商売になる技術
紹介された文具商との約束は、数日後の昼に決まった。
その間も試作品の改良は続いたが、思っていた以上に神経を使う作業だった。一本だけ上手く書けても意味がない。売り物というものは、誰が手に取っても同じように使えなければならないし、最低限の耐久性も必要になる。
問題は、この世界に「同じ物を大量に作る」という感覚がまだ薄いことだった。
鍛冶屋の金具ひとつ取っても微妙に寸法が違う。木工職人の削り方も個人差が大きく、仕上がりにばらつきが出る。地球なら工場で規格化される部分が、ここでは職人技に依存していた。
悪いわけではない。むしろ技術水準としては自然なのだろう。ただ、商売にするなら厄介だった。
同じ品質を維持できないものは信用を失う。そして信用を失った商品は、どれだけ便利でも長く残れない。
夜遅くまで作業台へ向かいながら、ふと思う。異世界へ来てからというもの、妙に「仕事」をしている時間が長い。
もっと絶望するものだと思っていた。泣いたり、途方に暮れたり、元の世界を恋しがったり。
もちろん、そういう感情が消えたわけではない。
夜中にふと目が覚めた時など、無性にコンビニの灯りを思い出すこともある。仕事帰りに何となく買った缶コーヒーや、どうでもいい惣菜売り場、機械的に流れるレジ音まで妙に懐かしく感じる瞬間があった。
ただ、それ以上に手を動かしている方が楽だった。考える時間が長いほど、人は悪い方向へ進む。少なくとも、自分はそういう性格だった。
だから今は、試作品へ集中する。
一本一本の太さを揃え、インクの流れを調整し、書き味を少しでも安定させる。その積み重ねが、生活に変わるかもしれないと思えば、案外気持ちは前を向けた。
約束の日、店主に連れられて向かった先は、市場通りから少し外れた場所にある小さな店だった。
表から見れば目立たない。だが中へ入ると印象が変わる。
紙、帳簿、羽根ペン、封蝋、書類棚。
文字を書く仕事に必要なものが、一通り揃っていた。
なるほど、と少し納得する。
この世界で識字率がどれほどかわからないが、少なくとも商人や役人にとって筆記具は消耗品なのだろう。
店の奥から現れた男は、痩せ型で、商人というより学者に近い雰囲気をしていた。
目だけが妙に鋭い。店主が話を通していたのか、開口一番で試作品へ視線が落ちる。
「変わった筆記具だと聞いた」
机へ並べる。
余計な説明はしない。
便利なものは使わせた方が早い。紙を差し出し、試し書きを勧める。
最初の数秒は半信半疑だった顔が、少しずつ変わっていく。
書く。
止まる。
もう一度書く。
羽根ペンへ視線を移し、また試作品を使う。
比較しているのだろう。
やがて、小さく息を吐いた。
「……面白い」
その言葉に少し安心する。
研究者の“面白い”は危険だが、商人の“面白い”はまだ意味がわかりやすい。売れるかもしれない、という顔だった。
「インクへ浸す回数が減る」
「作業効率も上がります」
「書類仕事では強いな」
そこで少し沈黙が落ちる。
嫌な沈黙ではない。値踏みの時間だった。
商人は利益になるかを考え、こちらはどこまで譲るかを考える。
沈黙の質が、研究室とは違う。
「独占は?」
予想通りの言葉だった。
少し考える。
悪い条件ではない。ただ、早すぎる。
販路を一つへ絞るのは危険だ。
「地域限定なら」
返事を聞いた瞬間、少し目が細くなる。
商人の顔だった。
簡単には譲らない相手だと理解したのだろう。
「強気だな」
「生活があるので」
自然と返す。利益は必要だった。帰れる保証のない世界で、善意だけを資産にするほど楽観的ではいられない。
しばらく話し込んだ末、とりあえず少量試験販売という形でまとまった。
大金ではない。
ただ、小腹を満たすパンを何日も買える程度には余裕が生まれる。
異世界へ来て初めて、自分の技術で金を得た瞬間だった。店を出た帰り道、店主が少し可笑しそうに笑った。
「お前、本当に研究者か?」
「何でです?」
「値段の話だけ急に鋭い」
少し苦笑する。
研究だけでは生きられない。その現実を知る程度には、社会人が長かった。
*****
学院へ向かう途中、ふと足が止まる。
露店の隅で、粗末な望遠鏡らしきものが売られていた。
精度は悪そうだ。
レンズも少し歪んでいる。
それでも、目が止まる。
夜空を見たい。
その欲求が、少しずつ強くなっていた。




