第十話 『転校生 オブ 群馬』
西暦2082年5月5日 火曜日 午後 2時10分
草木が生い茂り、見渡す限り緑、緑、緑……そのようなジャングルに一人の男が木の棒を杖にしてノロノロと歩いている。
この男の年齢は40歳前後といったところだ。ジャングルに不釣合いな紺色のスーツを着ており、そのスーツにはいたるところに泥や土が付着し、更に所々破れており超ボロボロだ。
その男はしばらく歩き続けていたが……蔦に足を引っ掛けて、前のめりに転んだ。
「もょもと!!」
男は謎の声を上げて地面と思いっきりキスをする。しばらく地面と濃厚なキスをしていたが、ゴロンを仰向けに転がり大の字になる。どうやらもう起き上がる体力も気力もないらしい。
その男は後悔していた。ある目的でこのジャングルに来たのは良いが、食料の選択を完全に間違えた。
(食料をんまい棒だけにするんじゃなかった……美味いけど、パサパサしててやけに喉が渇くんだよな、アレ……)
んまい棒とは、一本10円の子どもから大人まで幅広く人気がある駄菓子である。サラダ味やたこ焼き味、チーズ味やハワイアンブルー味、ホットケーキミックス味やプロテイン味…等など、様々な種類の味がある。
この男は食料として5000円分のんまい棒だけを用意して、このジャングルにやってきた。結果はんまい棒に体中の水分を持ってかれて、現在は餓死寸前に追い込まれている。
また、彼を危険な状態に追い込んでいるのは食料の問題だけではない。このジャングルに入ってから、彼は色んな動物に遭遇してきており、何度も死ぬ思いをしてきた。
3mくらいの熊に出会い、死んだ振りをしてやり過ごした。大量のメスのライオンに追いかけられ、木の上に登り一日過ごす。謎の部族に捕まり「オレ、オマエ、トモダチ。マブダチ」と説得して仲良くなった。夜寝ていたら何故かペンギンさんに囲まれていじめられた……等など、よく今まで生きてこられたのか不思議である。
(すまない、妻よ、息子よ……父さんはここまでのようだ……)
喉が渇きすぎて彼は何も感じなくなっていた。意識が朦朧として体を動かそうと脳が指令を出すが、指先一つ動かない。彼は目を閉じようとして、何かを捉えた。
(あれは……そうか、お迎えってやつか……天使って、思ったより天使っぽくないんだな……)
薄れていく視界の中で、彼が見たものは……槍を持ってこちらに近付いてくる、民族衣装っぽいのを着た半裸で褐色の肌の少女だった……。
西暦2082年6月3日 水曜日 午前8時23分
茂団高校に入学して、二ヶ月が経った。1年1組の教室ですっかり慣れてしまった朝のホームルーム、今日もいつものように何事もなく終わると思いきや、最後に長谷部先生が重大な発表をした。
「さて、皆さん! 突然だけど、今日から皆と一緒にお勉強するお友達が増えます! わーい、やったね!!」
長谷部先生がにこやかに笑い、一人でパチパチと拍手をする。教室の生徒達は
「え、転校生?」「聞いてない!」「マジかよ!」「ニンジャ? モシカシテニンジャ転校生ッスカ?」「俺はトンヌラ派」
とガヤガヤと騒ぎ立てる。ニンジャ云々はカリンさんだ。その次の『俺はトンヌラ派』の意味がよく分からない、多分寝ぼけているんだと思う。
「みんなー、静かにー!」
パチン! っと長谷部先生が手を強く叩いたので、生徒達が静まる。
「はーい、黛さん、入ってきていいわよー」
長谷部先生が戸に顔を向けて声を掛けると、待ってました! と言わんばかり戸がガラッと勢いよく開く。
教室に入ってきたのは、黒いタンクトップに深緑色のショートパンツを身に着けた褐色の肌を持つ少女だ。
「ふむ、ここが教室かえ」
黛と呼ばれた転校生の少女は、教室中の生徒を見渡し高校生にしては幼さを感じる声でそう言った。
転校生の身長と体型は長谷部先生と変わらないように見える。背は140cmもなく、凹凸のない体型はまるで小学生だ。髪はミドルヘアで、後ろ髪は腰に届く程長くて緑色のリボンで縛って纏めている。特徴のある鋭い切れ長の目は獲物を狙っている時の猛禽類のようだ。右手に彼女の身長より長い棒を持っているので、気になって注目すると……。
(あれ? 棒の先っぽに鈍く光る刃物のような物が付いているんだけど……槍? あれ槍なの? いやでも普通、学校に槍なんて持ってこないよな……。いやそれ以前に普通の人はまず槍なんて持ってないんだけど……)
「それじゃ黛さん、チョークで黒板に名前を書いて、自己紹介してね」
「分かったのじゃ」
黛さんが長谷部先生に近付き、持っている槍を左手に持ち替えて、右手で長谷部先生からチョークを受け取る。黒板に向かって慣れない手付きで名前を書いていく。
ガタガタと歪んだ字で『黛 晶』と何とか読める名前を書き、一仕事終わったぜぇ! って感じにフゥー……っと息を吐いた黛さんは、クルッとこっちに振り向いて右手を腰に当てる。
「群馬から来た、黛 晶と申す。皆の衆、よろしく頼むのじゃ」
群馬――その言葉で、教室の生徒達に衝撃が走る……!
教室の生徒達はさっき以上に、超ガヤガヤと騒ぎ始めた。
「え、群馬?」「あの未開の地から来たのか?」「ああ、だから槍を持っているのか」「あの槍、本物なの?」「群馬だし本物じゃね?」「パネェ、スピアーマジパネェ!! 拙者モ欲シイ!!」「槍って学校に持ってきていいのか?」「生徒手帳で校則を確認するか……うん、校則には学校に槍を持ってきてはいけない、なんて書いてないな」「そうか、ならいいのか」
新潟県のお隣にある群馬県、それは未知の領域と言っても過言ではない。
2020年頃、日本人の群馬県のイメージは未開の地やジャングル等といったものになったそうだ。なぜそうなったのかは理由は未だ不明である。
昔、新潟県で寂れた町村を大正のような町並みにする都市計画があり、群馬県も新潟県を参考にして、県全体をジャングルにする改装をした。更に動物園の動物を全て解放したので、県全体がサファリパークになった。本当にライオンである。
それから数年経つと、何故か群馬県は他の県との交流を嫌うようになり、孤立するようになった。現在、群馬県の情報がまったく流れて来ないので、群馬県の正確な状況を知る者は、群馬県人以外にいないだろう。ただ、しょっちゅう栃木県民となんかしらの事件を起こしているので、群馬県民と栃木県民は仲が悪い事はだけは分かる。
群馬県では森の奥にグンマーの民と呼ばれる部族が住んでいるとか、超高級なアイスクリームを作る秘密の工場があるとか、真夏の気温は50度を超える……等など、噂が絶えない。
群馬からの転校生は、僕達にとってマグロを食べると「マグロうまい」と喋る猫並みにの珍しいと言っても大げさではないだろう。
「はいはい、静かにー! お喋りは駄目よー!」
パチン! っと長谷部先生がまた強く手を叩き、生徒達に注意する。シィン……と教室が静まり返った。
「黛さんは、茂団高校の制服を事情があって着れないそうなので、特別に私服で学校に通う許可を貰ってます。だから、服の事は気にしないであげましょう」
「「「はーい!」」」と生徒たちが元気良く返事をする。
「よし、じゃあ……黛さんの席は……」
黛さんの席は窓際の空いている席になるだろうと僕は思ったし、他の生徒もそう思っただろう。次の長谷部先生の言葉に生徒全員――特に一番僕が耳を疑った。
「藤堂君か大塚さん、席を窓際に移ってくれるかな? 黛さん、高橋君の隣が良いみたいだから」
「……は?」
予想外すぎる言葉に素っ頓狂な声を上げる僕。教室の生徒達からの視線がグサグサと僕に刺さる。このクラスの高橋という苗字の生徒は僕しかいない。ちなみに、藤堂君と大塚さんは僕の両側の席の生徒だ。
(今長谷部先生は何と言ったのだ? 黛さんは僕の隣の席が良い? 何で? パードゥン?)
脳内に突然アメリカ人の男性が出てきた。両手を持ちあげて肩をすくめてやれやれまいった、みたいなジェスチャーをしている。ってか誰だこのアメリカ人。
「ちょ、ちょっと! 黛さんが僕の隣の席が良いってどういう事ですか?」
気付いたら僕は席をガタッっと立ち上がり、長谷部先生に疑問をぶつけていた。
「近い席なら気軽に分からない事とかを黛さんが高橋君に訊けていいでしょう? 二人は知り合いみたいだし」
「そうじゃ」
誓ってもいいけど、僕は黛さんを知らない。絶対に初対面だ。……そういえば、僕は無宗教だけど、この場合どの神様に誓えばいいんだ? うーむ……と悩んでいるうちに……次の黛さんの発言で、教室は混沌と化す。
「まぁ知り合いというか、恋人同士じゃよ」
黛さんが友達に挨拶をするかのような気軽さでそう言ってのけたので、その言葉を瞬時に理解出来る者は僕を含めていなかっただろう。
黛さんの言葉が理解出来なかった僕の脳はパニックに陥り、美雪ちゃんに初めて会った時のように脳内の会議室で沢山の小さい僕がワラワラと集まって、緊急会議を始めた。
~僕の脳内~
「みんな揃ったな。では、これより第4650回緊急脳内会議を始める。議題はこの『恋人同士じゃよ』の意味だ」
「……これ、そのまんまの意味では?」
「……うん」
「……会議開く意味、あります?」
「……そうだな、ごめん。主に報告しようか」
「「「おーう……」」」
~現実~
黛さんの言葉を理解し我に返った僕。1年1組の教室は煩さはガヤガヤというレベルを超えていて、ギャアギャアと更に騒がしくなっていた。
「へ? 恋人同士?」「嘘っ!? 高橋君が!?」「テンション上ガッテキタァァァ!!」「先生!カリンさんが左右にブレまくってます!!」「最近の若い子ってば、青春ねぇ……。先生ね、昨日コンビニでお釣りを貰う時、イケメンの店員さんに手をギュっ!! って握られたのよ。手をギュっ!! とよ。うふふ」「駄目だ、長谷部先生が遠い目をしている!」「ムワアアアアアア 」「みみみ、みんな! あわあわわわわ慌てるな!!」「そういや、橘先生ってまたお見合いに失敗したらしいよ」「カリンが国語のテストで-10点取ったってマジ?」「高橋君ってよく見ると童顔で可愛いわね。弟にしたいわ」「たい焼きはお腹から食べる」「ナデナデシテー」
皆、好き放題に騒いでいる。
長谷部先生がうっとりと遠い目をしているので、生徒達を咎める気配はない。この状況の収拾をどうやって付けるのか……。
頭の中が混乱しグチャグチャになる。
(僕と黛さんが恋人同士? いやそんな訳はないさっき会ったばかりだし、橘先生は噂だと婚カツに必死らしい、カリンさんが国語のテストで-10点を取ったのは事実だ国語のテストは全問間違えて更に自分の名前を『カリソ・エトワーズ』と書いて-10点に減点されていた「100点取ルヨリスゲェンジャネ!?」と超ドヤ顔で解答用紙を見せられた、顔の弟系よりも高身長のカッコいいイケメンになりたい、同士よ僕もたい焼きはお腹から食べるワイルドな感じが好きなんだ、カリンさんエリザベスの電源をOFFにし忘れているな……あれ、一体何を考えてたんだっけ?)
僕の思考はこのカオスな空間でのせいで訳が分からなくなり、頭の中が真っ白になる。僕の脳はこの事態から脱出する為に緊急停止命令を下した。即ち、気絶である。
僕は茂団高校に入学してから二度目の気絶をする事になった。
西暦2082年6月3日 水曜日 ??時??分
「月子ォォ!! 好きだァァ!! お前がァァァッ!! 欲しいィィィッ!!!」
夕日が眩しい茂団高校の屋上、そこで僕は五十嵐さんに愛の告白をした。
「私もだ! 洸!! 嬉しいィィィ!!」
五十嵐さんが僕に駆け寄り抱きつく。
僕と五十嵐さんは無言で見つめあい、そして……お互い目を閉じて唇を少しずつ近付けていく。
(父さん、母さん……高橋 洸は大人になります!!)
「スタァァァァァァップ!! なのじゃ!!」
突然、バタァン!!と大きな音がして驚いて目を開けた。屋上の扉を開け放ち、転校生の黛さんが怒りの形相で立っている。
「洸、浮気は駄目じゃぞ!!」
「……浮気?」
黛さんがビシッ!! と右手の人差し指をこちらに指し叫び、五十嵐さんが僕に抱きついたまま首を傾げる。
「そうじゃ! わらわと洸は恋人同士なのじゃ!! 今世紀を代表するアツアツカップルなのじゃ!!」
黛さんはどうだ! と言わんばかりに両腕を組んでドヤ顔を僕達に見せる。
「見損なったぞ、洸……好きだったのに……ぬぅん!!」
五十嵐さんのつり気味な目を更につり上げて…抱き合った状態のまま、僕のお腹に膝蹴りを食らわせた。
「グフ! ……ちょ! 五十嵐さん、誤解だって……」
「黙れ、浮気者……ハァッ!!」
五十嵐さんは僕を抱きしめるのを止めて、見惚れるような華麗な回し蹴りを僕の胸目掛けて放つ。
シュパッ――!! と風を切る音が聞こえた時には、僕の体は屋上のフェンスにぶつかって床に倒れていた。
「ガンダーラ、やってしまえ」
「Yes master!!(了解だ、ご主人!!)」
人間が出せる声とは思えない低い声が辺りに響き、僕と五十嵐さんの間の空間に瞬間移動をしてきたかのように巨大なペンギンが突然現れた。
そのペンギンは身長3mくらいで、目付きが悪い。太い眉とモヒカン頭がより一層、ガラを悪くさせていた。このペンギンは五十嵐さんのガンちゃんだろう。
ガンちゃんは巨大な釘バットを持っており、ペタペタと可愛いらしい足音を立ててゆっくり僕に近付いてくる。
ガンちゃんから逃げようと体を動かそうとするけど、金縛りにあったかのようにまったく動かない。
「Romeo must die!!(色男は死ぬべきだ!!)」
ガンちゃんが両手で巨大な釘バットを大上段に構えて、僕に振り下ろした。
僕が最後に見たのは……黛さんの計画通りって感じの邪悪な笑みだった……。
西暦2082年6月3日 水曜日 午後 16時10分
「ぬわーーっっ!!」
絶叫を上げながら僕の意識は覚醒した。
「……あれ、ここは?」
独り言を呟き、起き上がる。見覚えのある白い部屋だ。僕はベッドに寝かされている。
(ここは……保健室?どうして僕はこんなところに……ああ、そうか)
朝のホームルームがカオスと化して…もうどうしようもできないので、僕の脳が気絶する事を選んだのだろう。
(とても恐ろしい夢を見ていた気がするけど、なんだっけ?)
腕を組み思い出そうとするけどまったく思い出せない。
まぁ夢なんていいか、と思い出すのを諦めて立ち上がろうと体の向きを変えた時
むにゅ
左手が何か柔らかい物に触れた。
何に触ったのかと首を左に向けると、僕のすぐ隣に安らかな表情で寝ている黛さんがいた。僕の左手は黛さんのほっぺたに触れている。夢を見ているんじゃないかと思って黛さんのほっぺたを触ってみると、指にぷにぷにと柔らかい感触が伝わってきた。
(……え? どうして、黛さんが僕と同じベッドにいるの?)
目の前の現実に僕の脳の処理が追いつかない。夢なら覚めてくれと願って自分の顔面に一発思いっきりパンチをしてみるけど、顔が超痛い。夢じゃないようだ。
「むにゃむにゃ……マジでサンバディトゥナイなのじゃ……」
黛さんがよく分からない寝言を呟く。目の前の黛さんは僕の脳が生み出した幻覚とかではないらしい。
(って事は……これは現実? なら、僕は……黛さんと一緒に寝てたの? 同じベッドで?)
僕は女の子と同じベッドで寝ていたらしい。
その事を脳が理解した時、羞恥のあまり僕は女の子のような悲鳴を上げていた。
「イヤァァァァァ!!」
「んん……? なんじゃ、うるさいのう……」
黛さんが上半身を起こし、「ふぁぁ……」と両手を上げて大きな欠伸をする。パチリと目を開け、僕と目が合った。
「おお、気が付いたか。あんまり目を覚まさないんで心配したぞ。ふぁぁ」
黛さんは口元に手を当てて、また大きな欠伸をしながらベッドから降りた。
(とりあえずどうしよう?! どうして一緒に寝ていたのか訊いてみようか?! いやそれよりもまったく覚えのない恋人の関係の事が先か?!)
頭の中で何を訊こうと考えているうちに「お、そうじゃ」と言って、黛さんが深緑色のショートパンツのポケットから茶色い封筒を取り出して僕に見せる。
「そなたの父上からの手紙じゃ」
「え……? 父さんからの手紙?」
父さんは今キリンの角を折りに何処かに行っている。その父さんの手紙をどうして黛さんが持っているんだろう?
黛さんからその封筒を受け取り、封を開けて中身を覗く。三つ折の紙が入っていて、紙を取り出して読んでみる。
渚と洸へ
晶ちゃんは俺の命の恩人だ。
晶ちゃんは茂団市に何か用事があるみたいだが、泊まる所がなくて困っているそうなので、我が家に泊めてやってくれ。
洸と晶ちゃん、若い男女が一つ屋根の下に一緒に住んでいるとご近所に知られたら、変な噂が立ったり世間体的にアレなので、晶ちゃんに洸とは恋人同士だと言うように言い聞かせてある。これで安心だ。
追伸
キリンさんって強いんだな、蹴りが超痛い。
このヒョロヒョロな文字は見覚えがあり、間違いなく父さんの文字だ。
「えっと、僕と黛さんが恋人同士って……父さんの入れ知恵で、嘘なの?」
父さんからの手紙を読んで、しばらく呆然としてたけど…何とか頭を働かして声を出す。
「そうじゃ、そなたの父上は頭が良いのう」
黛さんは尊敬の眼差しで僕を見つめている。
(いや別に僕と黛さんとの関係は恋人同士じゃなくて、親戚とかでもいいじゃないか! 父さんのバカァァァァァ!!)
朝のカオスなホームルームの原因は父さんだ。父さんに行き場のない憤りを感じて、心の中で叫ぶ。
「どうしたんじゃ? 怖い顔して」
黛さんの声で我に返った。黛さんは心配してか僕の顔を覗き込んでいる。
いつの間にか僕は怖い顔をしていたらしい。
「な、何でもないよ!」と黛さんに笑いかけてベッドから降りる。
黛さんと正面から向き合い、いくつか疑問を訊いてみる。
「あの、黛さん。もしかして僕と一緒に……その、寝てたの?」
「ああ、授業が終わってもそなたが寝ているものじゃから、心配してずっと傍で見ていたんじゃが……ついウトウトと眠くなってしまっての。誘惑に負けてベッドに横になってしまった。すまんな、窮屈じゃったか?」
「いや、窮屈とかじゃなくてね…僕と黛さんが一緒のベッドで寝る事が問題なんだけど……」
「何故じゃ?」
黛さんは本当に分かってないようだ、首を傾げる。この様子だと説明しても理解してもらえないだろう。「いや、やっぱりいい」と言って次の疑問を訊いてみる。
「父さんを助けてくれてありがとう、今父さんはどんな具合なの?」
「そなたの父上は大丈夫じゃ、今わらわの村で療養しておる」
「父さんが迷惑を掛けたみたいでごめんね」
「なぁに、気にするな!大した事はしていない!!」
えっへん! と黛さんは自信満々な顔で、両手を腰に付けてまっ平らな胸をツンと反らす。
「そうそう、洸。手紙にも書いてあると思うが、しばらくそなたの家に泊まらせてもらうぞ。寝床がないんじゃ」
(うーん……寝る所がないみたいだし、反対するのは可哀想だよな……。ご近所さんには変な誤解をされそうだけど、黛さんとの関係は親戚って言っとけば大丈夫か)
「うん、僕はいいけど……あの、僕と黛さんとの関係は恋人同士じゃなくて、親戚って事にして欲しいんだ」
「なぜじゃ?」
黛さんが腕を組むのを止めて、僕の顔を覗きこむように身を乗り出す。
「いや、なぜって……黛さんは嘘でも僕と恋人同士なんて嫌でしょ?」
「嫌ではないぞ。わらわに恋人なんて始めてじゃからの、ワクワクしておる! 本当の恋人同士でもわらわは一向に構わん!!」
黛さんが無邪気の笑顔で答えた……が、突然悲しそうな表情をして俯いた。よく見ると目に涙を浮かべている。
「もしかして、洸は……わらわと恋人同士は嫌か?」
(どう答えたらいいんだ?嫌と言ったら泣かせてしまうかもしれないし……嫌じゃないなんて言ったら……どうなるんだ?想像するだけで怖い……」
僕と手を繋ぎながら「わらわ達は恋人同士なんじゃー!」とご近所さんに言って回る黛さん。
お昼休みに1年1組の生徒に注目されながら「はい、ダーリン!あーん……」とお弁当のおかずを僕にあーんさせて食べさせようとする黛さん。
「娘は渡さん!!」っと突然現れた僕の考えた黛さんのお父さん(黒い肌で身長2mくらいのムキムキマッチョ)に殴られてペチャンコになる僕。
(考えただけでも恐ろしい……!! 何としてでもこの状況を切り抜ける言い訳を考えなければ…!!)
脳味噌をフル回転させて、必死に言い訳を考える。
(僕と黛さんは出会ったばかりなんだ……その事を上手く活かせば、説得できるかもしれない……)
黛さんに言う事を頭の中に纏めて、深呼吸を一回してから口を開く。
「あの、黛さん……僕達、まだお互いの事をよく知らないし……恋人ってのは早いと思うんだ。もしかしたら僕、凄く嫌な奴かもしれないよ?」
黛さんは「ふーむ」と言って僕の目を少し涙目で真っ直ぐ見つめている。
「そなたの言うとおりかも知れんの、お互いの事をよく知らんのに恋人同士というのはちと早急じゃな」
案外、すんなりと納得してくれた。
そういえば今何時なんだろう? と思って、壁に掛けてある時計に目を移す。
(16時30分…!? 放課後じゃないか! 僕は7時間も寝ていたのか…?)
今日の授業を僕は全部欠席したらしい。
(何の為に登校したんだろうか……)
まぁ…いいか、これからどうしよう?
(黛さんを家に案内しないとだし、今日は遺物研究同好会に寄れないな)
「黛さん、帰ろうか。僕の家に案内するよ」
「うむ、頼むぞ」
黛さんは嬉しそうに言い、近くの壁に立てかけてある槍を持った。
西暦2082年6月3日 水曜日 午後7時10分
「あらまぁ、この娘がお父さんの命の恩人なの!!」
僕の作ったご飯とハンバーグをガツガツ食べている黛さんを見ながら、父さんからの手紙を読み終わった母さんはニコニコと笑ってそう言った。
今我が家は夕食の時間で、起きてきた母さんに黛さんの事を話してから父さんからの手紙を渡した。
黛さんは「うむ、そうじゃ」と顔を上げて、ケチャップソースで汚れた口の周りを舌でペロペロと舐めて綺麗にする。
「うふふ、ほっぺたにも付いてるわよ」
母さんはナプキンを持って黛さんの汚れたほっぺたを拭いて上げる。
こうして見るとなんだか妹が出来たようだ。
「晶ちゃんはどのくらいも茂団市にいるのかしら?」
「うーむ、よく分からんのじゃ。もしかしたら長い間いるかもしれん」
母さんにナプキンでほっぺたを拭かれながら黛さんが答える。
「あらあらあら、好きなだけ居ていいからね。何なら家にずっと住む?」
僕は「ブフォォ!!」と飲んでいたオニオンスープを噴出した。いきなりなんて事を言い出すんだ。
「まぁ、洸ったらはしたない」
母さんがポケットからハンカチを取り出して自分の眼鏡に付着したオニオンスープを拭いた後、汚れたテーブルの上をふきふきする。一体誰のせいだと噴出したと思っているんだ……。
「有難い申し出じゃが、群馬には家族がいるからの。ずっとは居られん」
黛さんのほっぺは綺麗になり、今度は顔を汚さないように慎重に手付きでご飯を食べ始める。
「残念ねぇ……可愛い娘が出来ると思ったのに……」
母さんはショボンとした顔になった……かと思いきや、パァっと表情を明るくしてニッコリと微笑んだ。
「そうだ、洸と晶ちゃんが結婚すればいいのよ!! 群馬の家族と一緒に暮らしましょうよ」
今度は「ムグゥ!!」と食べていたご飯を喉に詰まらせた。急いでコップの水をゴクゴクと飲む。
「おお、いい考えじゃな。洸は料理が上手いし是非とも婿に欲しいのじゃ」
コップの水を飲み干して「プハァ」っと息を吸う。料理が少し出来るってだけで婿にされるなんて困る。超困る。
「か、母さん! そろそろ時間じゃない?!」
何か話題を逸らせるものはないかと思っていたら、机の上に置いてある時計が目に入った。そろそろ家を出ないと母さんは仕事に遅刻するだろう。
「あら、そうね。行かなくちゃ」
母さんは時計で現在の時刻を確認した後、席を立って居間を出て行く。
「ふむ、お母さんというのは……暖かいものなんだな」
さっきまで満面の笑みでご飯を食べていた黛さんが、急に俯いて寂しそうな顔でそう呟いたので気になった。
でも……何となく触れてはいけないような気がして、僕は黙っている事にした。