悦楽と屈辱(公爵×博貴)
首筋に刺さっていた牙が抜かれ、博貴は吸血される際の、喉の奥を直接舐められているような、心臓を撫でまわされているような、すべての内臓を弄ばれているような、なんとも言えない不快感から解放されてホッとした。
「お前、ムカつくな」
博貴の首筋から唇を離した公爵は、博貴の目を見つめると不愉快そうに顔を歪めて言った。
「俺に血を吸われながら、いつもいつもそうやって、平然とした顔で、面白くなさそうにしている。本当に腹が立つ」
吸血を終えたにもかかわらず、公爵は博貴に覆いかぶさったままどかない。
「もう、用は済んだだろう?」
さっさとどけよと、暗に伝える。神護の血をたんまり飲んで、これ以上俺に用はないはずだろうと博貴は思う。
しかし、公爵は博貴の言葉が気に入らなかったようで、片手で博貴の首を掴んだ。
この男の怪力にかかれば、博貴の首など簡単に千切れる。
それで死ねるのであれば大歓迎だが、残念ながら血種である以上、そんなことでは死ねない。痛みと苦しみを長い時間味わうことになるだけだ。
うんざりする。何もかもが。
神護の家に生まれてしまったことも、許されざる罪を犯してしまったことも、王によって忌族にされてしまったことも、こうして王や公爵たちの餌にされていることも。
「どうすれば、お前の乱れた姿を見ることができる?」
公爵は唇を舐めながら、首を掴んだ手の親指の腹で、博貴の顎を撫で上げた。
血種には吸血の欲と、吸血されることによってもたらされる至上の快楽を求める欲はあれど、人間のような性欲はない。
この男が欲しているのは、征服欲だ。他者をねじ伏せ、屈服させる快感を求めている。
この男に血を求められて拒否できるのは王だけだ。王以外でこの男に求められて拒否できる忌族はいない。
この男は、王を除けば忌族の頂点に君臨している。その暴力の力と、血の古さで。
忌族であれば誰もかれもがこの男の足元にひれ伏した。抗う者などひとりもいなかった。
「バカバカしい」
博貴が吐き捨てるように言うと、公爵は目を細めた。
「俺がお前に縋りついて、どうか血を吸ってくださいと懇願すれば満足するのか?」
公爵は、フッと笑って首を絞めていた手をどけた。
「俺は、お前が嫌いだ」
公爵は牙を剥き出してそう言うと、部屋を出ていった。
博貴は、絞められていた首をさする。
そうだろう。そりゃあ俺が嫌いだろう、と博貴は嗤う。
博貴は、公爵に跪かない。公爵に吸血して欲しいと懇願しない。公爵が吸血しても乱れない。公爵に屈しない。それなのに、神護の血のせいで、他の血種のように拷問にかけたり、実験材料にしたり、拘束したりすることは王に禁じられている。それだけではなく、他の忌族たちの暴挙から博貴を守るように命じられている。
さぞや憎らしいだろう。
何の力もない卑しい男ひとりを、跪かせることができないという事実は、戦士であり、強さのみに価値を置く公爵の傲慢と矜持を逆撫でするのだろう。
公爵は、誰にも自分の血を吸わせない。おそらく王に求められれば与えているだろうが、他の誰もこの男の血の味を知らない。この男が吸血されることの悦びに乱れる姿を誰も知らない。ただ、王の前でだけは、あの男も乱れるのだろうか?
博貴は嗤った。
あの男も乱れるのか。制御不能な悦楽に、身も心もとろかすのか。ならば、さぞかし俺が憎いだろう。己が否応なしに取り込まれる甘美な罠に、決して捕らわれない男がいるということは、さぞかしあの男の誇りを傷付けているに違いない。
ざまあみろ。
****
王が定めた決戦の日の前日。
博貴は、士気を高めるための贄にされた。
集まった三十人の貴族たち――王によって爵位を与えられた上位の忌族たち――に、寄ってたかって吸血された。
多くの血を失い、座っていることすらおぼつかなくなってきた博貴を、執拗に神護の血を求める野獣の群れから救い出したのは、意外にも公爵だった。
蹂躙され、ボロ雑巾のようにさせられた博貴の姿に、さぞかし溜飲を下げていることだろうと思っていたのに。博貴を抱きかかえている公爵の顔は、むしろ貴族たちの非道を憤っているかのようだった。
しかも、失血のせいで制御できなくなっている激しい吸血衝動から、公爵の首筋に無遠慮に噛みついたにもかかわらず、公爵はそれを拒まなかった。
驚きだった。
博貴に血を吸わせたこともだが、公爵は吸血の官能に乱れなかった。
無上の悦楽を感じていることは確かだ。瞳に赤い光が宿り、ときおり意識をもっていかれそうな眸をした。
それでいながら、ありとあらゆる罵倒語を吐き出しつつも、完全に耐えているのだ。
なるほど、この男は耐えるのか。血種も人間もだれも抗うことができないはずの絶大な快楽に。
この、他に追随を許さぬ最強の戦士は、完全に自己をコントロールしていた。どんな状況であれ、死の淵にあってさえ、絶対に心を乱さない、冷静さを手放さない。鍛え上げた精神の強さ。
そこで博貴の中に湧き上がってきたのは、驚きと同時にある種の尊崇の念だった。
男が絶対的強者に抱く、〈敵わない〉〈届かない〉の先に感じる憧れにも似た何か。この男にであれば屈服しても仕方ないという、相手に対する全肯定。
たぶんこれが、公爵が博貴に欲していたものなのだろう。
皮肉なものだ。血を吸われることではまったく感じなかった敗北感を、今博貴は血を吸いながら感じていた。
博貴は、畏敬の念を抱きつつ、公爵の血を貪った。
公爵は、血を吸わせた理由を説明した。
助けが欲しい?
この傍若無人な暴力の塊が? 自分が誰よりも強いことを知っている男が? 俺に助力を求める?
そんなわけあるか!
博貴は信じなかった。
公爵は部屋を出ていくとき、チラリと博貴を振り返って言った。
「あの屈辱の中、お前は逃げなかった。お前は泣いて許しを乞うこともしなかった。貴族どもに媚びなかった。お前は毅然と耐えた。最後まで耐え抜いた。お前は戦う心を持っている」
公爵は、小さな笑みを残して出ていった。
ああ、そうか。
博貴はにんまりと笑った。自然と口が綻んでしまう。
俺は、あいつに認められたのか。世界最強の戦士であるあいつに。




