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第4話 別れとは、何故


 本日は、少し空模様が怪しい。

 ごろごろ、っと少し遠くで雷の様な音が鳴っているのが我輩の下にも届いてきた。

 雷は、動くものに落ちる。

 危ないから流石にルドルも来ないであろう。

 そう思っていたのに。



「ミストル、おはよう! 今日も良い天気だよね。清々しい気分だなあ」



 来た。



 実に嘘だらけの挨拶を掲げてやって来た。

 本当にルドルは、あの熱を出した日以外はこうして欠かさずやって来る。もはや儀式なのではと疑ってしまうが、ルドルから伝わってくる波動はとても楽し気だ。義務で訪問しているのではないことくらい分かってしまう。

 やれやれ、と肩を竦めたくなる。剣なので出来ないが。


「午後から雨が降るんだって。だから、少し畑を守る様な細工をしてから来たから、遅くなっちゃったよ」


 雷が落ち始める前に帰った方が良いのである。


「雨が降り始めたら帰るつもり。ほら、傘を持ってきたんだ」


 雨が降る前に帰るべきである。


「それから、今日のパンはね、じゃじゃーん! 僕お手製のクロワッサンだよ! 今日は上手く出来たでしょ」


 確かに。前にもらった時は焦がして黒焦げで大変だったのである。


 ルドルは時折母のフリッサを見習ってパンを焼くのだが、これがなかなか酷い。

 ぺちゃんこで真っ平らになった食パンの成れの果てや、もはや何のパンだったかも分からないほどに真っ黒になったメロンパンだったらしきもの、パンになる前にかまどの中で爆発したり、ベーコンがどこかに消し飛んだベーコンパンの残骸。

 本日のクロワッサンは、あちこちが千切れ飛んでいるが、まだクロワッサンに見える。ねじれが見える。一応食べられそうな色をしている。

 彼は、普通の料理なら作れるらしいのだが、パン作りになると途端にポンコツと化すらしい。不思議な手である。――ついでに、それを持ってきて「食べてね」と言って置いていくのも不思議である。嫌がらせなのか。


「うん、美味しい! 今日は初めて、母さんに美味しいって言ってもらえるパンを作れたんだ」


 それは何よりである。


「だから、これは本日初めての! 成功パン! ……ミストルにも食べて欲しいな」


 うぐっ。思わず詰まってしまう。

 言い方があまりに静かで、願いを乗せる様な声音だ。微かに目を伏せるその青空の視線は、どこかで祈る様な色が見え隠れした。

 我輩は、剣である。

 だから、クロワッサンを食べることが出来ない。

 だが。



 ――だが。



「今日も置いていくから。食べてくれると嬉しいな」



 食べたくないわけがない。



 ずっと一緒に過ごしてくれた。これほどまで長い時間を同じ人物と過ごしたのは、我輩も初めてだ。

 情も湧く。興味も尽きない。

 本当の意味で言葉を交わしたい。一緒に美味しいものを食べてみたい。初めて食べた感想だって言い合いたい。

 そして。



 ――彼と共に、いつか。一緒に外を歩いてみたい。



 そんな風に思ったことがないと言えば、嘘になる。日を追うごとに、膨らんでいく愚かな欲望を見ないフリをして過ごしてきた。

 何故だろうか。

 我輩は剣。彼は人間。

 別に、特別な関係でもない。ただ、我輩は彼の言葉を聞き、時には助け、見守ってきただけだ。

 それなのに。何故だろう。



 これほどまでに、我輩が剣だったことを呪ったことはない。



「こうして、ずっと一緒にいてさ。話を聞いてもらって。……ここに来たら、すっごく落ち着くから。どんどん甘えが出ちゃうんだよね」


 彼も同じなのだろうか。

 彼も、我輩と言葉を交わしてみたいと。共に歩いてみたいと思ってくれているのだろうか。


「いつか、本当にいきなり声を出してくれるかもしれない、とか。……初めて助けてくれた時から。ずっと願ってたんだ」


 ミストルの声を聞いてみたいって。


「どんな声なんだろう。威厳のある声? 可愛い声? 男? 女? 声の大きさはどうなんだろう。小さいのか、大きいのか。でも、これだけ人を落ち着かせてくれる空間を作れる人なら、きっと……おおらかで優しい剣なんだろうなって」


 ルドルの方こそが、優しく頭を撫でる様な声で語ってくる。

 我輩は、そんな出来た剣ではない。ただ、自分がしたい様にしてきただけだ。

 今までも、ずっと。気まぐれに魔法を使って追い払ったり、誰かが溺れ死ぬのを目の前で淡々と眺めたり、独り言を言いながら泣いている旅人に何もしなかったり、研究者が煩わしくて祟りの様なことをしたり。



 ルドルとの出会いの時だって、ただいじめっこが気に入らなかったから手を貸しただけだ。



 感謝されることではない。

 その後、彼ら親子が村で過ごしやすくなったのは、間違いなく親子が努力したおかげだ。そして、己の行動を悔い改めた村人達の気持ちのおかげである。

 それなのに。


「ありがとう、ミストル。いつも僕に元気を分けてくれて」


 我輩は、何もしていない。


「いつも僕の話を聞いてくれるから、また頑張ろうって思えるんだ」


 ただ、声も届けられずに話を聞いているだけだ。

 ルドルは優し過ぎる。

 だから、これからも我輩が彼の成長を見届けるべきだろう。

 せめて、彼が人としての寿命を全うするまで、そんな日々を送るのも良い。

 彼と言葉を交わせないのは残念だが、それでも見守るくらいは出来る。

 だから――。



「じゃあ、また――」

「ルドル! 逃げろ!」



 ルドルが立ち上がり、名残惜し気に手を振ると同時に、鋭い叫びが飛んでくる。

 我輩も、ぶわっと真っ黒な気配が駆け寄ってくるのが肌――空気に晒されている柄で感じ取れた。

 本当にまずい。


「……アーク?」

「あいつらの目的は、そのミストルだ! 早くここか――」


 アークの言葉は、最後まで続けられなかった。

 彼の声が真っ赤に濡れ、そのまま、どしゃりと地面に倒れる。

 ルドルが、「え……」と訳の分からないといった声を出す。呆然と立ち尽くし、倒れ伏すアークを見続けていた。

 我輩も、突然の出来事で一瞬頭が真っ白になる。

 ありえない。

 ありえない。



〝きっかけは、ミストル。あんただ。だから、……ありがとう〟



 己の言動を顧みて、お礼を言える者が。こんな風に命を終えるなどありえない。



「アー……」

「……ああ、やっぱりここだぜ」

「魔剣って言うから、どんなご立派なところにあるかと思ったが……ちっせえなあ」

「っ。……あ、貴方達は、誰ですかっ」



 ルドルが震えながらも我輩の前に立つ。まるで我輩を守る様な動き方に、焦燥が駆け巡った。

 洞穴に踏み込んで来たのは、どう見ても野盗だ。どこの所属の盗賊団かは知らないが、今までも何度もこんなことはあった。魔剣である我輩を曰く付きの宝と見て、手に入れようと考える馬鹿な連中が、いつの時代にもいるのである。



 ルドル、逃げろ。我輩は、この手の輩におくれを取ることはない。



 それなのに。

 逃げろと、大声で我輩が叫んでいるのに。


「ああ? ……なんだ、まだ生き残りがいたのか」

「え……?」

「村の奴らはとっくに殺したのによお。そいつで最後だと思ったのに……よっ」


 しゃっと鋭く投げてきた短剣を、我輩が何とか風で軌道を逸らす。

 だが、逸らしただけだ。つむじ風で出来ることなど、たかが知れている。現に、ルドルの首を狙った短剣が、肩をかすめて傷を付ける。


「っ!」

「て、めえ。何だ? ……邪魔すんじゃねえよ!」


 逆上した荒くれ者が、ルドルに飛び掛かってくる。

 咄嗟につむじ風を出して転ばせたが、我輩が助けられることにも限界があった。

 仕方がない。考えて、彼らの目を薄い闇で覆う。


「っうあっ⁉ 何だこりゃあ!」

「前が……! 前が、見えねえ……!」


 両目を掻きむしる様に暴れる荒くれ者に、ルドルが当惑をしながらも我輩を振り返る。我輩の仕業だと気付いたのだろう。

 この闇は、視界を遮る効果はあるが、暗闇に目が慣れたら少しは見える様になってしまう。時間稼ぎはそれほど出来ない。



 ――逃げろっ!!!!!!



 ぶわっと、ありったけの風を、出口の方へ向かって吹かせる。全力なのに相手を斬れない程度の力しかないのが恨めしい。

 だが、ルドルには通じた様だ。泣きそうな顔をしながら駆けて行き。

 けれど、もう一度振り返って。


「ミストル! 無事でいてね!」


 泣くのを堪える顔は、二度目であるな。


 そう思いながら、出口へと向かっていくルドルを見送る。

 これでひとまずは安心できるだろうか。



 そう考えた我輩は、愚かだった。



「――なんだ。まだ生き残りがいたのかよ」



 どっと、不穏で残酷な音が出口まで走ったルドルの体を貫く。

 そのまま、がくんとルドルの膝が折れ、地面に吸い込まれる様に崩れ落ちた。

 我輩は、その時何を見ていたのだろうか。分からない。

 ただ、ルドルの背中に剣が生え、それが消えたと同時にゆっくりと倒れていくのを冗談みたいな速度で見届けてしまった。

 ルドルの体は動かない。何も発しない。我輩の方も振り返らない。

 見えたのは。



 ルドルの体を蹴り飛ばし、せせら笑いながら向かってくる髭面ひげづらの男だけだった。



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