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15 探偵社の包囲

 千草は自身の背嚢から、二重底のブリキ缶を二基取り出した。

 缶の底に、木炭の粉末と、布に包んだ粒状の生石灰を敷き詰める。湿気を吸着させ、カビの発生を抑える調湿層である。

 その上へ湧水の飛沫を吸わせた水苔を敷き、手で押さえて厚みを整えた。

「芙美子さん、手を貸してください。後ろの砂礫と黒土を採取してください」

「……わたくしが?」

「英一郎さんは見張りで手が離せません」

「……承知しましたわ」

 芙美子は手鋤を取り、岩の隙間から石灰岩の粒度の揃った砂礫が混じった黒土を掻き出した。

 千草はその土を缶に入れ、セネガの根鉢を据えた。

 周囲の隙間を石灰礫で突き固め、仕上げに、酒精に溶かしたギレアド樹脂の溶液を、竹筒の先から霧状にして根元へ均一に吹きつける。

 安息香酸の刺激臭が缶のなかに満ちた。

「……封をします」

 千草は真鍮の蓋を合わせ、継ぎ目へ熱した蜜蝋を流し込んで閉じる。

 側面に極細の通気孔があるため、潮風や害虫を防ぎつつ、根が呼吸するために必要な換気だけは保たれる。

「生株を四つ、この二基に保管しました。それに完熟種子が約二百粒、粗樹脂が五オンス。……これで巣鴨で必要な資材が手に入りました」

 千草は二基の缶を帆布の背嚢へ収め、紐を縛った。

「すぐに降りるぞ」

 英一郎は稜線から目を離さずに言った。

「ここは長居すれば袋の鼠だ。戻るのも危険だろう。反対側の尾根へ抜ける」

「ええ。東海岸の港湾まで電信を先回りさせなければなりませんわ。鉄道は使わず、陸路で――」

 芙美子が算段をつけようとした時、頭上から乾いた機械音が聞こえた。

 チ、チ、チ……カチャリ。

 撃鉄を起こす金属音。反響の数からして、十、いや二十。

「……伏せるな。動くなよ」

 英一郎は声を落とし、ホルスターから手を離した。

 霧の切れ間から覗く灰白色の稜線の上に、男たちの影が並んでいた。およそ二十名はいる。

 揃いのフロックコートに、山高帽。胸元に「見開かれた眼」の記章鈍く光っている。ウィルソン探偵社の私兵たちである。

 ウィンチェスターと二連散弾銃の銃口が、退路のない岩棚を見下ろしていた。

 稜線の突端に立つ男が、声を張り上げた。

「Drop your iron, Jap. Hands off the cans.(銃を捨てろ。缶から手を離せ)」


 英一郎は稜線の配置を確認していく。

 ライフル十五に散弾銃が五。いずれも伏射か膝射の姿勢で、射線が岩棚を覆っている。早撃ちでどうにかなる数でもなければ、遮蔽物へ飛び込める距離でもない。

 指揮官の男が、芙美子を見下ろして叫んだ。

「ヤマセ! 返事をしろ!」

 男の声が断崖に反響する。

「デトロイトの重役会からの打電だ! その日本人二人をお前が始末し、セネガの缶と樹脂をこちらへ渡せば、契約不履行は不問にしてやる! お前ひとりの身柄と帰国費用は我々が保証するぞ!」

 岩壁の随所で、レバーを締め直す金属音が重なった。

 英一郎は目線を上げたまま、背後の芙美子へ低く言った。

「……山瀬。お前への条件提示だ。乗るか」

「下らない値踏みをしないでいただきたいわ」

 芙美子は鼻を鳴らした。

「あの電報の処分指示を読んだ後で、誰がそんな話を信じるというのです。缶を渡した途端に頭を撃ち抜かれて、谷底へ放り捨てられるのがオチですわ」

 芙美子は英一郎の脇を抜け、一歩前へ出た。

 その左手には黄色い棒が握られていた。サンフランシスコの銃砲店で買わせておいたダイナマイトである。導火線は五寸ほどに切り詰められている。

「ヤマセ、何を持っている!」

 芙美子は顎を引き、崖上に向かって英語を返した。

「I am the sole liquidator of this transaction. The Yamase family does not endorse insolvent bandits.(この取引の清算人はわたくしです。山瀬家は破産した野盗など相手にいたしません)」

 芙美子はオイルライターを取り出し、親指で弾いた。

 火炎が導火線の先端へ当てられる。シューと湿った音の後、白煙が上がった。

 燃焼速度は一秒に約一寸。爆発まで五秒。稜線から叫び声が上がる。

「Shit!! She lit dynamite! Back off!!(火をつけやがった! 下がれ!)」

「芙美子さん、芯が短すぎます! 暴発します!」

「英一郎さん、千草さん。――わたくしは、最も勝ち目のある方に賭けますわ!」

 火花が根元へ届く直前、芙美子は腕を振った。

 狙いは、隘路を塞ぎ、傭兵たちの足場となっている巨大な石灰岩の基部――その亀裂へ放り込んだ。

「伏せろ!」

 英一郎が二人を引っ張り、背後の岩壁の窪みへ飛び込んだ。

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