朝食は一日の始まり
コンコン、と小気味よい音が店内に響く。
まだ夜明け前。
食堂の厨房では、ケンジが包丁を動かしていた。
窓の外は薄暗く、森は朝靄に包まれている。
「……よし」
まな板の上には刻まれた玉ねぎ、にんじん、じゃがいも。
鍋には昨夜、魔猪の骨から丁寧に取ったスープが静かに湯気を立てていた。
「せっかくの食材だ、使えるだけ使ってみよう!」
料理人として胸が躍る。
捨てるところがほとんどない。
皮は革に。
牙や爪は素材に。
骨は出汁に。
肉は料理に。
昨日まで魔物だったものが、こうして新しい命へと繋がっていく。
「異世界だろうと関係ない。いただいた命は、最後まで大切にしないと」
小さく呟き、鍋を混ぜる。
甘く優しい香りが厨房に広がっていった。
一方、その頃。
レオナは食堂の入口にもたれ、剣を抱えたまま眠っていた。
見張りをすると言ったものの、一晩中何事もなく過ぎた。
鳥のさえずりで目を覚ます。
魔物の気配はあったがすぐに離れていった。この異世界食堂というスキルはもしかすると結界的な役割を果たしているかもしれない。もしこれが国にバレたら飼い殺されて終わりだろう。
あのお人好しをどうしても放っておけない自分がいた。
「……朝か」
立ち上がり、軽く体を伸ばす。
森は静かだった。
今のところ魔物の気配はない。
「異常なし、か」
そう呟いた瞬間。
ふわり、と風に乗って香りが届いた。
「……!」
鼻が勝手に動く。
肉の香り。
いや、それだけではない。
優しい甘さ。
焼き立ての何か。
思わず食堂の方を向いてしまう。
ぐぅぅ……。
「…………」
朝から腹が鳴った。
「……聞こえてませんように」
「聞こえてますよ~」
店の中から声が返ってきた。
レオナは肩を落とした。
「おはようございます」
ケンジが笑顔で顔を出す。
白い湯気が店内から流れ出てきた。
「朝ご飯、できました」
「……さすが料理人だな。昨日は特に何も無かった」
「ありがとうございます。お腹、空いてますよね?」
「ま、まぁな……」
この匂いには抗うことは出来そうになかった。
「朝食は、一日の始まりです」
レオナは少し考え、
「……いただこう」
と素直に答えた。
席へ着くと、木の盆が運ばれてくる。
「これは……」
見たことのない料理ばかりだった。
白い湯気を立てる椀。
こんがり焼かれた肉。
黄金色の四角い何か。
鮮やかな緑色の野菜。
そして、小さな白い山。
「白い石……ではないな」
「ご飯です」
「ご飯?」
「お米ですよ」
「なんだそれは?」
「おかずと食べてみてください」
レオナは恐る恐る覗き込む。
一粒一粒が艶やかに輝いている。
「美味しそうではある」
「はい」
ケンジは嬉しそうに頷く。
「まずはスープからどうぞ」
木のスプーンでひと口。
優しい。
昨夜の濃厚な料理とは違う。
体へゆっくり染み込むような味だった。
「……これは」
「昨日の魔猪の骨から出汁を取っています」
「骨で?」
「はい」
レオナはもう一口飲む。
旨味はあるのに重くない。
自然と体が温まっていく。
「美味しい……」
その一言が、また漏れた。
次は黄金色の四角い何か。
一口食べてみる。
ふわり。
口の中でほどける。
「甘い!」
「卵に砂糖を少し入れて焼きました」
「卵が甘くなるのか……この瑞々しさと柔らかさはなんだ?」
「出汁を入れて焼いてるからです。『だし巻き卵』と言います」
驚きが止まらない。
焼いただけの卵が、こんなにも柔らかくなるとは。
「そして、ご飯です」
木の匙ですくい、口へ運ぶ。
噛む。
ほんのり甘い。
噛むほどに香りが広がる。
「これだけで食べられるのか?」
「日本では毎日食べます」
「毎日?」
レオナは目を丸くする。
「贅沢な国だな」
ケンジは苦笑した。
「そうなんでしょうか」
最後に魔猪の焼いたものを口へ運ぶ。
甘辛い香り。
柔らかな肉。
昨日とはまったく違う味付け。
「同じ肉なのに……」
思わず呟く。
「また違う料理になっている」
「『しょうが焼き』と言います。料理は、同じ食材でも何通りにも楽しめるんです」
「……奥が深いな」
レオナは静かに頷いた。
食べるたび、新しい驚きがある。
今まで自分が知っていた『食事』とは、まるで別のものだった。
やがて食事を終え、湯呑みに口をつける。
自然と息が漏れた。
「……満たされた」
腹だけではない。
心まで温かくなっている。
そんな感覚は、生まれて初めてだった。
ケンジは食器を片付けながら微笑む。
「ごちそうさま、って言うんですよ」
「ごちそう……さま?」
「料理を作った人と、食材への感謝を込める言葉です。ちなみに食べる前には、いただきます、って言います」
「それは食べる前に教えて欲しかったな」
「すいません、あまりにも早く食べたそうにしていたので」
「つ、次からはちゃんと言うことにする……」
レオナは少し照れくさそうに視線を逸らす。
そして小さく息を吸った。
「……ごちそうさま」
その言葉を聞いたケンジは、心から嬉しそうに笑った。
「はい。ありがとうございました」
その笑顔を見た瞬間。
レオナは気付いてしまう。
料理を食べることよりも。
この男が嬉しそうに笑う姿を見たいと、自分が思い始めていることに。
その事実に気付き、慌てて湯呑みを口へ運んだ。
(……まずい)
魔物との戦いより厄介かもしれない。
そう思ったことは、もちろん誰にも言えそうになかった。
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