第9話 我輩の友は世間知らずであった
ルドルのクロワッサンを食べ終え、遂に我輩は村を出て旅立った。ルドルと共にもう一度村を振り返り、頭を下げて軽く目を閉じる。黙祷、というものだ。
そして、決意を新たに出発し――早々につまずくことになる。
「それで、ルドルよ。まずはどこを目指せば良いのだ?」
『え。……分かんない』
しばしの沈黙。
そして、我輩はもう一度ルドルに尋ねた。
「ルドルよ。村を出た後は、どこを目指せば良いのだ?」
『……うん。本当にごめんね。僕、この村から出たことないし、地図も持っていなかったから本当に分からないんだ』
サポートとは。
初めの一歩でつまずく旅。これ如何に。
まあ、ルドルがいてくれるおかげで我輩は一人ではないし、道中も楽しいものとなるだろうが。なるだろうが。
まさかの一歩目でつまずく羽目に陥るとは。
つくづく面白い旅となろう。
「ふむ。困ったな。ではせめて、どこから旅人が来ていたか、とかは分からぬか?」
『……』
「ルドル?」
『ご、ごめんね。分からないんだ』
分からない。
どういうことだろうか。
ルドルは我輩に興味を持つくらい好奇心旺盛な子供である。旅人などという外の世界からやってきた者ならば質問攻めにしそうなものだが。
『僕ね。誰かよその人が来たら、母さんに家から絶対出ちゃ駄目だって強く言われてたから。本当に分からないんだよね』
「……何?」
出てはいけない。
つまり、外の者に会ってはいけないと言いつけられていたということか。
恐らく他の子供は問題なかったのだろうが、ルドルだけ駄目だったということだろうか。
それはつまり――。
「……顔を見せたらまずいことがあったということか?」
『どうなんだろう。昔は気にしたことなかったんだけど……。前に聞いてみたら、母さんそのことだけは頑なに教えてくれなくて。僕もちょっと不思議なんだけど』
「ふむ。……」
考えてみれば、初めて彼の母であるフリッサに出会った時、貴族らしい雰囲気を持っているなと感じた。訳ありなのだろうことは一目で想像が付いたくらいだ。
ならば、ルドルもどこか高貴な血を引いているということになる。
前に家を飛び出してきたと、苦笑いしながら独り言を呟いていた貴族の旅人がいた。彼は庶子だったということで、家に殺されかけたのを逃げてきたのだとか。
まさか、ルドルもそんな事情を抱えているのだろうか。
ならば、この顔で旅に出るのは果たして良いことか。
いや。
「我輩なら、どんな手練れが来ようと返り討ちにしてくれるわ」
『え?』
「ああ、いや。……分からないのならば仕方がない。とにかく、川に沿って歩いてみることにしよう」
『ご、ごめんね』
「良い。代わりに、人としてのルールを教えてくれ。数多の旅人から少し聞きかじっていたとはいえ、我輩は知らないことだらけであろう。変態扱いをして捕まってしまったら、ルドルの名誉に関わるからな」
『あ、そうか。うーん、そうだね。じゃあ、早速』
「うむ。頼む」
きりっとした感じの気配を感じたので、我輩もそれに倣う。何となく、ぴっと人差し指を突き付けた様な姿が思い浮かび、ふっと笑いそうになった。
いかん。せっかくルドルが教えてくれようとしているというのに。
思って、我輩が気持ち背筋を伸ばしていると。
『僕と喋る時、ミストルは結構大声を出しているから。他の人から見たら、一人で大声で叫ぶ変人にしか見えないと思うよ』
理不尽である。
憮然としてしまったが、何とかルドルとは念じるだけで会話が出来ると判明し、以後、人前ではそのやり方で会話をすることになった。
一人でいる場合は、いつも通りこうして声に出して会話をすることになった。実に理不尽である。
そして。
数時間ほど歩き続けた後。
「……ルドルよ。お前、何故、こうまで体力が無いであるか……っ」
『ご、ごめんねー。ちゃんと畑仕事はしていたんだよ? ……種を撒いたり、収穫したり、とか。草刈り、とかも。……家事とかも』
絶対に軽い仕事しかしていなかった。
ルドルのいたヤドルギ村は山の奥に位置するものだった様である。
故に何とか川に沿って山を降りていったのだが、足の裏が痛い息切れがする挙句の果てには我輩の剣を杖代わりにして歩かなければならなくなる始末。
到底長旅に耐えられる体ではない。
「……ハンターとやらに、本当になれるのか? これで」
『あ、ははー……。でも、ミストル、その、……才能がある、から?』
「才能があっても、資本が出来ていなければ同じではないか?」
まさか、ここまでルドルに体力が無いとは考えもしなかった。これほどまでに疲れとやらが、ひどく体に響いて辛いとは思わなかった。
これが、人間。
人間とは、不条理な生き物である。
『ううう……ごめん』
「良い。言い過ぎた、すまぬ。……我輩も似たようなものであるし。我輩をベースにしていても、同じだったかもしれぬな」
そう。我輩も千年以上土に刺さっていただけの身。もし我輩が我輩のまま体を作れていたとしても、ルドルの様に地面に崩れ落ちるだけだったかもしれぬ。
やはり、早急に体力を何とかしなければ。我輩は固く固く決意した。
「しかし、……水が綺麗であるな。こうして手を浸すと気持ちが良い」
『うん! 村でも使っていたお水だからね。……ミストルがちゃんと感じられて良かった』
ふふっと楽しそうに笑うルドルに、我輩も浸した両手を受け皿の様にして水を掬い、そのまま飲んでみる。
すると、清々しい冷たさが喉を伝って体の隅々にまで行き届いていく様だ。清冽な香りにもうひと口啜ってしまう。
「うむ。味も申し分ない。ルドルの村の者達はとても良いものを飲み食いしていたようであるな」
『そうだね。……都会は、全員がこういった新鮮なものを食べたり飲んだりできるわけじゃないって、母さんも言ってたよ』
「ほう? なら、お前の母親は昔は都会にいたということだな」
『そうみたい。あまり話してくれなかったけどね。……昔のことを語る時、ちょっと悲しそうな顔をしていたから。僕も聞けなくて』
「そうか」
やはり事情があるらしい。よけいにルドルの出生に秘密がある様に見えてならない。
まあ、よくある話だと前の庶子の旅人も言っていた。面倒事に巻き込まれそうになったのならば、すぐに距離を取れば良いだけである。いざとなれば身体強化魔法を使って、筋肉痛のリスクを背負って対処するだけだ。
「今日はここで野宿になりそうだな」
『わあ、野宿! 僕、やったことないんだ。嬉しい!』
「……さっき、ウサギを狩る時に『ちょっとかわいそう……』とか言っていなかったか?」
『そ、それはね。……でも、生きていくためだもん。流石に殺さないで、とは言わないよ?』
こういうところは、なかなか現実的だ。
ルドルはとても穏やかで優しい性格をしているが、我輩が村を襲った輩を全滅させたのを知っても怒ったり悲しんだり、ましてや恐がったりはしなかった。むしろ仇を討ってくれて嬉しいとまで言ってのけたのである。
過保護に育てられた故、そういう甘ちゃんな部分があっても良いとは思ったが、存外現実もしっかり見据える人物の様だ。ますます好感度が高まる。
とはいえ。
「ウサギを捌いた時は、絶叫していたのに。言うではないか」
『うううううううう! 思い出させないでよ! 分かってはいるの! 分かってはいるけど……生きたままっていうのは、結構ショッキングな光景で……!』
うわあああああああ、と耳を塞いで蹲る様な姿をしていそうなほどの呻き声を上げるルドルに、我輩は少し笑ってしまった。
成長したと思っていたが、まだまだ手のかかる子供の様である。
きっと、ルドルにも我輩が手のかかる子供の様だと思う時がくるのであろう。
そう考えると、何だかとても楽しい日々が待っている様な気がした。
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