16 冷水の急流
強烈な爆圧が、石灰岩の基部を底から揺るがした。
衝撃波が脆弱な岩盤を粉砕し、鋭利な石片が無数の散弾となって岩棚を薙ぎ払う。微粉化した白い粉塵が、瞬く間に隘路の視界を遮っていく。
「Gwaaaah――!!」
「Clear the edge! The rocks are sliding!」
高所に陣取っていた傭兵たちの足場が、基部から鈍い音を立てて崩落していく。バランスを崩した二名がライフルを放り出して斜面に転落し、白煙の底へと消えた。
「抜けるぞ!」
英一郎は、足元の瓦礫を蹴って、粉塵を突き抜けていく。
煙を割ってよろめき出た先頭の傭兵をコルトの四十五口径弾で撃つ。直後、左手で抜いた二十六年式拳銃で、崩落の陰から銃口を起こそうとした男の鎖骨を撃ち抜いた。
崩れ落ちる男の胴体を盾代わりに押し出し、頭上から降り注ぐ砕石を遮りながら、破砕された岩隙の突端へ向かって走る。
「千草、背嚢を離すな!」
「抱え込んでいます!」
千草は真鍮缶を納めた帆布袋を両腕で抱き込み、飛び散る石粉に髪を白く染めながら、英一郎の背を追う。その後ろを、もつれるスカートの裾を自らの左手で引き裂いた芙美子が、デリンジャーを握りしめて駆けていく。
崩落部の突端を抜けた三人の前に、垂直に切り立った断崖と、その底で白泡を立てて蛇行する急流が現れた。
水面までおよそ三十尺。
「躊躇うなよ、跳び降りろ!」
英一郎は銃をホルスターに滑り込ませるや、千草の帯の結び目を鷲掴みにして宙へ身を投げた。芙美子もまた、岩棚の縁を蹴った。
一瞬の無重力ののち、落下速度が加速度的に上がり、そして次の瞬間、身体に強い衝撃と凍結寸前の水に3人は飲み込まれた。
尾根の雪解け水を含んだ急流は、刺すような低温で四肢の自由を奪っていく。英一郎は渦に揉まれながら千草の襟首を握り、片腕だけで濁流を漕いで水面へ頭を押し上げた。千草は気管に入った水を激しく吐き出しながらも、胸元の袋を死守している。
百ヤードほど下流、流木が堆積する砂利場へ這うようにずり上がった。
遥か上方の稜線から、視界を失った傭兵たちの散発的な小銃音が渓谷の轟音に掻き消されながら響く。有効射程は外れた。だが、風下に下った痕跡が残れば、追手が下流へ回り込むのは時間の問題だった。
「……止まるな、川沿いから離れるぞ」
英一郎が立ち上がろうとした時、背後で千草が前のめりに崩れそうになる。
着物の前合わせを固く握りしめたまま、全身を痙攣させている。低体温症の初期症状である。皮膚は土気色に沈み、唇の血色が完全に失われていた。
「……千草。缶を置け」
「だ、駄目です……。体温で……缶内の急激な冷却を……防がないと」
歯の根が合わず、擦れた呼気しか漏れない。千草は真鍮缶を自らの肋骨に食い込ませるようにして丸まっていた。
「馬鹿を言え。お前が先に冷え切る」
英一郎は濡れた革外套を脱ぎ捨て、下に着ていた厚手の毛織シャツも脱ぐと、千草の頭部から被せた。そのまま膝をついて、千草の両肩ごと真鍮缶を己の胸元に引き寄せる。
「ひ……」
男の胸板の荒削りな熱量が、ずぶ濡れの木綿を透過して少女の胸へ押し当てられる。
「強張ると熱が逃げる。息を細く長く吐け」
英一郎は千草の首筋に手を回し、凍えきった頭を自らの鎖骨の窪みへ押し込めた。千草の額が、英一郎の頸動脈の激しい拍動に触れる。
「……英一郎さんの、脈が速いです」
「百間も寒中水泳したんだ、当たり前だ」
「……助かります。手が麻痺すれば、次の検分ができません」
「喋るな。まず温まれ」
千草の指先が、無意識に英一郎の濡れたシャツの裾を掴んでいた。道具を握る力ではなく、暗闇の崖から落ちまいとする子どものような強さだった。
「千草?」
「……離さないでください。まだ、寒いです」
初めて見せたその脆さに、英一郎は何も言わず、さらに腕の力を込めて少女の細い肩を抱え込んだ。
千草は英一郎の胸元へ額を深々と埋め、次第に震えを鎮めていった。
「英一郎さん、千草さん。立ち上がれますこと」
数歩先で、芙美子が自らの外套を絞り終え、鋭い視線を上流の尾根へ向けていた。唇を紫色に染めている。
「稜線の銃声が止まりましたわ。崖を迂回して下流へ降りてくるまで、長くて数十分。この気温では、ここにいても体温を奪われるだけ。動くしかありません」
「ああ。……千草、立てるか。歩いて熱を出すんだ」
「……はい。足の感覚も、戻ってきました」
英一郎は千草を引き起こし、毛織シャツの裾を帯に押し込ませた。
三人は休む間もなく河原を出て、うっすらと残っている山道を前へ進んで行った。




