9. 弱い毒のような呪い①
「あ、シティ!」
石壁の狭い通路に、商売人の声が響く。
色とりどりの露店。潮と魚の匂い。
その喧騒の向こうから聞こえた声に、シティは目を疑った。
呪いの気配をたどって訪れた港町は、大勢の人で賑わっていた。
「ルン……なんでここに」
満面の笑みの青年を前に、シティはちらりと隣を見る。びくりと弟子の肩が跳ねた。
「マ、マア! センパイ、グーゼンデスワネ」
あまりに見事な棒読みに、シティは思わず目を瞬いた。
犯人が確定したところで、シティは前に向き直る。にこにこ笑顔のルシニウス。
「……仕方ないね」
深くため息をつくシティと対照的に、ルシニウスは笑みを深めた。
「それにしても、この中から……見つかるでしょうか?」
包みを抱えて行き交う買い物客に、カサブランカは尻込みしている。無理もない。
大きな港があるここは、この国有数の都市なのだから。
「ボードでは確かこのあたり……」
こぼれた髪束を結いなおしながら、カサブランカが手元の板を睨む。
前髪まで巻き込み、ぐるりと一周編み込んだ防御の型。先日呪いにあてられた反省から、守り重視の編み込みらしい。
「うーん。これじゃ範囲が広すぎるんさぁ……」
隣からのぞき込んだ青年が唸る。
板に記された印はちょうど、集合住宅の密集する地域を示していた。
「酸、分かるかい?」
シティは肩にとまった黒鳥に尋ねるものの、ゆるゆると首を振るばかり。
「この街にある。それは確かなんだがねぇ」
「私の占いじゃこれが限界で――」
呪いに敏感なはずの酸が、この街のどこかということしか分からなかった。そこでカサブランカの占いを試してみたのだが――魔女ボードによる占い――一種のボードゲームのようなもの――でも、大雑把な場所しか出ない。
(仕方ないわ。一件ずつ虱潰しよ)
ゾゾアは眉を潜めるだろうが、それが手っ取り早いだろう。
「任せてよ、シティ」
悩む二人に、ルシニウスはあっけらかんと声をかけた。
「俺、このあたりは詳しいんさ」
なんでも、上客の住まいがこの辺りらしい。
先立って、露店の間を迷いなく進む足取りに、シティは弟子と顔を見合わせた。
(あてもないし……とりあえず、着いていこうかしら)
* * *
シティはしばし言葉を失った。
目の前には笑顔のカサブランカとルシニウス。
「シティさん、こちらをどうぞ」
パリッと焼かれた薄い生地。ほのかに香る蜂蜜の匂い。
具材をくるりと包み、油紙で巻かれている。
「分かってないなあ。シティはこっちなんさ」
ルシニウスが差し出すのは紙袋。湯気とともに、揚げ油の香りが広がった。
「あら、先輩。シティさんは、程よい甘味がお好きですのよ?」
「浅いね。仕事前は、小腹を満たせる塩気がいいんさ」
我先に受け取ってもらおうと、ぐいぐい2人が迫ってくる。
「お前たち。遊びにきたんじゃないんだよ……」
なにをそんなに張り合っているんだろうか。思わずため息がこぼれ出た。
「ああ……」
期待に満ちた二対の目。まったく何がしたいんだか。
崩れ落ちる令嬢を横目に、シティは揚げ物に手を伸ばした。
さくりとかじれば、芋の甘み。
(……懐かしいわ)
「なんだい?」
青年の顔が思ったより近くにあって、シティは半歩後ろに下がった。
満面の笑みが、妙に腹立たしい。
「ほら」
差し出されたハンカチを、シティは引ったくるように奪った。 口元を拭うと、残りの袋を押し返すように返し、さっさと歩き出す。
(私まで、気が緩んじゃって――)
まだ何も見つかっていないのだ。気を引き締め直しながら、周囲に視線を巡らせる。
勾配のつよい坂道。露天の代わりに、石造りのアパートメントが、ところ狭しと並んでいる。
頭上にはためく洗濯の群れ。窓越しに飛び交う会話。
この中からたった一つの呪い源を見つけなければ――
「あら、ルンちゃん!」
思考を遮ったのは、こちらに駆け寄る恰幅のよい女性だった。
「アウラさん!」
アウラと呼ばれた中年女性は、小走りに近づきこちらを見て目を見開いた。
「あれま! 最強ババアじゃないの」
怖がるよりも、好奇心が勝るようだ。
ルシニウスの影から、ちらちらこちらを覗いている。
「今日も撮影かい? まさかあの人の――」
「違うんさ。今日は、最強術師さまと探し物」
にこやかに話すルシニウスに、アウラの緊張もほぐれたようだ。
「へえぇ。そうかい。術師様と」
街に異常がないか見回っていると話すルシニウスに、感心した様子のアウラ。大仰に頷くと、彼女は突如大声で、
「あんたらー! ちょっと集まってー!」
叫んだ。
「どうしたんだい?」
「あらま、ルン」
「ええ!? 最強ババアじゃない」
あっという間にわらわらと、大勢が集まってきた。
「なになに? 面白い話?」
「術師さまと、調査らしいわよ〜」
洗濯桶に買い物かご。赤子を抱いて、剥きかけの野菜を持って。
どんどん人が集まってくる。
「あ、ジュリアさん。うんうん、今度また撮影用に、花を見繕ってほしいんさあ」
「お嬢様、かわりない? へえ……メイドさん、辞めちゃったんさ?」
話が弾む。
いつの間にやら、椅子が並び、茶が運ばれてきた。
「先輩……大人気、ですわね」
目を丸くして、渡された茶をすするカサブランカ。
(なによ、あれ)
面白くない――面白くない?
胸を過った不快感に、シティも思わず目を見開いて――
「シティ! 見つかったかも!」
表情を綻ばせ、弾む足取りで青年が戻ってきた。
* * *
「当たり、でしたのね」
狭い階段を、4階分登った先。
木戸のノッカーを鳴らすルシニウスの隣で、カサブランカがぽつりと漏らした。
ザワザワと、表面が波打つ黒鳥。
シティの肩にとまる酸の反応が、ここが呪い源だと示していた。
「……どちらさま?」
細く開いた扉の向こうから、小さな声が返ってきた。
青白い、細身の女性が、警戒心あらわにこちらを伺っている。
「ちょいと失礼するね」
さらりとチェーンが崩れて消えた。
驚きに硬直する家主。構わずシティは扉を大きく開け放つ。
短い廊下を進んだ先、ぐるりと部屋を見回して、
「呪いだね。弱い毒のような呪いだ」
最強ババアは言い放つ。
その言葉に、女性はビクリと肩を震わせた。
「な、呪いって……なんなんですか。いきなり勝手に入ってきて――」
ババアは水タバコを一口、口に含むと、ふうっと紫煙を吐き出した。
それからゆっくりと部屋の中を見渡した。
「弱い毒、少し含んだ程度じゃ害にはならないが…… それを毎日、ずっと摂り続ければ致死量にもなる」
畳み掛けの洗濯物。カゴに放り込まれた雑貨に申し訳程度の目隠しの布。枯れた観葉植物に倒れたフォトフレーム。
そっと写真を起こしてホコリをはらう。
色褪せた写真の中では、今よりずっと若くてきれいな彼女が、はにかむように笑っている。
「あんた、事あるごとに"私が悪い"、"私が頑張らないと"と言い聞かせてきたね。自分で自分の心を縛り続けたんだ。いま、限界がきちまったんだ」
お読みいただきありがとうございました。
タイトルの「弱い毒」。
シティが女性の呪いを例えたものですが、それだけではありません。
果たして毒に侵されているのは、誰なのか――
第9話は三部構成です。
次回土曜日、「弱い毒のような呪い②」を公開します。




