第8話 畑仕事をしていたはずなのに
我輩の憑依した体、ルドルは割と軟弱である。
剣を振るったその日にまさかの絶大なる筋肉痛の乱舞に襲われ、それが翌日にまで続くとは思わなかった。村で寝転がっていたため、弔った村人やフリッサやアーク達もさぞや向こう側で呆れかえっていたであろう。
おまけにこの体、体力もそこまで無い。
おかしい。畑仕事をしていたはずだ。知識としてしか無いが、畑仕事は重労働であり、筋力も体力も忍耐力もかなり身に付くものだと旅人が言っていた。はずだ。
それなのに。
『あははは……。僕ね。無理し過ぎると風邪を引きかけることが多かったから……。確かにそれなりに手伝いは出来ていたんだけど、多分他の人よりは仕事をやらせてもらえてなかったんだよね……』
とんでもない事実である。
まさかの村の中でのお坊ちゃん育ち。あれだけルドル親子を敬遠していたはずの村人達は、かなり甘い者達になっていた様だ。
体力と筋力とは、一日にしてならず。
つまり、継続して鍛えなければならない。我輩の中で目下の急務となった。
『ミストルー……』
「何だ」
『そんなに走り込んだら、倒れない? ミストルが憑依したと言っても、僕の体だし』
「知らぬ。だが、何もしないよりはマシだ。我輩の魔力が色々巡って保たれているならば、可能性はある」
我輩は、早朝から筋肉痛を押して村の中を走り込みをしていた。もちろん、ペースは落としている。つもりだ。
しかし、十分走り込んだだけだというのに、かなり息が上がっている。これは、先が思いやられる。
そして。
「……何だか、腹のあたりがぐーぐー鳴っているのだが。まさか、これも体が弱いせいなのか?」
『違うよ。それは、お腹がすいているんだね』
「おなか。すいている」
なるほど。これが、空腹という感覚なのか。
腹のあたりでやたら音が鳴り、感覚的にも何かを入れておきたくなる。初めての体験が新鮮だ。
しかし、我輩は剣であるのに腹は減るのか。
やはり憑依した体の感覚と様々なものが共有されるらしい。――筋肉痛も感じたのだから当然か。
ならば。
「これを食べるとしよう」
『え? もう食べ物を見つけ、……!』
ひょいっと、空間魔法に仕舞っておいたものを取り出すと、体内から息を呑む様な音がした。ルドルの驚愕が波打つ様に伝わってくる。
『そ、そそそそそそそそそそそ』
「どうした?」
『そ、それ……! 僕が昨日焼いたクロワッサンじゃ……っ!』
「そうだが?」
平然と言い放つ我輩に、更に慌てた様にルドルが飛び上がる。様な感覚がした。
『だ、駄目だよ! もう踏まれてぼろぼろだったんじゃ……』
「奇跡的に踏まれてはいなかった。血も付いていなかったしな。……きっと、初めて上手く作れたパンだから、神様とやらが守ってくれたのではないか」
神には悪態を吐きたくなることばかりだが、こればかりは感謝だ。
洞穴に来た者達を全て斬り倒した後、きちんとクロワッサンだけは諸々綺麗に避けて守られていたのだから。おかげで、ルドルの初めての成功パンが味わえる。
本当は後々まで取っておきたかった。
けれど、せっかくルドルが我輩の分まで取っておいてくれたのだ。やはり彼がいる目の前で味わって感想を伝えたい。食べ物は食べてこそ、である。
『ま、まままま待って、待って! やっぱり、やめよう⁉』
「どうしたのだ。初めての成功パンだから、我輩に食べて欲しいと言っていたくせに」
『だだだだ、だって、……そ、それ。土にまみれちゃったでしょ? 汚いよ』
「汚くなどない」
『っ』
きっぱりと断言すれば、少し怯んだ様な気配が体内で揺れた。
あれだけ食べて欲しいと言っていたのに、いざとなったら尻込みする。その感覚が我輩には分からない。
ただ一つ確実に言えるのは、このクロワッサンは彼にとって大切なもので――我輩にとっても掛け替えのない宝だということである。
「食べるぞ」
『わ、わわわわ……!』
慌てふためくルドルに、知らんぷりをして我輩はクロワッサンを口に運ぶ。
食べるという行為自体が初めてではあるが、躊躇いなく口に含んだ。――確かルドルはこんな風に食べていたはずである。
もしゃっと一噛みすると、ふわりと香ばしい匂いが口いっぱいに広がった。
「……」
もしゃ、っと、もう一噛みする。更に、ふわっと鼻から香ばしさが吹き抜ける様だ。胸の奥まで満たされていく心地に、我輩は感動した。
食感もふわふわで、次から次へと所望したくなる味だ。
自然と口元が緩む様な感覚。
そうか。これが。
「……。美味い。というのだろうな」
『え! ほ、本当?』
「うむ。初めて食べた故、どう伝えたものかと考えるが、次から次へと食べたくなる」
『――!』
素直に感想を伝えると、飛び跳ねる様な歓喜が腹の底から湧き上がってきた。本当にぴょんぴょん飛び跳ねていそうな気配に、我輩の口が更に緩む。
「大げさだな」
『大げさじゃないよ! ……良かった。初めてミストルが食べた味が、まずいものじゃなくて』
「本当に大げさな。……そういえば、お前は味が分かるのか?」
『うーんとね。……遠くから味を感じる……気がする、って言えば良いのかな?』
「遠くから?」
『うん。だから、遅れて「あ、美味しい……かも?」って思うというか。まあ、僕はあくまで体に寄り添っている様な感じだからね。君の魂とリンクしている感じではあるらしいんだけど、体感をする範囲がやっぱり生きている時とは違うんじゃないかな。君の筋肉痛も僕は感じなかったし』
「……そうか」
これほどまでに美味しい、と思えるものを彼ときちんと共有出来ない。
それはとても淋しいものだった。こんなに近くにいるのにと、思わざるを得ない。
もしかして、ルドルも今までずっとそんな淋しさを味わっていたのだろうか。
ならば悪いことをした。大切な友を悲しませていたことを知り、僅かに胸のあたりに鈍い痛みが生じる。
誤魔化す様にクロワッサンを噛み締めていると、やはり美味いと感じ入った。
これが、食事。
人が生きる上で欠かせない習慣ではあるが、毎日食べるのならば美味い方が良いに決まっている。
だからこそ、人は食をどこまでも追及していくのかもしれない。かつて近くで果てた旅人が、あらゆる国の食事の尊さをぶつぶつ語っていたことがあるが、この時初めて共感した。
「ふむ。……どうせ、当てのない旅となるであろう。世界各地の料理を食べ歩くのも良いかもしれぬな」
『あ、それ面白そう。良いね。グルメの旅だね』
「うむ。ルドルも遠くからでも感じられるのならば、新しい味も味わえるかもしれぬしな」
『うん! ……今ミストルが食べているクロワッサンの味、君の前で食べた時の味と同じ様な感じがした気がするから。僕にも分かる可能性はあるかも!』
「そうか。ならば、グルメ旅であるな。……しかし、料理とはタダで食べられるものでは……ないだろう? どうやってお金を稼ぐのだ?」
『あ、そうか。……うーん。僕も詳しくは知らないけど……でも、ミストルくらい強かったら、ハンター、って言うのになったら良いかも』
「はんたー? ……ああ。冒険家、とやらか?」
時折我輩を求めてやってきた旅人から話を聞いたことがある。
この世界には、ハンターや冒険家というものが存在すると。
ハンターには財宝ハンター、魔物ハンター、遺跡ハンター、賞金首ハンターなど様々な種類があるらしい。
また、あらゆる場所を自由に気ままに冒険し、その行く先々で何かを発見したり問題を解決したり、ハンターの総称みたいなことをする人間を冒険家、と言うそうだ。
我輩のところにやって来た者の中に冒険家はいなかったが、ハンターは何人か存在していた。大体は我輩を求めてやって来た財宝ハンターである。
「それになったら、金が稼げるのか?」
『うん。全てのハンターをまとめ上げているハンターギルド……ハンター協会? っていうところに登録して、各々好きなことをするんだって。何のハンターで登録するかを決めて協会に籍を置くと、依頼を達成したり功績を上げた時にお金がもらえるとか』
「ふむ……。かなりあやふやな説明ではあるが、……世間知らずを地で行く我輩には向いているかもしれんな」
『何のハンターで登録するの? グルメの旅だから、美食ハンター?』
「そんなものまであるのか」
『うん。確か、世界中の美味な食材や料理を探し求め、常に新しい味を追求していくとか……。……でも、自由に食べたいっていうだけじゃ向いてないかも』
「そうであるな。我輩も料理を食べたいだけで、別にとことん追求していきたいわけではない。ならば、……何にも縛られぬ冒険家とやらが一番合っている気がするが」
『冒険家かあ……。最初から登録出来るのかな?』
全てのハンターの仕事を統括的にこなすという冒険家。
確かに、最初から登録させてもらえるかは分からない。人間は斯くも出来損ないや無知なる者を下に見る者が多いと聞く。いきなりハンターの総称の様なものになりたいと宣言して、快く受け入れてもらえるかは謎だ。
しかし。
「まあ、言うだけならタダであろう。笑われたら、証明すれば良いだけのこと」
『……暴力はいけないよ?』
「喧嘩を吹っ掛けられたら分からぬ」
『うーん。……ミストルって、筋肉痛さえ無ければすっごく強そうだから。でも、無茶は駄目だよ!』
「うむ。だが、目下金の工面は必要であるな。……あの馬鹿者どもが持ち出していなければ、まだ村に残っているか?」
『……そうだね。……申し訳ないけど、村のお金を掻き集めた方が良いかも。あと、食料もあれば』
「そうだな。……火事場泥棒、とやらになった気分で気は引けるが。……ルドルにもらったこの体、大切にしていきたいしな」
『――』
何となく、震える様な衝動を覚えた。
どうした、と我輩が体の内側に問いかける様に見下ろすと、何だか泣き笑いの様な気配がした。
『……やっぱり、ミストルに憑依してもらって良かったなあ』
「何だ。我輩は何かしたか?」
『うん。……ミストルにはこれから、たくさん良いことを体験して欲しい。そう願っているよ』
「うむ。……ならば、我輩の中に宿っているお前にもたくさん楽しいことを経験してもらえるよう、最善を尽くそうではないか」
『うん。……楽しみにしてるね』
噛み締める様にルドルが囁く。
その囁き方があまりにもしみじみとしていたため、我輩はしばらく首を傾げる羽目に陥った。
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