6. 見習い服と薄れる記憶
山の麓の小さな町に、最強ババアは降り立った。
山頂から吹き下ろす風に、白髪と黒のドレスがふわりと揺れる。
「シティさん……もう、限界」
空からか細い声が落ちてきた。同時に、ぐらりと揺れる大きな影。ふらふらと高度を落としてくるのは、一枚の絨毯だった。
「流行りの、物にかける浮遊術かい。自分で直接飛ぶ方が楽だと思ってたけどねぇ――」
ずしん、と音を立てて着地したそれを、シティはじっくり覗き込んだ。
「お、重すぎですわ……」
絨毯の上には、石を詰めた大きな籠と、ひとりの少女。目を回している橙髪の令嬢――見習い弟子のカサブランカだ。
「こりゃ、荷物があるとき便利だね」
魔女の小屋から小一時間。
空を飛んで辿り着いたのは、塀に囲まれた小さな町だった。
「さあ、もう少しだよ。着いてきな」
懐から取り出した小枝を地面に立て、倒れる方へと足を進めた。
「シティさん……一体、今日は何を?」
軽くよろめきながらも、カサブランカが追いついてきた。魔力切れが近いのだろう。ギリギリ浮かせた絨毯が、フワフワ後ろを着いてくる。
「防御結界の修復だよ……よし、ここら辺だね。あたしが指示したら、石を一つずつ置いてくれ」
何度も小枝を倒したシティは、確かめるように一点を踏みしめた。
顔を上げれば、山と海に挟まれて、斜面に張り付く町がよく見える。空は青く、細い雲がゆったりと流れていた。
タン。
タタン。
何度か足踏みを繰り返し、弟子に目配せをくれてやる。さっと地面に置かれた小石の周りで、シティは静かに歌い始めた。
つむぎつむげ ぎんの糸を
ほそくながく からめからめ
縫うは想い 返すは約束
とめて結び ここにまつる
単調で、少し淋しい歌を小さく口ずさみながら、魔力を細く編んでいく。
進む、進む、ひとつ戻る。
歩く、歩く、かるく跳ねる。
時折ひねる動きに合わせ、黒のレースがふわりと揺れた。歩くでもなく、踊るでもない、最強ババアの不思議なステップ。その軌跡に一つずつ、カサブランカが小石を並べていった。
それは果てしがなく単調で、シティの額に汗が浮いた。体は疲労に重くなり、しかし意識だけが、広く深く研ぎ澄まされる。
大地と一体になったような、全てが繋がった感覚に、シティはようやく動きを止めた。気づけば町をぐるりと囲むように、小石を並べ終えていた。
「シティさん。これ、他の町も全部……?」
外壁に囲まれた小さな町。来たときと何ら代わり映えのない景色を見ながら、おそるおそる尋ねた弟子に。
疲れと共に吐き出すように、シティは低い声で呟いた。
「大変だろう? 辞めるなら、今のうちだよ」
***
「はあぁ……生き返りますわ!」
イチゴのソルベをスプーンで掬い、カサブランカはうっとりと頬を押さえた。
休息のために入った町中で、弟子が見つけた氷菓子店。シティも一口食べてみた。
(あら、美味しいわ)
強い甘みは苦手なのだが、手渡されたのは"塩レモン味"。
「シティさん、いつも甘さ控えめですものね!」
思わず綻んだ口元に、すかさず弟子が反応した。褒めてほしいとばかりに、キラキラした目で見つめてくる。
「……次は魔力切れに注意しな。それじゃ結界を紡げない」
返すのは褒め言葉でなくお小言だ。カサブランカの魔力は少なくないものの、まだまだ効率が悪いのだ。
「まあ!」
釘を刺したつもりなのに、カサブランカの瞳は輝きを増した。
「では、次回は私も挑戦させていただけますのね! 頑張りますわ」
防御結界への挑戦が楽しみらしい。全く前向きな令嬢である。
「でしたら、次回は髪型も少しアレンジしようかしら……」
スプーンを置いた手で髪先を弄りながら、カサブランカは思案げだ。
「私ったら、今日はついに蛇さん退治だと思って……」
照れくさそうに、己の頭に手をやった。鮮やかな橙髪は、魚の骨のように編み込まれ、後ろでひとつに結ばれている。
「なるほどねぇ。"髪型で術式の補助"かい?」
「真似してみたんです。シティさんのドレスを」
本人はまだまだだと謙遜するが、髪に通した魔力は、なかなかに見事なものだ。火力重視で燃費は悪いが、編み方によっては、効率重視も可能だろう。
(私より、ずっと真面目だわ)
地味な作業に音も上げず、説明の下手な自分の隣で、こうして新たに術も研鑽している。かつての自分とは大違いだ。きっと良い術師になるだろう。
(でも……なんでかしら)
お試し弟子として受け入れた。それが未だにしっくりこない感覚に――
「シティさん。どうして、皆さんに説明されませんの?」
カサブランカの呟きが、静かな店内によく響いた。浮かない表情で自分を見つめる弟子に、シティは思考の海から浮き上がり、周囲にそっと目を配った。
自分たちが腰掛けるカウンター席に、テーブル席が四つ。こじんまりとした店内には、今は誰もいない。
実は先ほどまで賑わっていた――最強ババアが現れるまでは。
突如現れた噂の恐人物。客は逃げるように去り、店主も品だけ出すとすぐに奥へと引っ込んだ。
「全く、何も知らないで……!」
カサブランカはぷんすか憤慨していたが、シティはすっかり慣れたものだ。営業妨害にならぬよう、むしろ日頃はこのような店に入ることもない。
「シティさんがどれだけ大変か知らないで。話せばきっと皆さんも――」
「最強ババアが『石ころ置いて、怪し気な歌を歌ってる』てかい? やめときな」
老婆の声が重なった。
「なんでも知らせればいいってもんじゃない」
硬さを帯びたシティの声に、令嬢は唇を噛み締めた。
「でも、」
「新聞は、いつもなんて書いてある?」
なお言いつのるカサブランカに、シティは抑揚のない声で尋ねた。
「それは……」
『黒蛇急襲!村人八人が大怪我。最強ババアは、何をしていた!?』
『最強ババアに年間国防費二〇〇億ペリ! 不透明なカネの行方は!?』
国民的新聞の一面を彩る派手な文句たち。
「どちらにせよ、説明する気はないよ。お前にはもう、話しただろう?」
ゴシックドレスに込められた、最強ババアを最強たらしめる魔術の一つ。
――人々が「最強である」と信じる気持ちが、最強ババアの力を押し上げるのだ。
カサブランカの瞳は悲痛に染まり、到底納得できない様子だった。続く言葉を紡げないままに――
「カラン」
ドアのベルが鳴った。
「失礼――術師殿か?」
振り返れば、店の雰囲気にはそぐわない、軍服の男が二人立っていた。決して友好的ではないその問いかけに、
「軍のひよっこが。あたしに何か用かい?」
自然とシティの返事も固くなる。
「住民が動揺しております。失礼ですが、早めにお引き上げを願いたい」
その端的な要請に、思わずカサブランカは身を乗り出した。
「私たち、ソルベをいただいていただけですわよ? それなのに――あら? 兄さま?」
がたりと椅子から立ち上がり、カサブランカは軍人の片方へと駆け寄った。
「ちょっと! ミカイル兄さまじゃありませんか」
笑顔で駆け寄ったカサブランカは、次の言葉に凍りついた。
「失礼、君は……一体誰だ?」
***
「誰って、兄さま。妹の、カサブランカですわよ……?」
「妹?」
ミカイルと呼ばれた軍服の男は、わずかな間を置き、そう繰り返した。
「確かに、オレには外国に留学中の妹が……?」
そこで言葉が止まる。眉間に皺を寄せ、こめかみに手を当てた。
「あ、え……?」
額に手を当てたまま、男は目を見開いた。
「カサブランカ? あれ? なんでここに――」
「……そうですわ。あなたの妹、カサブランカですわ!」
ようやく妹を認識した兄に、カサブランカは安堵の声で繰り返した。
「――師匠、お待たせしましたわ。先ほどは兄が失礼しました」
にこやかに言葉を交わし、兄妹は別れた。戻ってきたカサブランカの顔には、かすかな影が落ちている。
「見習い服の効果、ですのね。こんなに早く効くなんて――」
伏せた睫毛の奥で、感情が揺れていた。
最強ババアの見習い服――灰色のワンピース。それは弟子に関する記憶を、周囲から消し去るもの。
「家族に忘れられるのは、きついだろう?」
店を出て、しばらく歩く。
いつもよりわずかに遅い足取りに、シティは静かに問いかけた。
「……大丈夫です」
カサブランカは立ち止まり、顔を上げる。
「シティさんも、ずっと一人で頑張ってらっしゃるんですもの。弟子の私が弱音なんて、いけませんわ!」
いつもの、真っ直ぐな笑顔。
(本当に……いいのかしら?)
彼女から家族を奪うことに、気持ちの整理がつかないままに――
『見ツけた』
グラリと体が崩れかけて、なんとかその場に踏みとどまる。
「師匠……?」
異変に気づいたカサブランカが、心配そうに駆け寄ってきた。
(全く……休む暇もないんだから!)
ごっそり魔力を奪われた。
粘りつくような黒い気配。山の向こう、その一点を睨みつける。
遠く離れた使い魔がようやく見つけた――一つ目の呪い源だ。
お読みいただきありがとうございました。
ようやく、一つ目の呪いが見つかりました。
無事、解呪できるでしょうか――?
次回『一つ目の呪い』は、いつも通り土曜日の更新予定です。
(少し長めのため、前後半に分かれるかもしれません)
なお、活動報告にて「キャラクター座談会(ルシニウス編)」も掲載しております。
よろしければ、そちらもぜひ。
それでは、また来週(^^)




