第19話 我輩から盗みなど不可能である
街の喧騒から離れた場所へ行くと、薄暗い路地裏が複雑に入り組みながら広がっていく。
前にスラムとやらから来たという者が、我輩の前で「この世は、結局金ある奴の天下か」と言って力尽きていったのを覚えている。彼から辞世の句の様に聞いた内容はそれは劣悪で酷いものだった。
しかし、この路地裏は街の中心よりも薄汚れた衣服を纏ってはいるが、路地のあちこちで野垂れ死んでいたり、転がっていたりということはない。
表よりはあまり空気は良くないが、それでも悪すぎるということもない。あまり足を踏み入れたいとも思わないが、特別忌避したいとまでも思わなかった。
ただ、手癖が悪そうな者はあちこちには潜んでいる。生活に適応出来なかった者が集まっている様な印象を受けた。臭いもそれなりにする。
だが、思ったよりは悪くない。
「ふむ。スラム、みたいな場所もあるとは聞いていたが。そこまでではなさそうであるな?」
「ヴァルス様が心を砕かれているからな。この裏町は最低限の……本当に最低限だが生活は保障されている。病気をすれば一応医者や教会の者に無料で診てもらえるし、食事も一日に一回分は少しだけ配給している」
「ふむ……確かに最低限過ぎるが、……あまりタダであげ過ぎると、周りが黙っておらぬ、か」
「ああ。その制度を利用して働かないっていう者も増えかけてなあ。……前は、その配給をする過程で働かせて社会復帰の支援、というやり方もしていたのだが」
「ほう、それは良いな。しかし、今はやっていないということであるな?」
「ああ。……その過程で、盗みを働く者が出てしまったりなど問題が起こってしまってなあ。少し内容が厳しくなってしまったんだ」
あちらを立てればこちらが立たぬ。
少し違うかもしれぬが、バランスを保つのは難しい。心に余裕が無ければ、相手の方が恵まれていると妬ましく思って攻撃する者も出て来る。
おまけに、善意での救済のための制度を悪用する者が出てくるのも、人間あるあるだ。
内容が厳しくなったのは残念だが、再発防止の意味合いもあるのだ。我輩がどうこう口に出来る問題でも無い。
「それに……ここにいる奴らは、どうしても社会に馴染めずに脱落したり、真面目に働けない奴もいるって言うかなあ……」
「ふむ。社会に馴染めずはいじめなどがありそうだが……真面目に働けないとは……何であるか? 就職先が無かったとかであるか?」
「そういうのもあるけど、真面目に働けないって言うのは、そうじゃなくてな。うーん、真面目に働こうって頑張るんだけど、誘惑に弱いって言えば良いのか? 悪いお誘いに抗えきれずに、何度も負けて最終的に落ちていった奴らが自然と集まってしまう。ここは、そういう奴らや、そういった人間の家族が集まる場所みたいなもんなんだ」
「なるほど。……まあ、人間とはそれぞれであるからな」
どれだけ性根を変えたくても変えられない者もいる。そういうことであろう。
ルドルが「そうなんだ……」と少しショックを受けている。彼は、とても心の優しく真面目な青年だ。あまり、誘惑に負けて悪事に手を染める、というのが理解出来ないのかもしれない。ルドルはそれで良い。
「ああ、そうだ。お前さん抜けてそうに見えるからなあ。ここでは、スリとかには気を付け――」
「大丈夫だ。こういう子供達のことを言うのであろう?」
「……。……凄いなあ。早々に二人の頭を鷲掴みにして宙ぶらりんにしてる奴は、初めて見たわ」
ぶつかろうとしてきた子供が二人ほどいたため、彼らの頭を鷲掴みにした。
そのまま持ち上げてやると、子供二人が「やめろー!」と手足をばたばたさせて喚いている。完全に何かを盗んでやるぜ、という目をしていたので、ぶつかるなどとんでもなかったのである。
『ミストルって、やっぱり強いよね! 僕だったらすぐお金盗まれちゃってたかも』
『その時は、お前の分まですぐに取り戻してやろう。任せるが良い』
『うーん、頼もしい! でも、そろそろ下ろしてあげた方が良いかも?』
『そうであるな。……こういう小さな子供達は、なかなか仕事にありつけぬであろう。もし親がいて、それが先程ラルズが言った様な人種であったならば……憐れではあるな』
すとん、とそのまま地面に下ろしてやる。
途端にまたぶつかってこようとしたので、もう一度頭を鷲掴みにして宙ぶらりんにした。じたばたと手足をばたつかせるあたり、学習しない。馬鹿なのであろうか。
「お前達。あまり目に余るようならば、自警団あたりにでも突き出すが?」
「そ、それはやめろ!」
「だって、あいつらぼくたちのこといやなめでみるもん!」
「それは、そうやって盗みを働こうとするからであろう。……ラルズよ。子供が保護を求める制度は無いのであるか?」
「あるにはあるが……。……支援を受けているとはいえ、どの孤児院も楽ではないし、全員を受け入れるのは難しい。それに、馴染めなくて脱走する奴も一定数いるんだよ……」
「ふむ。……難儀であるな」
どこまで手を貸すか。どこまで関わるか。
政策を施しても万人を救えるわけではない。そして、手を差し出しても振り払う人間もそれなりにいる。
そんな彼らに手を差し伸べ続けられる人間は、それこそ多くはない。我輩も、そこまで面倒を見切れるかと言われれば、NOである。
ルドルは何か言いたげではあったが、綺麗ごとを言うだけで全てが救えるわけではないことも分かっている。彼は田舎育ちではあるが、きちんと現実を見れる冷静な人間である様だ。
優しさだけで人を救えるなら、世界には汚いものなど広がってはいない。
冷たいようではあるが、これ以上彼らに構っている余裕もない。
故に、もう一度地面に下ろしてから、圧をかけた。手加減はしたが、それだけで子供二人は縫い付けられた様に動けなくなる。
見たところ、四、五歳くらいと十歳前後くらいか。
行こうか放置するか迷っていると。
ぐうううううううううううっ。
「――」
「……」
『……』
大きな音が辺りに鳴り響いた。
音の出所は、我輩の目の前の二つ。当然、子供二人の腹に自然と集中が砲火する。
「……ううううううううっ」
ぷるぷると、年上の方の子供が恥ずかしそうに俯いていた。頬も紅潮している。腹の虫が鳴る、とはこのことなのであろう。
つまり、彼らはお腹が空いている。
だが、食べるものはなさそうだ。
よれよれで薄汚れた衣服。そこから覗く肌はがりがりだ。髪もぼさぼさで整えられていないし、そんな彼らに近付きたいと思う一般人はいないであろう。
『……この子達、必死なんだよね』
そうだよね。
ぽつりと零すルドルの声は、感傷に満ちていた。
ルドルの生い立ちは、決して裕福とは言えぬ。
初めて出会った時は、親子で迫害の様な仕打ちを受けていた。父を亡くして母一人で慣れぬ畑仕事をし、家事もし、幼い息子を育てていた。
そんな母を見て育ってきたルドルは、成長していくにつれて環境が良くなるまでは、それこそ生きるのに必死だったのかもしれない。この子供達の様に盗みはしなくとも、ひもじい思いも経験もしていたのかもしれない。
詳しく聞いたことはない。ルドルは、我輩の前ではいつも大好きな母や楽しかったことを一方的に話してくれるだけだったから。
しかし、そんなことが無かったとしても、ルドルは優しい子だ。現実的に全てを救うのは無理でも、せめて目の前の子はと思ってしまっても不思議ではない。
――ふむ、と一つ考えて提案をしてみることにした。
「我輩達は忙しい。これ以上盗みを働こうとするのならば、問答無用で自警団に突き出す」
「……ううっ」
「それは……」
「故に、もし金が欲しいのであれば、今から案内をするが良い」
「……え?」
意外な注文だったのだろう。
子供二人が、きょとんと目を大きく瞬かせた。ラルズも、は? と口から何か落としそうな間の抜けた表情をしている。
ミストル、と呟くルドルの声は、どこか泣きそうな気配を滲ませていた。
「お前達、闇ギルド、というのは知っているだろう?」
「……やみぎるど」
「それって、……ボスがいるところか?」
「そうだ。知り合いか?」
「知り合いっていうか……」
「……ときどき、たべもの、くれる」
なるほど。
闇ギルドのボスというのは、この裏町にいる子供達を気にかけているのやもしれぬ。ならば、まだこの子供達の未来も捨てたものではない可能性があるな。
「ならば、案内せよ」
「……え」
「そうすれば駄賃をくれてやる。……ラルズよ。ここにいる子供達も、金さえ払えば表で物は買えるな?」
「ああ、まあ。……分かった。見回りしている自警団達に言付けをしておく」
ぴいっと口笛を吹くと、ラルズの下に一羽の鷹が舞い降りてきた。くるっと鳴いて降り立つその様は、主人に懐くペットの様だ。
もしかして、これは鷹を使って伝書鳩的なことをしているのであろうか。初めて見る光景に、わくわくした。
『もしかして、伝令の鷹かな? すごいね、ミストル!』
「うむ。初めて見たぞ。その鷹は、ラルズに懐いておるのか?」
「ん? ああ、そうだな。これで、他の自警団の者達への伝令をする。……中には、ここの子供というだけで、金を払っても物を売らなかったりする奴もいるからな。そういうことが無い様に見回りを強化する」
「それは良いな。……聞いたか? 我輩が払った金で、きちんと物を買え」
「――」
「う、うん!」
子供の元気な返事に我輩も満足して、うむ、と一つ頷く。
ただ金を渡すだけだと、癖になっても困る。金を稼ぐには、やはり対価となる労働が必要であろう。
しかし、これも結局はその場しのぎであることに相違ない。何か継続的になるキッカケがあれば話は違うのであろうが。
「……もし叶うのならば、お前達もこんな風に、案内の様な仕事をして金を稼げると良いのであるがな」
「え……」
「案内だけでお金ってかせげるの?」
「うん? 観光案内みたいな仕事があると、前に聞いたことがあるが……」
確か旅人が、観光で我輩の元に立ち寄った時に、そういったガイドの様な者に案内をしてもらったことがあると話していたことがある。だから、てっきりそういう仕事があると思っていたのだが。
「ミストルが言っているのは、案内人のことだなあ。……なるほど。まあ、この子供達はある意味この都市の隅々まで知り尽くしているからなあ。それは出来るかもしれんが」
「需要があるのであれば、良いのではないか?」
とはいえ、この姿では仕事にありつけるのは夢のまた夢であろう。
「……あとは、そうであるな。ボスとやらに話を付けてみるか」
「うん? はい? 何を?」
「この子供達の服である」
「???」
我輩の思い付きに、ラルズは付いて行けない様だ。子供二人も然り。目を白黒させている。髪や目の色も背格好もまるで似ていないのに、まるで兄弟の様だ。
『ふふ。一緒に育っているのかな? 兄弟みたいだね!』
ルドルも同じ感想を抱いた様だ。ふむ、と我輩も微笑ましく同意する。
『そうであるな。この子供達が、この先真っ当に生きられるかは、それこそ彼ら次第であろうが』
『うん。ミストルは優しいよね。……ありがとう。僕も嬉しい』
『気まぐれだ。……我輩は、全ての者達に手を差し伸べるほどお人好しではない故な』
『それでいいんだよ。……目の前にいない人まで救えるなんて、そんなことあるわけないんだし』
目の前にいる人でさえ救えないことも多い。
ルドルは言葉にはしなかったが、我輩にはしっかりと伝わった。
そして、それはそのまま我輩に返る言葉である。
我輩は、目の前にいたルドルを救えなかった。
その傷は、一生残り続けるであろう。
ルドルが「そういう意味じゃないよ」と慌てた様に言ってきたが、首を振る。これは、我輩が勝手に背負うと決めた傷なのだ。
「さて。案内してくれ。駄賃は弾むぞ」
「うん、わかった!」
「にいちゃん、こわいけど、いい奴だな!」
恐いは余計である。
何となく面白くなくて口をへの字にすると、ラルズが腹を抱えて笑ってきた。もちろん、背中はばしんと叩いておいた。
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