直せる者の価値
学院へ着く頃には、研究棟の空気が以前とは少し変わっていた。
最初にここへ来た頃は、珍しい異邦人を見る目が多かった。魔法を使えない男。見たこともない発想で筆記具を作る変人。せいぜいその程度だったはずだ。だが今は違う。廊下ですれ違う研究員が軽く会釈をし、部屋へ入れば「少し見てほしい」と声が掛かる。目の前で困り事を解決する人間に対して、人の態度は驚くほど早く変わるらしい。
もちろん、歓迎ばかりではない。
露骨に怪訝そうな顔をする者も居る。特に術式研究を専門にしている人間ほど、魔法を使えない異邦人が修理へ関わっていることを面白く思っていないようだった。理論を積み重ねてきた側からすれば、説明のつかない例外ほど厄介なものはない。地球でもそうだった。理論へ綺麗に収まらない現象ほど、最初は異端扱いされる。
研究室へ入ると、主任が机へ肘をついたまま報告書を睨んでいた。紙束の量が昨日より増えている。寝不足なのか、少し目の下が暗い。
「増えてるな」
自然と口へ出る。
「止まる魔導具か?」
「それもだ」
主任が嫌そうな顔をする。
「修理待ちも増えた」
視線を向けると、部屋の隅へ並ぶ木箱が目に入る。暖房器具、小型照明、保冷箱、用途のわからない金属器具。数日前まで研究室だった場所が、少しずつ修理工房みたいになり始めていた。
正直、嫌な予感しかしない。
「これ、全部ですか」
「一応な」
主任は悪びれもせず頷く。
「お前が直したやつ、評判が広がった」
予想はしていた。
生活に関わる設備ほど話が広がるのは早い。冷えなくなった保冷箱が直れば肉屋が喜ぶ。暖房が戻れば宿屋が助かる。便利なものほど、壊れた時の困り方が大きい。
そして困っている人間ほど、解決手段へ飛びつく。問題は、こちらの時間だった。
筆記具の量産準備。工房の話。夜の観測。学院での研究。そして修理。
全部を一人で抱えるには、少しずつ限界が見え始めている。
「断る基準、決めた方がいいですね」
無意識に口へ出る。
主任が少し眉を上げる。
「断る?」
「仕事量です。全部受けると破綻します」
研究者気質の人間ほど、目の前の問題を全部解こうとする。だが、それを続けると大抵どこかで倒れる。元の世界でも、優秀な人ほど仕事を抱え込み、気づけば睡眠時間から削っていた。
だからこそ、線引きが要る。
「生活優先ですね」
机上の魔導具を軽く指差す。
「暖房、保冷、照明。生活に直結する物を先にした方がいい」
主任は腕を組みながら少し考え込む。
「産業用は後回しか」
「止まると死ぬ物からです」
少し沈黙が落ちる。
そして、主任が小さく笑った。
「お前、研究者っぽくないな」
「生きる方が先なので」
それが本音だった。理論も研究も、生活があってこそ成り立つ。帰れる保証のない世界ならなおさらである。
*****
昼を過ぎる頃には、修理品の分類が始まった。
生活用、業務用、研究用。そして完全停止、弱動作、不安定稼働。整理しながら見えてくることもある。特に気になったのは、新しい魔導具ほど止まりやすい傾向だった。
理由がわからない。普通なら逆だ。古い物ほど壊れる。
経年劣化という概念は世界が違っても基本変わらないはずだった。なのに、新しい方が弱い。そこだけが妙に引っかかる。
夕方近く、研究員の一人が新しい報告書を持ち込んできた。
「工房街でも止まり始めた」
少し空気が変わる。
工房街。つまり職人の設備だ。
暖房や街灯とは意味が違う。生活不便では済まない。生産そのものへ影響が出始める。
頭の中で自然と繋がる。
もしこれが続けば――。
魔法依存の社会ほど、崩れ方は早い。




