにとっては自分の姿ではなく――
(ゾゾア)
心のなかに思い描くのは、育て親でもある師匠。
「儂は、先々代までしか知らんがの。それでも、先祖から多く聞いている。あんたらのことをな――」
静かに立ち上がったケケ爺は、鍋から湯をひしゃくで掬い、新しい湯呑みへ注ぐ。
「強くなるんじゃよ。代を重ねるごとにな」
渡された湯呑みを受け取る。青さを感じる茶の香り。
「歴代の力が積み重なる。それが、"最強ババア"が最強たる由縁――儂はそう思っとるわい」
熱すぎる茶を啜りながら、兎の言葉を咀嚼する。
自分を構成する物――ゾゾアが残してくれた解析術。先代たちの魔術が刻まれた黒人形。魔女の小屋に残された数々の道具や知見だって、そう。
(むしろ私は、魔力が人より多いだけ――)
自然と俯いてしまう。いけないのに。
最強ババアは、俯いたりなんかしない。
この兎のせいだ。この兎だけは例外で、代替わりを知っているから――つい、甘えが出てしまう。
熱さとともに、強い苦みが口の中に広がっていく。
「なーに辛気臭い顔しとるんじゃ」
いつもの軽い調子で、ケケ爺は立ち上がった。
人を凹ませておいて、このジジイは一体何を――
「あんたはもう、一人でないじゃろ」
さも当然のことのように、カサブランカを指さした。
「力を借りれば良い」
ちらりとカサブランカを見やる。
なぜかハンマーを振り回し、盛大な水しぶきを上げる令嬢がいた。
「あの嬢ちゃん。それと青年か」
「だからルンは、術師じゃ……」
反射的に口を挟むシティに、兎はやれやれと、しかし優しい目で首を振った。
「ふむ……。あんたはもう決めたものだと思ってたがな」
兎は革袋から、古びた槌を取り出した。先ほどの大槌よりもずっと小さい。木の色は変色し、重厚感のある漆黒に染まっている。
「ここに"最愛"を連れてきたのは、あんたが初めてだ」
よっこらせと槌を抱え、老兎は川へと歩んでいく。まだ腰が痛むのだろう、よろけつつも、しっかり地面を踏みしめていく。
「あんたはもう、"頼り方"を知っとるはずじゃ!」
それだけ言い残し、ケケ爺は浅瀬へ足を踏み入れた。
「おい、こら! 若造共。 腰の入り方がなっとらんっ!」
拙い鍛冶に喝を飛ばす様子を眺めながら、シティは一口お茶を飲んだ。
程よく冷めた暖かい茶。不思議と先ほどより苦くない。飲み終えた口の中を、爽やかな香りが抜けていった。
お読みいただきありがとうございました。
シティはその生い立ちから、人に頼ること、甘えることに躊躇いを感じています。
孤児院でお菓子をくれたマギー、自分を拾ってくれたゾゾア。二人ともいなくなってしまったから――
それでももう一度、関係をつくりたい。
ようやく前を向き始めたシティを、ぜひもう少し見守ってやってくださいね。
それではまた来週、土曜の更新予定です。
舞台は病院、久々に揃った三人が、呪いの解呪に挑みます。
※シティの孤児院時代について気になる方は、
スピンオフ連載『最強ババアのオフタイム』に収録の
「チョコを食べても良い理由」
をぜひご覧ください(^^)




