認めたくない現実
学院敷地内で街灯が連続して消えた出来事は、研究棟の空気を静かに変えていた。
それまでの異常は、まだ“説明できなくもない問題”だった。設備更新の不備、測定器の誤差、新型術式の欠陥、地域差による不調。誰もが何かしら既存理論の延長で説明しようとしていた。もちろん違和感は積み重なっている。だが研究者というものは、一度積み上げた理論ほど簡単には手放さない。元の世界でもそうだった。明らかな異常が起きていても、人はまず「例外」として処理しようとする。
ただ、現実の方が先に大きくなり始めていた。
翌朝、研究棟へ入った瞬間、空気の重さが昨日と違うことへ気づく。話し声が少ない。机へ積まれた報告書が増えている。そして何より、皆の顔に余裕がない。研究者特有の“面白くなってきた”空気ではなく、少し現実的な焦りが混ざり始めていた。
理由は明白だった。症状が変わってきている。
今までは“止まる”が中心だった。街灯が消える。暖房設備が動かない。工房設備が不安定になる。だが今は違う。停止の前段階が増えている。
暖房は温度が足りない。
保冷設備は保存時間が短くなる。
輸送術式は持ち上がる重量が落ちる。
照明は光量が弱まり、頼りなく瞬く。
つまり、文明全体が少しずつ出力低下を起こしている。
地球で例えるなら、電力供給が徐々に弱くなっている状態に近かった。家電は動く。ただ性能が落ちる。明かりは点くが暗い。冷蔵庫は冷えるが弱い。完全停止より厄介なのは、問題が曖昧なまま生活へ入り込むことだった。
主任の机には、各都市から届いた報告書が積まれている。学院市だけではない。港町では荷役術式の効率低下が深刻化し、北方都市では暖房不足が始まっている。商業都市では保冷設備が不安定になり、農業地域では乾燥設備の稼働率低下が報告されていた。
しかも不気味なのは、止まり方が似ていることだった。
壊れていない。術式は正常。濃度測定も理論上問題なし。
それなのに、動ききれない。動いても弱い。
まるで文明そのものが、静かに息切れを始めているみたいだった。
「旧式の比較、出たぞ」
主任が資料を差し出す。
見ると予想通りだった。旧式設備の方が不調率が低い。あるいは、症状が軽い。完全停止率も新型より明らかに少ない。
理由はほぼ見えている。
余裕設計、流路分散、効率より耐性。
新型術式は洗練されている分、供給条件が少し崩れるだけで動きが不安定になる。一方、旧式は無駄が多い代わりに揺らぎへ強い。元の世界でも似た例はいくらでもあった。高効率設備ほど環境変化に弱く、古い機械ほど雑に動き続ける。
便利さというものは、条件が揃っている時ほど強い。そして条件が崩れた時ほど、余裕のある仕組みが生き残る。
気づけば自然と紙へ図を書いていた。
新型術式、旧式術式。
魔素流量、供給変動。
そして、その端へ空の帯。
まだ証拠は無い。ただ、少しずつ線が繋がり始めている感覚があった。
もし供給環境そのものが変わっているなら。もし空の異変が本当に関係しているなら。問題は設備修理では済まない。社会基盤そのものの設計変更になる。
そこでふと隣を見る。
紺色の外套は珍しく静かだった。資料を眺めたまま、いつもの眠そうな顔で考え込んでいる。
「何か気になります?」
問いかけると、小さく視線が動いた。
「認めたくないだけかも」
「何をです?」
少しだけ沈黙が落ちる。
そして、珍しく言葉を選ぶように口を開いた。
「魔法、減ってる」
その一言は短かった。だが、重かった。
魔法はこの世界の空気に近い。灯りも暖房も保存も輸送も、全部が前提として存在している。それが“減る”という発想自体、ほとんど禁句に近い。
もし本当なら、問題は学院の研究課題では済まない。街灯修理の話でもない、生活基盤そのものが揺らぐ。
だから皆、無意識に認めたがらない。理論が崩れるからではない、日常が崩れるからだ。
そして、その空気を壊すように研究室の扉が勢いよく開いた。
飛び込んできた研究員は息を切らしている。
「中央区画の保冷設備、まとめて落ちた!」
部屋が静まる。
中央区画。
市場だ。
つまり食料流通。
少しずつだった異常が、とうとう生活の中心へ届き始めていた。




