8. ルシニウス、だだをこねる
前回更新後に
「ex.3 とある男の推し活日記①―千年焦がれたあなたへ」を公開しました。
以前、活動報告に掲載した隣国の術師のエピソードです。未読の方は、よろしければそちらからご覧ください。
【シティ視点】
だん、だん、だん
パン生地をこねる音がキッチンから響いてくる。
だん! だん! だん!
そっと台所を覗いてみる。
かれこれ三十分以上、叩きつける音が続いている。
料理に疎いシティでも、さすがにこね過ぎではないかと心配になったのだ。
「パン生地、駄目にならないかい?」
「……これはそういうものなんさ」
(ルシニウスさん……?)
尖った返事に身がすくむ。
いつも物腰柔らかな青年が、こちらに視線すら寄越さない。
だめだこれは。
たぶん。きっと――拗ねている。
いやだって、仕方ないじゃない。
忙しかったのだ。
国境の蛇問題はまったなし。
そこへ王にかけられた呪い。
それらを同時に対処するため、黒人形のすべてを常時展開。魔力も気力もヘロヘロだ。
そこに弟子のカサブランカ。
……ルシニウスとの時間を、ろくに作れていなかった。
「……ハチ。例のものを」
ここは奥の手、プレゼント作戦だ。
さっと長い付き合いの黒人形が手渡したのは、一冊の小冊子。
「ルン。渡したいものがある」
渡したのは、小さな魔法のアルバム。
鍵を持つ者にしか開けない。
これで"最強ババアの写真"を、自由に持ち歩くことができる。
(恥ずかしいけど、これで……!)
日頃からシティの写真を撮りたがっていたルシニウスだ。
きっと喜んでくれるはず。
その予想とは裏腹に、青年は静かに手の中のアルバムを見つめていた。
「カサブランカが俺のこと、兄弟子って……」
ぽつりと呟かれたその言葉は。
最強ババアが正体を明かして良いのは2人だけ――弟子と、最愛の2人。
なぜか、カサブランカはそれを聞いて、自分とルシニウスの正式な弟子の席取り競争だと思い込んでいる。
「シティ、否定してくれなかったんさ……」
硬直するシティ。
無表情の最強ババアの仮面の下は、思考の嵐が渦巻いている。
(だって、私の口から"彼は最愛よ"なんて……恥ずかしくて言えるわけないじゃない!)
2人の間に落ちる沈黙。
だが静けさは、シティを逃すまいと圧を増す――そんな錯覚に陥った。
(仕方ないわね。ここは、最終奥義……)
キュウちゃんをルシニウスにそっと手渡す。
「?」
両脇を挟んで大人しく持ち上げられた小さな黒人形を前にして。
訳が分からない顔のルシニウス。
「工房から、魔女の小屋に来る時……」
明後日の方向を向きながら早口で話すシティ。
「その子がいたら、すぐさね」
キュウちゃんなら、ルシニウスを一瞬で運べる。
これまで山登りしていた青年が、これからは雨の日も雪の日も、仕事場からシティのもとへひとっ飛びだ。
小さな黒人形を差し出すシティ。
プラプラと両手足を揺らしているキュウちゃん。
しばらく交互に眺めるルシニウスの目に、輝きが――
「ちがうんさ!」
浮かべた喜色を振り払うように、ルシニウスは首を大きく振った。
「あーもう。俺は、シティに何かしてもらいたいんじゃなくて」
ガシガシと髪を乱しながらも、青年は言葉を絞り出す。
「俺が、シティにしてあげたいの!」
視線を落とし、言葉を探すように口を開いた。
「シティはちょっと、頑張りすぎ」
責める響きではなかった。
どちらかというと、困ったような、情けないような声音だ。
「三食、ちゃんと食べてないし。洗濯も、たぶん隠してるし」
苦笑するように、ルシニウスは続けた。
「……」
気まずい。
見られていたことが恥ずかしい。
少しだけ、間が落ちた。
無言で向き合う二人。
「その、魔術のことは分からない。でも――」
ゆっくりと、言葉が紡がれる。
「お茶のついででいいんさ。お菓子のリクエストでも、掃除でも」
言いづらそうに、頬をかく。
「もっと……甘えてほしい」
その言葉に。
シティは、何も返せなかった。
(なんだか、不思議な気分だわ)
胸の奥が、わずかに揺れる。
誰かが、自分のためにこんなふうに言葉を尽くすことが。
再び沈黙が落ちる。
気まずそうに目を逸らしたのは、ルシニウスの方だった。
「あー……とりあえず」
背を向けてしまった青年に、なんと呼びかけるか迷ったあげく。
「今日は、早めにお茶をいただこうかね」
ごく小さな、要望に。振り返った青年は、静かに笑うのだった。
***
【ルシニウス視点】
「ブリオッシュ、焼けたんさあ。そろそろお茶に――」
外の庭の緑は濃くなり、日向は少し汗ばむほどに暖かい。
袖をまくると、周囲の森から運ばれてきた、涼やかな風が肌を撫でた。
「シティ……?」
ガーデンテーブルに突伏する、黒のドレス姿が目に入り。
慌ててそばへ駆け寄った。
「……寝てる?」
気を利かせたのか、レモンの木が程よい木陰を作る中、最強ババアは眠っていた。
長い白髪が、さらさらと風に揺れている。
躊躇いながら、そっと優しく髪を持ち上げた。
「はあ……」
思わず息が漏れた。
初めて見る寝顔。
いつも引き締められた口元が、今は緩く笑んでいる。
経験とともに刻まれた皺。
真っ白な、薄い眉。
なのにどこか――あどけない彼女の寝顔。
首から下げたカメラを持ち上げる。
起こさないよう、シャッターには手を触れず。
レンズの向こうに、収まる彼女をこころに収めた。
(結局、気遣わせちゃったなあ……俺のわがままに)
どう見ても、過労なのだ。
それがここ最近、さらに酷い。
(自分では、気づいてないんだよなぁ)
時折、頭に手をやる仕草。
わずかに顰める、その表情。
せめてこのひと時が、彼女の安らぎとなりますように。
祈るような気持ちでそっと、その肩に上着を被せた。
※この後、目覚めたシティと共に、バターたっぷり美味しいブリオッシュをいただきました。
お読みいただき、ありがとうございます。
ルシニウスの前では、つい気が緩んでしまうシティでした。
それでは次回も来週土曜の更新予定です(^^)/~~~
* * *
【おまけ】
実はシティ、まだ19歳です。
14歳で先代最強ババアを継承して以来、
歴代最年少の“最強ババア”として、
ずっと気を張り続けてきました。
今回ルシニウスが感じていた「頑張りすぎ」は、
そんな彼女の無理が、少しずつ表に出てきたものでもあります。
ちなみに現在は、歴代魔女たちの術を学びながら、
9体の黒人形同時運用に挑戦中。
慢性的に過労です。
もうちょっとシティのことを知りたい方へ。
後日活動報告に、シティの簡単な紹介文をのせますね。




