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7 遺言の意味

 血生臭い大広間では、巣鴨署の巡査たちによる検分が続いていた。

 生き残った親族の大半は腰を抜かして逃げ去り、後に残されたのは、トヨ、英一郎、千草、そして静かに座り直した芙美子の四人だけであった。

「……こんな場所で話すことじゃないね」

 トヨは眉間に深い影を刻んだまま、三人を用心の利く奥の小座敷へと連れて行った。

 差し出された茶を啜り、煙管の灰を吸い殻入れへ落とすと、老婆は英一郎を見据えた。

「宗三郎のせいで、口を挟む身内は一人もいなくなったよ。だけどね、英一郎。宗蔵の遺言を忘れたわけじゃないだろう。『真の黄金草を指し示し、その生きた根を巣鴨の土に芽吹かせた者に譲る』――これが死んだ息子の遺志だ。ただ無実を証し立てたからといって、染井堂の看板を渡すわけにはいかないんだよ」

 老婆の言葉を受け、千草が続ける。

「英一郎さん。神保町の萬葉堂で滝川様から得た知見と、大旦那様が残した図面……あなたはその意味を、本当に理解していますか」

 千草の目には、試すような色が宿っていた。

 英一郎は煙草を指先で弄びながら、億劫そうに紫煙を吐き出した。

「値踏みするような真似はよせ、千草。親父が求めていたのは、珍奇な草そのものじゃない」

「では、何です」

「環境の再現だ」

「……環境ですか」

「親父は北米の高山環境そのものを、滝野川の冷水と舶来の蒸留管を使って、あの実験小屋に丸ごと構築しようとしていた。アパラチア山脈の標高四千尺――その断崖を吹き抜ける冷涼で湿気を持つ大気、水はけを極限まで高めた礫層、そして根に宿る特有の土壌菌だ。……国内でセネガの苗を枯らさずに育てる技術を確立し、いずれ気候の適した冷涼地、そうだな、信州か北海道か、そこで原料栽培を組織化する。そうやって育てた根で特効薬を精製し、生薬を仕立てて売り捌くまでをうちで完結させる。――それが、親父の遺言にある『真の黄金草』の意味だ」

 英一郎の淀みない言葉に、千草は微かに目を見張り、やがて小さく息を漏らして頭を下げた。

「……正解です。大旦那様の図面を正しく解読したのは、あなただけです」

「よく見抜いたよ、英一郎」

 トヨは満足げに深く頷くと、重々しく膝に手をついて立ち上がった。

「これで名実ともに、染井堂の看板と全財産はお前のものだ。さあ、奥の蔵へおいで。宗蔵が遺した店のすべてを引き渡すよ」

 敷地の最奥に建つ土蔵の、さらに重厚な鉄扉の前に案内された。

 トヨの枯れた手が真鍮のダイヤルを回し、鈍い金属音を響かせて厚い扉が押し開かれる。

 そこには代々蓄積されてきた巨万の富、広大な巣鴨の土地権利証、そして山のような美術品が眠っている。

 だが――押し開かれた金庫の奥に広がっていたのは、富ではなかった。

 棚を埋め尽くしていたのは、朱塗りの割り印が押された、黒い表紙の金銭消費貸借証書の束であった。

「……な、なんじゃ、これは……?」

 トヨの指先が震え、最前列の証書を一枚引き抜いた。

 そこに記されていたのは、旧旗本系の巨大投資商会『東洋殖産興農社』の社名と、目を疑うような負債の数字であった。

 最新式の舶来減圧ボイラー、ドイツ製の精密蒸留塔、渓流からの大規模な地下水引込工事――宗蔵は狂気に憑りつかれた数年間で、染井堂の土地も家屋も売掛債権もすべて担保に供し、身代を遥かに超える莫大な借財を重ねていたのである。富どころか、店は完全に債務超過に陥っていた。

「あ、あ、ああ……ッ!?」

 証書の山を前にして、トヨの喉から引き攣った悲鳴が漏れた。

 七十を超えてなお一族の頂点に君臨し続けた老婆の顔面が、土気色へと染まっていく。両目を白黒と見開き、老いた身体は糸の切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。

「大奥様!」

 千草が駆け寄り、手首の脈を取る。微弱ながら鼓動はある。だが、余程の衝撃と絶望からか、意識を失ったまま身動き一つしなかった。

 祖母の卒倒、目の前に積まれた莫大な負債の山。

 英一郎は乾いた息を一つ漏らし、頭を掻いた。

「……なるほどな。親父の奴、遺言で奇麗事を並べておきながら、残したのは山のような借金か。つくづく、勝手な男だ」

 背後で、衣擦れの静かな音がした。

 これまで楚々としてトヨの影に控えていた山瀬芙美子は、金庫の前へと歩み寄ってきた。芙美子は倒れ伏すトヨを一瞥すると、何の動揺も見せず、棚に並ぶ借用書の山を静かに見下ろした。そして、一切の飾りを削ぎ落とした硬い声音で呟いた。

「……本当に、呆れるほど手間がかかりましたわ。最初から答えは決まっていたというのに」

 その声音には、先ほどまでの従順な許嫁の面影など微塵もなかった。

 英一郎が視線を向けると、芙美子は矢絣の袂をさばき、土蔵の重い扉を外へ向かって押し開いた。

 晩秋の薄暮が差し込む中、芙美子は庭の木立へ向かって、凛とした声を通わせた。

「――どうぞお入りになって。この家は、わたくしたちへの債務で一文無しですわ」

 木立の向こうから、革靴の音を響かせ、揃いの洋装に身を包んだ男たちが姿を現した。それは東洋殖産興農社――そしてその背後に控える米系製薬企業の影であった。

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