25.セルジュ、天使を追想する
プリムローズを部屋に閉じ込めて、僕は心の底からため息をついた。自由に王城を見て回る彼女も愛おしいが、今はその姿を眺めていられない。フォレスター伯爵家が本格的に彼女を狙い始めたために、プリムを閉じ込めるしかなくなってしまった。
目まぐるしくさまざまな事件が起こっていたためか、疲れ果てた体を自室のソファへと沈める。そうして、夢現の間で、妻を娶った経緯について思い返していた。
☆
ステラノヴァとは隣国であり、かつて戦争した間柄でもあるが、僕の治世の数代前から関係は良好に保てていた。僕にとっての『厄災』――疫病と寒波でソラールの民が死にかけた時に、ヘンリー・ノヴァリア国王にはとても助けていただいた。医療的な支援に留まらず、食糧まで分けてもらったのだ。あの人の恩にはなんらかの形で報いたいと、今でも思っている。
あの『厄災』をきっかけに、王家であるノヴァリア家とは時折顔を合わせるようになった。だが、第一王子のアランだけはどうにも好きになれなかった。第二王子のギルバートの方が、よっぽど王に向いていると思わせるほどに、アランは粗野で無鉄砲で視野が狭かった。
そんなアランはどういうわけか、デビュタントでプリムに目をつけたようだった。家格が合うと思ったのだろう。あの美貌だ、惹かれるのも無理はない。ノヴァリア王家としてもプリムの知性と判断力は喉から手が出るほどに魅力的だったろう。
――だが、その目論見はフォレスター伯爵家の横槍で崩れることになる。当代のフォレスター伯爵、ジェラルド・フォレスターは探るだけでも黒い噂が絶えない男だ。そんな奴がノヴァリア王家に娘を近づかせるのは、よからぬ目論みでもあるのだろう。
アランのバカがフォレスター家に取り込まれているのなら、早急にそうでない第二王子を王位継承者として擁立して、ノヴァリア王家にはまともに政治をしてもらわないと。僕らにだって影響はあるのだ。
ヘンリー王は篤実ではあり、世話になった人ではある。悪くは言いたくないが、どうしても伝統にとらわれる男だ。優秀な第二王子がいようと、第一王子に瑕疵がなければアランに王位を譲るだろう。ギルバートを支持してフォレスター家を廃するためには、力のある貴族の後ろ盾を得た上で、フォレスター家の目論見を公にする必要があった。
ステラノヴァの貴族は多かれ少なかれフォレスター家の影響下という事前情報もあったが、唯一の例外がアステール公爵家だった。
プリムローズ・アステール。『ステラノヴァの凍て星』と呼ばれ、社交界では爪弾きにされている美女だという。だが、アステール公爵領民からの支持は悪くないとの話だった。
ああ、そうだ。元はと言えば自国のためにプリムローズ嬢と協力するつもりで、あわよくば彼女を手にしようと思っていた。うまいこと協力を取り付けるため、僕は甘い言葉だって囁いて、偽りの愛を捧げたって構いやしない。そう思っていた。
なのに、なのにだ。
――こんなにも彼女のことを、愛してしまうだなんて。
誤算だった。あの大階段は、本当に偶然だった。
そうだ。アランがプリムとの婚約を解消すると耳にして、好機とばかりに夜会へ向かったんだっけ。傷心の彼女を口説いて、僕への協力を取り付けさせれば都合がいい。そう思っていたのに、馬車が遅くなって、目論見はご破産になった。
すでに婚約破棄されて、夜会にいられなくなった彼女が階段から降ってきた時。薄茶の波打つ髪が羽のように広がって。潤んだ青い瞳が驚愕に見開かれて。薄青いドレスのチュールも相まって、天使が落ちてきたのかと錯覚する美しさだった。王子に婚約破棄され、泣いたって仕方がない時に、彼女は泣かなかった。気丈に堪えるあの青い瞳が、僕の心を掴んで離してくれない。
いつしか、凍える夜に見上げたあの星の光を思い出して、僕は大きな声で笑いたくなる。
――ああ、彼女が僕の、運命の人だったんだ。そう思ったら、ソラール中の貴族令嬢とうまくいかなかったのも納得がいく。もともと欲しいと思っていたものが、絶対欲しいものになったのだから、あとはもう逃さないようにするしかない。
『ステラノヴァの凍て星』がいなくなった夜会に乗り込み、僕はアランに声をかけた。どういうわけかヘンリー国王のいない会場で、アランはミリアム・フォレスターに鼻の下を伸ばしていた。
「やあ、アラン王子。久方ぶりだね」
「――セルジュ、陛下」
僕の登場に会場はざわめいた。無理もない、王家との関わりは大事にしていたが、ステラノヴァ貴族の夜会に参加するほど暇ではなかったからね。
「ヘンリー王はご不在かな。……アステール公爵令嬢を振ったと聞いたけれど――本気?」
「あ、ああ。俺のミリアムを傷つけた悪女だ、許せるわけがない」
ああ、そう。こいつほんとに女を見る目がないな。
「ならさ。僕が貰ってもいいよね」
「……っは、ははは! セルジュ陛下、気は確かか? あんな、愛想のかけらもない凍りついた女を? ええ、くれてやりますよ。もはや俺の物でもないが」
ぶち、と何かが切れる音がした。が、それを表面に出さないまま、僕は会場の貴族たちに宣言してやる。
「では――セルジュ・ソラールはここに宣言しよう。プリムローズ・アステール公爵令嬢に求婚させていただくと」
明後日くらいには国中に広まるだろう。これでプリムローズは僕から逃げられない。策謀をめぐらせながら、心の奥がちく、と痛んだ気がした。
☆
ふと、意識が浮上した。自室のソファの上で目を覚ます。どれほど眠りこけていたのか、疲労というものは厄介だった。時刻は十時を回っている。すでにプリムローズは寝室で眠っている時間のはずだ。寝顔でも見に行こう、と寝室を開けるも、そこに彼女はいなかった。であれば私室の方か、と部屋をノックする。
「プリム……?」
声をかけるも、返事がない。侍女であるジゼル嬢の返事すらないことに、違和感を感じる。ドアノブをひねれば、部屋は鍵がかかっていなかった。伴侶とはいえ勝手に部屋に入ることを心の中で侘びながら、足を踏み入れる。誰もいない。
部屋から出るなと言ったのに、プリムはどこへ行ったのか。考え込んでいると、部屋のクローゼットの方から物音がする。歩みよって戸を開けば、縄で縛られ、布で口を塞がれたジゼル嬢がそこにいた。
「ジゼル嬢!?」
慌てて口の布を外す。息を荒げながら、ジゼルは言った。
「陛下、プリムローズ様が危険です……!」




