9.ソラール王妃、昔の夢を見る
アステール公爵家は、長い間子供に恵まれなかった家だった。今はまだ幼い弟のリアムが生まれるまでは、私が家督を継ぐ可能性もあり、さまざまな教育を施された。両親の配慮ではあったのだろうけれど、幼心にその訓練はとても厳しいものだった。礼節を身につけるための授業から始まり、舞踏会でのダンスステップ、美しい話し方。アステール領の運営や、地政学について。目覚めている間は必ず何かしらの学問を勉強する時間で、子供らしく遊び回るなんてほとんどなかったかもしれない。
アラン王子に出会ったのは、義務的に参加させられたデビュタントの時だった。十六歳の誕生日を迎えた国中の貴族が、社交界へとデビューするための夜会。真っ白なドレスに身を包んだ私の元へ一番初めに歩み寄ってきたのが、アラン様だった。
「お前、名前は?」
「アステール公爵家の、プリムローズと申します」
カーテシーで礼をすると、アラン様がこちらへ手を伸ばしていた。
「俺はアラン・ノヴァリア。第一王子だ。――お前と、最初に踊ってやる」
ぶっきらぼうにそう言って、言われるがままに踊り始める。やや乱暴で、荒いステップ。振り回されるように会場を
連れ回され、終わった頃にはへとへとになっていた。それから次の男性、また次の、とワルツを踊り続け、終わった頃には息があがるほど。
夜会って、こんなに大変なのね。と思いながら、両親の元へ駆け寄ろうとした時、ぐい、と肩を掴まれた。
「おい、プリムローズ」
「な、なんでしょう……?」
「お前、俺の恋人にしてやる」
「……はい?」
衆目の前で、何を思ったかアラン様がそう宣言なさった。
「婚約者ってやつだ。家格に問題はないし、お前みたいな女なら俺の格を落とさない。父上にも許可をいただいたしな」
自分勝手すぎないか。と、思ったが口を噤む。相手はノヴァリア王家、公爵家とはいえ逆らうことは難しい。助けを求めるように両親へ視線を送ろうとするも、その時にはすでに両親は夜会の会場を後にしていた。後から知ったが、母は産前の悪阻で苦しむ体に鞭打って、私のデビュタントを見届けにきてくれていたのだという。我慢していたが体調を崩したため、父と先に屋敷へ戻っていた。
両親に相談できないまま、けれど淑女教育を受け終わっていた私は、その返事に頷かざるを得ないことを理解していた。
「……謹んで、お受けいたします……」
☆
ぱちり、と目を覚ました。幸せな初夜もどきの翌日にしては、あまりに夢見が悪くて嘆息する。結局あの出来事のあとに王家から正式な打診があり、父と母はこれ幸いとアラン王子との婚約の予定を組んでしまったのだった。両親はよかれ、と思ってそうしてくれたのだし、本当に嫌なら断ればよかったので、半ば自業自得ではあるのだけれど。
すでに隣の温もりはなくなって久しかった。早朝から執務に向かったらしいセルジュ様の仕事ぶりに、さすがは一国の主と感心する。アラン様もこんなお人柄だったらもっと尊敬できたのかもしれない、なんて不敬にも思ってしまったが、今となっては昔の話だった。
朝食は食堂へ案内され、王妃としての席へ着く。実感はないが、これからソラールの妃として、彼らと馴染んでいかねばならない。少し緊張した私の表情を察したジゼルが「食後のデザートは青葡萄ですよ、奥様」と囁いた。好物が出る、とわかって、少しだけ体の力が抜ける。彼女を連れてきて本当によかった、と過去の自分の判断に感謝した。
「奥方様、体のお加減は問題ありませんか」
食事を配膳する女官が心配そうに私の顔を伺っていた。初夜の次の朝ともなれば、そういった質問が来るのは想定済みである。少しだけしおらしく振る舞って、行為があったと見せかける。いや、"しなかった"ことが周囲に知られても問題はないはずなのだが、なんとなく――これは貴族の勘だが――"しておいた"ことにした方が良い気がして、曖昧に微笑んだ。
「旅疲れもあって、ちょっと」
「まあ、ご自愛くださいまし。朝食は消化によい豆のスープと、奥様がお好きな青葡萄をご用意させていただきました」
「ありがとう、嬉しいわ」
青葡萄は普通の葡萄と比較して、味わいが爽やかですっきりとしているのが特徴だった。果物の中ではかなり好きな味なので、心の底から喜べた。
「ジゼルから聞いたの?」
「ええ。奥方様のお好みについては、一通り」
侍女は自慢げに、しかし嫌味なくそう言った。私をもてなそうとしてくれている態度に、素直に好感を持った。豆のスープはトマトをベースにしたさっぱりとした風味で、コンソメの味がコクを出している。ソラールに来てからずっと思っていたが、この国の料理は何を食べても美味しい。にこにこと口角が自然とあがってしまうまま、マナーを守りながら品よく完食する。朝からでも重たくない口当たりが体にありがたかった。デザートの青葡萄は、ステラノヴァで育てられている品種よりも粒が大きく、果肉の噛みごたえがあり、満足感があった。
「この城の食事担当の方にお礼を伝えたいくらいだわ」
「それはようございました。私から伝えておきます、奥様」
私の言葉を賞賛と受け取って、侍女は嬉しそうに微笑んでいる。こんなふうに私と接してくれる使用人は母国では少なかったから、なんだか新鮮な気持ちだった。




