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8.ソラール王妃、初めての夜

 ソラール王家の寝室は、私室であり、基本的には私と、セルジュ様二人の空間だった。ステラノヴァと同様のしきたりでよかった、と胸を撫で下ろす。国によっては寝室すら公のものだと聞いたことがあったので、落ち着きたいときにいられる場所があるというのは私にとって良いことだった。

 問題は、私だけではなく、セルジュ様も一緒にいる、ということだが。寝室は両端にそれぞれ扉があり、片方がセルジュ様の私室、もう片方が私の私室として使ってよいことになっている。ただ、王侯貴族に望まれる事――つまり、世継ぎを作るためにも、寝台は必ず同じにするのだと、淑女教育を受けた私は知っていた。

 ――知っているのと、実際に自分の立場がそうなるのとは話が違う。


「緊張してる?」


 後ろから声がかかった。突然話しかけられたせいで、びくり、と体が跳ねた。


「……無理、しなくていいよ。あれだろ、初夜だ、って思って意識してるんでしょ」


 ゔ、と声が漏れる。


「ご賢察、です。ステラノヴァでは、その……必ず床を共にするので。ソラールでも、その筈ですよね」


 事前に母親から急遽叩き込まれたソラールの礼儀作法。その大半がステラノヴァと同じものだったが、細かな違いについては頭に叩き込んできた。


「そうだね。ソラールも、初夜は基本的に"行為"が必要とされるけど……プリムが嫌なら、しない。そう決めてるからね」

「……でも、私の役目は、お世継ぎをこの国にもたらすことでは……」

「っはは、プリムは真面目だね。ありがとう、僕のためにそう考えてくれて。……ま、そうなったらそうなったで嬉しいけどさ。僕は君がここにいてくれることが、まずいちばんの幸せだと思ってるから。今日は無理せずゆっくり寝てよ。疲れたろ?」


 自分を気遣う言葉に、じわり、と目頭が熱くなる。おかしい、普段はこんなに涙脆くなどないのに……安心したのか、疲れなのか、視界がうるうると潤んでいた。


「ありがとうございます、セルジュ様」

「……っ」


 セルジュ様が息を呑んでいらした。


「セルジュ様?」

「あー、うん。なんでもないよ」


 小さな声で何かを呟いていらしたが、私の耳ではうまく拾うことができなかった。


「……プリム。二人きりのときはさ、僕のことセルジュ、って呼んでくれないか」

「畏れ多いのですが……陛下のご希望であれば。ええと……セルジュ……?」

「っ〜〜〜!」


 なにやら拳を突きあげていらっしゃる。ソラール流の感情表現なのだろうか。セルジュ様の挙動を見つめていると、ふと、深い――底のない暗闇にも似た、けれど目を離せない緑色に視線を捉えられる。


「おいで、プリム。隣で寝よう」


 寝巻きを纏ったセルジュ様の胸板は、あの日抱きしめられた時に感じたのを納得させるように逞しく。よく見れば、華奢に思わせた手足もがっしりとした骨ばったもので、この美しい人が男であると、意識せざるをえなかった。


「……本当に、なさらなくてよろしいのですか」


 おずおずと尋ねれば、セルジュ様が柔らかく微笑む。


「君がしたくなった時が、僕らの初夜だよ。……僕はそれでいい」


 だからおいで、とセルジュ様は寝台に横たわって、ブランケットを持ち上げる。おそるおそる近寄って、シーツの海に横たわる。上からブランケットをかけられた。


「……触れてもいい?」

「も、もちろん。妻、ですから」


 そう、と吐息混じりに呟かれる声がいつもより低い。ぽん、と頭に乗せられた手が、幼子にするように私を撫でる。


「来てくれてありがとう、プリム」

「いえ。こちらこそ――セルジュが、私を助けてくれたのですから」


 あの冷たい視線に晒されて辛かった時に、セルジュ様が私を見つけてくれた。それが嬉しかったのだと、今になって思う。


「貴方の良き妻であれるよう、努力します」

「僕にとっては、すでに十分良き妻だけどね。……これからよろしく、プリム」


 頭を撫でていた手が離れる。寝る姿勢になったセルジュ様の手を、そっと握って、今までの感謝を込めた。そのうちに眠気がやってくる。そう言えば、朝からずっと緊張していたんだっけ。柔らかな寝具が、夢の世界へ私を誘い――そのまま、意識がふつりと途切れた。



「生殺しって、こういう時のためにある言葉だよね」


 ふう、と前髪をかきあげて、セルジュは一人つぶやく。ソラールの初夜は確かに夫婦が営むべきタイミングではあったが、セルジュは古いしきたりをそこまで重んじない男であった。プリムローズに告げたように、彼女がそうしたいと思った時に事に及ぶべきだと本気で考えていた。が、事態はそう単純ではない。成人しているとはいえ自分よりも十歳ほど幼い妻だ。可愛らしい事ばかりしてくるのは全く構わない。構わないが――あまりに、自分のツボを押さえすぎている。これで処女だというのだから困ったものだ。

「まったく。僕が我慢強い男でよかったね、プリム?」

 などと物騒な言葉を聞く者は、二人の寝室には存在しない。柔らかな薄茶の髪を寝台に広げて眠るプリムローズは、その寝姿さえ愛らしかった。セルジュは深い緑の目で嫁いできたばかりの妻に握られた手を眺める。柔らかく、小さい。『ステラノヴァの凍て星』だなんて、とんでもない。こんなにも愛に溢れ、慈しみ深く、優しい少女をよってたかって排斥する社交界などどうかしている。何かから彼女を守るように、セルジュはプリムローズの手をぎゅっと握りしめて、それから、自嘲的な笑みを溢す。


「プリムローズ。――君を利用する僕を、君は許してくれるかな」


 プリムローズの前髪を持ち上げて、眠る花嫁の額に、そっと口付けた。

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