5.公爵令嬢、輿入れの支度をする
「お嬢様、ソラールからお戻りになった後、ため息ばかりですね」
ジゼルに髪を結われながら、はあ、と再びため息。
「選択肢がないのに足掻いてる状況って、つらいわよね」
遠くの方へ視線を送ってしまう。逃げられないとわかっていて、逃げ出したいと願う、そんな気分だった。
「セルジュ陛下、でしたっけ。どんな方でした?」
「なんとも言えないわ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっと怖くて」
あんな真剣に殿方に見つめられたことはない。それが、自分の中の何かを変えてしまいそうで不安だった。
セルジュ様からの申し出を受けるべきか、受けざるべきか。答えはもう定まっていた。――受けるしかない。自国内での己の評判は、アラン様との一件で地に落ちたと言っても過言ではない。王子の愛する人を痛めつける悪女といった類のは瞬く間に国中へと広まっただろう。もともとが『ステラノヴァの凍て星』なのだから、これで自分の貰い手は皆無と だろう。両親に恥をかかせないためにも、セルジュ様の申し出は渡りに船なのだが。なの、だが。
「ねえジゼル」
「はいお嬢様」
「セルジュ様に輿入れするって言ったら、ついてきてくれる……」
異国での生活は、きっと慣れるだろう。食事や文化の違いも、努力して克服していきたい。ただ、たった一人で隣国で暮らすのは、流石の私でも心細かった。
「……ふふ。長年お仕えしておりますけれど、こんなに可愛らしいプリムローズ様は初めて見ました」
「ジゼル……」
困り果てた顔で、幼馴染同然の侍女を見上げる。リバーサイド子爵家の次女でもある彼女を、隣国へ連れて行ってしまうのは、彼女の家が反対するかもしれない。けれど、今の私には一人でも、信頼できる味方が欲しかった。
「ええ、もちろんです。どこまでもご一緒させてください。凍てついた星だとか、お嬢様を知らない人たちは言いますけどね。私のお嬢様はこんなに可愛らしいんですから」
えへん、とジゼルが威張っている。それがなにより可愛らしくて、嬉しくて、迷っていた私の背中を押してくれる。
「ソラールへ、行くわ。ついてきて、ジゼル」
「はい、お嬢様」
父の執務室は、アステール公爵家の中で一番日差しのいい部屋が選ばれていた。数回ノックすれば入室許可が出た。
「おお、ローズ。……決めたんだな」
「ええお父様。アラン殿下のことでご迷惑をおかけしましたので、私にはこのくらいしかできることがありませんけれど」
「そう自分を卑下するな。お前は本当によくやっている」
父――オリバー・アステール公爵は、名残惜しそうに私の手を取った。
「社交界で、お前を守ってやれなくてすまないな」
「いいのです、お父様。身から出た錆、という部分もありますもの」
「正直な話をすると、お前を他国へは行かせたくない。このままこの国で、商家の男をこの家に婿入りさせて、お前に家督を継がせるのも手ではないかと考えた。だが……」
「いいえ、お父様。これ以上事を荒立てたくはないのです。そんなことをすれば、公爵家を乗っ取りにきた不届きものと、将来の夫が誹られるでしょう。今は、セルジュ様のお話をお受けするのが最適な解だと、私も思っております。それに」
遠くで幼い子供がはしゃぐ声がする。弟のニコラスが、使用人たちと剣技の練習をしているのだ。まだ四つの幼い子供だが、そのうち大きく成長して、国を、家を支えてくれるだろう。
「もう、私がいなくても、ニコラスがいます。次期公爵として、立派に育ててくださいまし」
男児がいるのであれば、アステール公爵家も安泰だろう。私がいなくても、この家の血筋は脈々と受け継がれ、家も守られるはずだ。そして、ニコラスがいるが故に、私が家督を継ぐという選択肢はないに等しい。
「ああ、ローズ……」
私の小さな手を取って、悔いるように父は呻いた。公爵とはいえ、一人の力で貴族の噂をすべて無効化することは難しい。力で押さえつけようと、いずれは無意味になるのだと、貴族だからこそよく理解しているのだろう。
「ねえ、お父様。もし、本当に困ったときは、相談してもいいかしら」
「……ああ。私にできることがあれば。手紙の返信は長くなるだろうが」
「ありがとう、お父様」
父の大きな手が、こんなに頼もしく感じたことはなかった。別れ際になって、親の温かさをようやく理解して――それが、すぐに離れてしまう温もりであることに気がついた。
(バカね、私は)
両親を失望させまいと思って、壁を作り、二人を遠ざけていたのは私の方だったのかもしれない。もっとたくさん話しておけばよかったと悔いても、時は戻らない。話せる時間を大事にしようと、残された時間は家族と、ジゼルと、たくさんのことを話した。
――出立の日は刻々と迫る。
☆
早朝。ソラールへの旅路を考え、まだ太陽が登りきらない薄明かり。空は淡い紫から、少しずつ青へと彩りを変えていこうとしている。小さなニコラスはまだ夢の中で、父と母、それから早くから働く使用人たちが私の見送りへ来ていた。
輿入れの馬車は、今までで一番豪奢な作りだった。アステール家を表すアイスブルーを基調として、金細工がところどころに施されている繊細な作りだ。馬車に乗り込もうと、アイボリー色のドレスを纏った私と、その隣にジゼルが並ぶ。
「ローズ!」
早足で歩み寄ってきたのは母である公爵夫人、クローディアだった。
「お母様、どうなさったの」
「これを……持っていきなさい」
息を切らした母が手にしていたのは、青い宝石の収まったペンダントだった。
「我が家の家宝です。ローズ、お守りとして持っていきなさい」
「そんな大事なもの!」
「貴女以上に大事なものなどあるものですか。……セルジュ陛下にはうちの娘をくれぐれもよろしくと、手紙でよくよく伝えておきますからね」
母が私の首にペンダントをつける。深い夜空のような青色の中で、金の光がちかり、と煌めいたような気がした。両親の愛情を手放すのが惜しかったけれど――彼の国に行くと決めたのだ。女に二言はない。父と母と抱擁を交わして、ジゼルと目配せをして。豪奢な馬車へと乗り込んだ。
※20260418 公開日ですが少し修正しました
※20260423 弟の名前を変えました




