増え始めた不調
異常は、一件だけなら故障で済む。二件でも偶然と言い張れる。
だが、十件を超え始めると、誰もが少しずつ口を噤み始める。
研究室へ積まれた報告書を眺めながら、そんなことを考えていた。暖房器具、保冷箱、照明、温水装置。止まった魔導具の種類は統一されていない。年代も違えば製造工房も違う。生活用から簡易産業用まで幅があり、共通点を探そうとしても綺麗には揃わなかった。
ただ、症状だけは似ている。術式自体は壊れていない。外装にも異常はない。魔素供給部にも明確な損傷はない。
それなのに、急に動かなくなる。
正確には、“力が足りなくなった”ような止まり方だった。
地球の感覚で言えば、電圧不足に近い。ただし厄介なのは、発電所があるわけでも配線網があるわけでもないことだ。この世界では魔法は空気のように存在している。少なくとも、こちらからはそう見える。ならば供給不足という発想自体が、この世界の人間にはあまり馴染まないのかもしれなかった。
主任は机へ地図を広げながら眉間を押さえている。寝不足らしい。
ここ数日、修理品と報告書へ埋もれている姿しか見ていない。
「偏りがない」
地図の上には印が打たれている。
街の北側、商業区、職人街、住宅地、外れの農村。場所が散らばり過ぎていた。特定地域だけなら、設備不良や環境要因を疑える。だが、これでは説明が難しい。
「流通ロットですか」
無意識に口へ出る。
「ロット?」
「同じ時期に作られた物とか、同じ工房とか。部品単位で不良が出ることがあります」
主任が少し考え込む。研究員の一人が慌てて資料を捲り始めた。だが、すぐ首を横へ振る。
「違う」
工房も時代も一致しない。むしろ、古い魔導具ほど症状が軽い傾向すらあるらしい。
そこが少し引っかかった。普通なら逆だ。古いほど壊れやすい。経年劣化というものは、世界が違っても基本的に避けられない。
それなのに、新しい物ほど止まる。理由がわからない。
「修理できそうか?」
主任に聞かれ、少し考える。
答えに迷った。壊れていない。そこが問題だった。
今まで反応したのは“繋がっていない術式”だった。断線、欠損、噛み合っていない状態。だが今回は違う。見た限り、術式は正常に見える。
「試すだけなら」
そう答えると、暖房器具が運ばれてきた。数日前まで正常だった物らしい。
表面の傷も少なく、状態は良い。術式を目で追っても、断線は見当たらない。少なくとも、素人目には壊れていないようにしか見えなかった。
少し迷ってから、指先を触れる。いつもの違和感はない。
引っ掛かりもない。空振りだ。
やはり違う。
そう思った瞬間だった。
ほんの一瞬だけ、妙な感覚が走る。
弱い。
今までよりずっと薄い。切れているというより、流れていない。そんな感覚だった。思わず眉が寄る。
「……少ない?」
無意識に呟いていた。
「何がだ」
「わかりません。でも、何か足りない感じがします」
説明しづらかった。断線ではない。修復でもない。もっと根本側。
例えるなら、ガソリンの切れかけたエンジンに近い。仕組みは生きている。ただ、動かす力が足りない。
そんな印象だった。部屋が静かになる。研究者というものは、理解した時より理解できない時ほど静かになる。
主任が腕を組む。
「魔素不足……?」
誰かが小さく言った。すぐ別の研究員が否定する。
「あり得ない。魔素濃度は一定だ」
「なら説明がつかない」
「測定器は正常値だぞ」
議論が始まる。
言葉が飛び交い、紙が増え、誰かが測定具を持ち出す。元の世界と何も変わらない。未知の問題が出た時ほど研究室は急に騒がしくなる。
ただ、その中で少し気になった。
“魔素濃度は一定”。
誰も疑っていない前提だった。
地球でも似たものがある。常識。固定観念。昔からそうだからという理由だけで、検証を止めてしまう考え方。
もし違ったら。そんな仮説が、一瞬だけ頭を過ぎる。
もちろん、飛躍し過ぎだ。まだ材料がない。観測も足りない。
空の違和感と結びつけるには、あまりに無理がある。それでも、何となく気になった。理由の説明できない違和感ほど、後から意味を持つことがある。
そして、その日の帰り際だった。
研究棟を出ようとしたところで、息を切らした研究員が駆け込んでくる。
「中央区画の街灯、半分落ちた!」
さっきまで研究だったものが、急に現実になる。
街灯が止まる。
つまり、生活に影響が出始めたということだった。




