10.ルシニウスの写真工房②
【カサブランカ視点】
ふわふわと、風に揺られる綿毛のように、淡い黄色の絨毯が空を行く。
「なかなか、シティさんみたいにいきませんわ……」
青い空を見上げながら、カサブランカは独りごちた。
空飛ぶ絨毯は、たんぽぽの綿毛のイメージだ。花に寄せた魔術行使はお手の物。
けれど、自分の体だけ飛ばそうとすると、途端に難しくなる。
「むむ……」
絨毯の縁から身を乗り出し、眼下の景色を眺める。
思えば弟子入りしてからの数ヶ月。 魔術素材の下ごしらえ、裁縫に、絵付け。 手先は随分器用になった気がする。
未熟な自分の魔術について、師匠は気にする様子はない。むしろ、何も言われたことがない。
(私、もしかしてあまり成長していないのでは――?)
ちょこっと不安が頭を過り、魔女の小屋の方向を振り返る。
ひらひらと、淡く光る魔力の花びらが、後ろへ流れていくのが見えた。
『いいじゃないか。綺麗だよ』
ふと、師の言葉が蘇り、カサブランカは思わずにんまり微笑んだ。
「大丈夫。大丈夫ですわ!」
そう。前向きなのが自分の取り柄。
ちゃんと私は進んでいる。
(そんなことより、心配は――)
深い山の奥へと目を凝らす。もう、魔女の小屋は見えないが。
彼女はきっと今も、寝食忘れて働いていることだろう。
いくら呼びかけても、ろくに食事も取らずに、術式を縫い続けるのだ。
「到着ですわ」
前に向き直れば、山が途切れ、家々の群れが見えてきた。
絨毯の高度を落とす。はらりとスカートの裾を摘んで降り立った。
魔女の小屋がある黒い山々のすぐ麓。
小さな町には、飴色の石壁に赤瓦を載せた家がいくつも並んでいた。
懐から小さなメモ書きを取り出し、煉瓦道を踏みしめる。
「ここ、ですわね」
二階建ての小さな家。はちみつ色の外壁は、半分蔦に覆われている。
入り口横には年季の入った木のベンチ。
足元の鉢植えには、薬草が青々と茂り、爽やかな香りが漂っていた。
『ルシニウスの写真工房』
入り口の上に掲げられた看板を見つけ、そっとドアを押し開けた。
チリン、と軽やかなベルの音。
扉が開くと同時に、小さなプレートが揺れる。
『笑顔の魔法をお届けします』
***
中には誰もいなかった。
「――ちょっとお待ちくださーい」
奥から聞き慣れた声が響き、カサブランカはそっと室内へと足を踏み入れた。
いくつもの白いボードが並び、そこには大小さまざまな写真が掛けられている。
(絵画展みたいですわね)
モノクロの人物写真。
机の上に置かれたセピア色のりんご。
色のない草原を駆ける馬――
貴族令嬢の嗜みとして絵画の知識はあるものの、写真については詳しくない。
「あら。こちらは色つきですのね」
別のボードには、先ほどのモノクロ写真とは対照的に、色鮮やかな写真が並んでいた。
太陽をテーマにしているのだろうか。柔らかな黄色が滲む朝日に、鮮烈な赤が目に染みるような夕暮れの空。
「同じお日様でも、ずいぶんと違いますのね」
話には聞いていたルシニウスの写真工房。さほど興味がなかったのだが、いざ見てみると面白い。なかなか出てこない店の主人のことも忘れ、カサブランカはさらに部屋の奥へと足を進めた。
一番奥の壁際に、一際上質な額縁が飾られていた。
その中の一枚に、カサブランカは思わず足を止める。
「まあ……!」
一瞬にして目を奪われた。
爆ぜる地面に弾ける水玉。
大地が裂ける轟音に、むせ返るような土の匂い。
濃密な魔力が、暴風のように押し寄せる。
はためく白髪とゴシックドレス。
真っ青な瞳が、射止めんばかりにこちらを見つめ――
とくとくと高鳴る胸に、大きく息を吸い込んだ。
(やっぱり、格好良いですわ……)
あの日、無名の新聞の一面を飾った写真――私の原点。昔見た白黒写真とは異なる、大きく色鮮やかなその写真に、体の芯が熱くなる。
そっと、写真の中の最強ババアへと手を伸ばす。こうなりたい自分が、まさにそこに――
「お待たせいたしま――って、カサブランカ!?」
エプロン姿で小走りに現れたルシニウスが、素っ頓狂な声を上げた。
「あら、先輩! 見てくださいこの写真。素晴らしいですわ!」
早くこの感動を伝えなければ。
「私、以前に新聞で見ましたの。あまりの素晴らしさに、絶対、最強ババアに会いにいこうと思ったんです。思えばあれがきっかけでしたわ……。それに、その時は白黒でしたけど、色があるとこんなに素敵で――」
「ちょ、ちょっと待てって。ストップなんさ!」
両手のひらを見せながら、ルシニウスは一歩下がった。しまった、勢いでつい、まくしたててしまった。
「あら、私ったら……すみません。でも、先輩の写真があまりに素敵で――」
「分かった、分かったから。それより、なにか用?」
その言葉で思い出した。大事な用事があったのだ。
「先輩。私、大変なことに気づいてしまったかもしれませんの――」
あまりに重大な気づきである。丁寧に切り出せば、ルシニウスは息を呑んでこちらを見た。
「ルシニウス先輩はもしかして……術師ではありませんの?」
沈黙が落ちた。
「え?」
驚きに固まる青年に、「やはり」と確信が深まった。
「おかしいと思ってたんです。いつも私とシティさんの傍らで、お茶の準備ばかり――いえ、お茶もお菓子も、魔法みたいに美味しいのですけど……」
推察の経緯を説明していく。
「ビビッときたのが、先日の虫さんの呪い事件ですわ。先輩ったら、シティさんの保護結界に頼ってばかりで、ちっとも魔術を使いませんもの――」
我ながら名推理である。目の前で言葉を詰まらせる青年に、そっと寄り添うように声を潜めた。
「ずっと、隠してらっしゃったのね」
「いや。そう思ってるの、君だけだから」
あっさりとした否定に、拍子抜けだ。
「え?」
「むしろ今更? 俺、どう見ても一般人でしょ」
ガシガシと黒い短髪をかくルシニウスの、これまでを振り返ってみる。
迷いの術を超えて毎日魔女の小屋へ訪問。黒人形たちに混じって掃除。最強ババアのシティに全く気の置けない会話を交わし――
(一般の方にしては、馴染みすぎなのでは……!?)
「それより何なのさ。わざわざそれを言いに来たの?」
なんだか腑に落ちないのだが。面倒そうに話を促すルシニウス(シティさんの前では絶対にそんな顔しませんのに!)に、カサブランカは本題を思い出した。
「先輩。早く、戻ってきてください」
それを伝えにここまで来たのだ。
「シティさん、ちっとも休んでくださらないんですよ」
「シティが……」
さっと青年の顔色が変わる。真剣味を帯びた瞳に、カサブランカは現状を告げた。
「そうなんです! お食事は昨日も完全栄養バーだけ。夜もずっと明かりがついてて、ほとんど寝ていないみたいで」
つい視線が足元へと落ちてしまう。自分では、止められないのだ。何度お茶に誘っても、『遠慮しとくよ』の一点張り。
「……俺じゃ、力不足なんだ」
ぽつりと呟かれたその声は、いつもの気さくな青年からは、想像もつかないほどに沈んでいて、驚きに頭を上げた。
「気づいたんだろ? 俺は術師でもなんでもない。お茶を淹れて、身の回りのこと手伝って……でも、それだけだ」
「それだけだなんて……シティさんにとって、先輩の淹れるお茶はきっと、大切なものですわ!」
ルシニウスとのティータイムを、師が楽しみにしていることは知っている。力になれないはずがないのだ。
「シティは追い込まれてる。だから俺は、もっと手伝いたいのに」
もどかしさを噛み砕くように、青年は一度言葉を切った。
「術師でない俺は必要ないって――」
「そんなことありませんわ!」
思わず大声が出てしまった。遮られたルシニウスは、驚きに目を見開いている。
「見てください! この写真たちを」
胸を張って、壁に並ぶ額縁たちを指し示す。
「格好良い。でも、それだけじゃないんです」
カサブランカは手近な1枚に指先を向けた。
「右手で魔力の槍を放つ――先輩、わざとですわね。放つ直前を撮ったのは」
普通なら、派手な光の魔力塊が放たれた直後だろう。しかし焦点は、最強ババアの伸ばされた左手に当てられている。
「私は最近気づきましたの。シティさんが攻撃魔術を放つ時、必ず反対側の手で、結界術を編んでいることに」
魔力の矢を放つべく構えた右手。一見、遊ばせているかのような左手に、謎の力強さを感じるのは――節くれだった皺だらけのその手には、次の一手が秘められているから。
「細やかな術式の使い分け。それにこの不敵な表情――」
どれほど観察していれば、ここまで気づけるだろうか。
「凄いですわ。シティさんのこと、ここまで知っているなんて……」
ルシニウスが同じ弟子ではないと知った今でも、思わず妬いてしまいそうになる。
「あら?」
「……どうした?」
ふと、とんでもない事実に気がついてしまったかもしれない。怪訝な顔でこちらを見る青年に、思い切って尋ねてみる。
「先輩は、術師じゃないから……弟子じゃない?」
「そうだけど、嫌味?」
明らかに不機嫌そうになったルシニウスの言葉に、しかしカサブランカの頭に浮かんだのは、衝撃の事実である。
「ということは、ルシニウス先輩は、シティさんの最愛!?」
時間が切り取られたような沈黙。
ルシニウスの眉が驚いたように跳ね上がる。すぐに何かを堪えるように寄せられ、最後には情けないほど八の字になった。
「……普通それ言う?」
片手で額を覆うと、その場にしゃがみ込んでしまった。
「まあ!」
思わず頬を両手で包み込む。
なんて素敵な発見だろう。
「俺が勝手に押しかけてるだけで……シティは別に」
すっかり萎んでしまったルシニウスに、カサブランカは自信を持って同意した。
「あら? 押しかけでしたら、私もですわよ?」
師とルシニウス。2人の間に何かがあったのだろう。けれども、迷う必要などないはずだ。
「先輩に比べたら、まだシティさんのこと、全然分かっていませんけど――」
そう言って、静かに微笑んだ。
「押しかけるくらいが、丁度良いと思いますわ。でないと――ティータイムすら、過ごせない方なんですもの」
青年から返事はない。彼はゆっくりと立ち上がると、作業台の上のカメラに手を伸ばした。
丁寧に、レンズを拭っている。ファインダー越しに虚空を覗く様を、カサブランカは黙って眺めていた。
「らしくないな。焦るなんて――」
ぽつりと呟いた青年は、レンズの向こうに何を見ていたのだろうか。
「悪い。ちょっと店閉めるんさ」
言うやいなや、奥に引っ込んだ青年は、銀のトレーを手に戻ってきた。グラスに入ったのは、柑橘系のゼリーのようだ。
「キュウちゃん、起きて!」
「ふあぁ」
手早く箱詰めする青年の背後で、黒い布が人の形へ起き上がった。
「さ、行くんさ!」
リュックを背負った青年に、カサブランカは首を傾げ、続く言葉に自然と笑みが溢れてしまう。
「写真を撮る。俺とシティ、カサブランカの3人の」
「まあ! 師匠と、押しかけ組の二人……素敵ですわ」
2人の周りを、小さな黒人形がぴょこぴょこと跳ね回る。小さな使い魔も「久々に主さまに会えるんですぅ」と嬉しそうで何よりだ。
工房の扉を開く。
生温い、夏の空気が流れてきた。
曇り空の切れ目には、淡い青とオレンジが混ざる夕暮れの光。
(どんな写真になるかしら)
複雑な色を重ねた空を見上げながら、カサブランカは楽しみで仕方がない。
宵闇に溶け始めた山を、二人と一体は静かに登り始めるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
少し長めになってしまいました。
次回も来週、土曜に更新予定です。
***
実は、謎の男から密かに暗示をかけられていたルシニウス。
しかしもともと楽観的な彼。ネガティブモードはどうにも性に合わないようで――あっさり元通りです。
箱に3つ入ったゼリー。
「先輩、私の分……」
「だめさ!もう一つはシティのお代わり――」
「(必殺、伯爵令嬢のウルウル顔(๑o̴̶̷̥᷅﹏o̴̶̷̥᷅๑)!)」
「だー、全く……」
結局、自分の分を差し出してしまうルシニウスさんでした。




