7.ハッタリ
翌日。
バンッ!!
執務室の分厚い扉が、乱暴に蹴り開けられた。
「いいから、私の言う通りに金を工面しなさい! できないなら、お前もこの屋敷から追い出してやるわよ!」
廊下に金切り声を響かせながら、豪奢なドレスを着た義母がドカドカと足音を立てて去っていく。
後に残された執務室では、白髪の家令、セバスチャンが深く頭を抱え、重い溜め息を吐き出していた。
領民を絞り上げる狂気の増税か、自分が屋敷を追放され、領地が完全に崩壊するのを見届けるか。もはや彼にまともな選択肢は残されていなかった。
「……セバスチャン」
不意に、静かな声が室内に響いた。
セバスチャンが弾かれたように顔を上げると、そこには、いつの間に入ってきたのか、つぎはぎだらけの使用人服を着た少女が立っていた。
「クラリッサお嬢様……? なぜこのような所に。見つかれば奥様に……」
「私についてください、セバスチャン。このままでは我が伯爵家は破滅します」
長らく顔を合わせていなかったかつての主の娘。その口から飛び出したあまりに真っ直ぐな言葉に、セバスチャンは呆然と目を見開いた。
常に怯え、俯いていたはずの少女の瞳には、かつての先代当主を彷彿とさせる、冷たくも力強い光が宿っていた。
クラリッサは、昨夜のマットからのアドバイスを心の中で反芻していた。
『いいですか、お嬢さん。あなたに領地経営の専門知識はない。具体的な数字や税率の話をしてはいけません。ボロが出ます。実務のプロである彼には、実務ではなく大局とビジョンを語るのです。王のように振る舞い、答えは彼自身に言わせなさい』
「先ほどの会話、聞いておりました。……さらに税を上げろと?」
「……はい。しかし、これ以上の徴収は……」
「領民の反乱を招きます」
クラリッサが鋭く指摘すると、セバスチャンは苦渋に満ちた顔で頷いた。
「お義母さまには、領地を育むという概念がありません。彼女がやっているのは経営ではなく、ただの略奪です。あなたがいくら身を粉にして帳尻を合わせようと、あの強欲の底が抜けることは決してない。……セバスチャン。あなたは、父が愛したこの領地が、あのような女の浪費で食いつぶされるのを良しとするのですか?」
「それは……っ! しかし、私にはどうすることもできません! 財産も、人事も、この家のすべては奥様が握っておられるのです!」
セバスチャンは悲痛な声で叫んだ。
だが、クラリッサは少しも怯まなかった。むしろ、哀れむような目で老家令を見下ろした。
「本当にそうですか?」
「え……?」
「考えてもみてください。なぜ彼女がこの家を好きにできているのか。……それは『正当な後継者である私が、未成年だから』です。彼女の権力は、あくまで私の後見人という名目に依存した幻想に過ぎない」
これは、マットから入れ知恵された『帝王のハッタリ』だった。
現状は全く実力も手段もないにも関わらず、正論と圧倒的な自信を盾にして、あたかも自分が絶対的な権力を持っているかのように相手を錯覚させる交渉術。
「法的には、私に正統な継承権があります。もし私が成人した時、あるいは私が正式に彼女の後見を否とし、王家や法廷に訴え出た時……彼女がこれまで独断で押してきた決裁書類の正当性は、どうなると思いますか?」
実際のところ、こんなものはただの虚勢だった。
成人したところで、あの義母が素直に当主の座を明け渡すはずがない。書類も鍵も、この家のすべてを握られたまま、権利を叫んだところで握り潰されて終わりだ。……そんなことは、他の誰よりもクラリッサ自身が、長い諦念の日々の中で嫌というほど思い知っていた。
だが、クラリッサはそんなリスクなど微塵も存在しないかのように、冷徹な絶対者の顔で断言した。
すでに勝敗は決しているのだと、目の前の相手に錯覚させるほどの威厳を伴って。
セバスチャンが、ハッと息を呑んだ。
長年、義母の理不尽に耐え続けてきた老家令の目に、初めて別の道が映った。
怯えて従うだけだった少女が、正統な継承権を武器に立ち上がろうとしている。まだ勝利には程遠い。だが、賭けるに値する可能性は確かにそこにあった。
「最悪の場合、不当な横領として彼女は裁かれるでしょう。あなたも、今後も不当な決裁を通し続ければ、その責任から逃れることはできません。……あなたはこのまま、泥舟に乗って共に沈むつもりですか?」
「…………っ!」
「……私にはまだ、実務の知識が足りません」
クラリッサはここで初めて、自身の弱さを堂々と認めた。
「ですが、私には正当な血があります。そして、この家を正しく導こうとする意志があります。私を本物の当主にするために、あなたのその知識と手腕を、私に捧げなさい」
圧倒的な主君としての覇気。
ボロボロの服を着た少女の背後に、確かな貴族の威厳を見たセバスチャンは、震える足でゆっくりとその場に歩み寄り、
深く、深く、その場に膝をついた。
「……私のすべては、正統なる嫡流、クラリッサお嬢様のために」
それは、長年実権を失っていた真の当主が、屋敷の心臓を掌握した瞬間だった。




