2. ゴシックドレスとティータイム
(――急がなきゃ)
彼が来る。
柔らかな日の光が差し込む昼下がり。
縫いかけの生地もそのままに、慌てて隣室のクローゼットに駆けて行く。
朝起きてからそのままの部屋着を脱ぎ捨てる。
膝丈のドロワーズに足を突っ込むと、大嫌いなコルセットを装着だ。
カラ コロン。
釣鐘草が来客を告げる音だ。
破れないようストッキングに足を通し、ペチコートを何枚も重ねていく。
カラ カラコロン。
鐘の音が、次第に急かすように大きくなる。
「お前たち、ちょっと足止めしといて!」
慌てて窓の外に声をかければ、植物たちが蔓をくねらせ了承した。
ボディス、アンダースカート、そしてようやく完成だ。
漆黒のオーバースカートを重ね、胸元のブローチを留める。
するとたちまち少女の姿が変化した。
するすると体が縮む。
滑らかな肌は枯れ木のように萎れ、柔らかな髪は艶を失った。
鏡には、黒のゴシックドレスに身を包んだ白髪の老婆が一人。
青い瞳だけが、少女の面影を残していた。
「全く、面倒ったらありゃしない」
正装であり、最強ババアを"最強術師"たらしめるゴシックドレス。
(初代さまも、せめてもう少し簡単な服にしてくれれば良かったのに……)
嘆いていてもしょうがない。
今一度鏡で確認すると、シティは来客を出迎えに部屋を出た。
開いた扉から流れ込む空気は、春の温かさを帯びていた。
◇ ◇ ◇
黄色い小花をつけたヘンリーヅタが、頭上でアーチを彩っている。
優しい春の陽射しで、葉の縁が透けるように輝いていた。
その下、テーブルに腰を下ろしたシティのもとへ、バターと小麦の香りがふわりと運ばれてきた。
「今日のメニューは、ローズマリーとチーズのスコーン。リラックス効果のあるカモミールティーもどうぞ」
ワゴンを押してきたのは、黒のスラックスに生成りのリネンシャツを着た青年。
黒目黒髪、どこにでもいそうな平凡な容姿――
だが、その素朴さが不思議とこの庭の空気に溶け込んでいた。
彼の名はルシニウス。
「最強ババアの写真が撮りたい」
ただそれだけで、迷いの魔術を突破して、魔女の小屋まで通い詰める――ちょっと変わった人物である。
バスケットの中には、小ぶりのスコーンが並んでいた。
片手で摘めるほどのサイズは、忙しいシティへの気配りだろう。
一口齧ればチーズの旨味。
後からハーブの清涼な香りがするりと鼻に抜けていく。
カシャリ。
ルシニウスがこちらにカメラを向けている。
毎度叱っても懲りない青年に、シティはため息まじりの目を向けた。
「もっと知りたいのに。ババアはなんにも教えてくれないし」
その軽口に、シティは黙って睨みを返す。
だがルシニウスは肩をすくめて言い訳した。
「だから撮りたいんさぁ。今年は卒業製作で、あんまし戦闘シーンも撮りにいけないし――」
"卒業"。
その言葉に、シティの胸がわずかにざわついた。
それは、この穏やかなひと時が限られたものであることを示している。
最強ババアは正体を明かしてはいけない。
許されるのは弟子と、最愛の2人だけ。
存在をベールに包む――それが、ゴシックドレスに刻まれた「人々が信じる強さ」を力に変える術の秘訣なのだ。
だからシティは、青年を引き留めない。
青年が、写真を撮って新聞社に提供する。
対価に手作り菓子を振る舞う。
ギブアンドテイク。それだけだ。
なのに――
そう割り切れないほどには、シティにとって、このティータイムは大切な時間となっていた。
「そうかい……」
スノードロップが甘えるように青年の足にじゃれついている。
いたずらなマンサクが、黄色い小花をシティのカップに浮かべていた。
温かな黄色のカモミールティーからは、甘く優しい花の香りが立ち上る。
ひと口すすったシティは、思わず軽く顔をしかめた。
「口に合わなかったかぁ」
そんなシティの些細な反応を見逃さないルシニウス。
すかさず「ミルク足すよ。それか、リンゴジュースも合うんさ?」楽しそうに呟きながら駆けていく。
濃く入れた茶をリンゴジュースで割ったものを飲みながら、シティは青年の話に耳を傾けた。
このところの国境は落ち着いている。
去年は透明型蛇の奇襲もあり、休講続きでルシニウス青年の単位はギリギリだったらしい。
先日は海蛇が川を遡り、水辺の街を脅かした。
軍が難なく排除したものの、いつまた強大な敵が現れるか分からない。
「ま、そこはあたしの領分さね。あんたはせいぜい留年しないよう学業に専念しな」
柔らかな光と温かい香り、春の風と共に、穏やかなひとときが、小屋前の庭に満ちている。
だけど、そのひと時を留める言葉を、シティは知らなかった。




