15.ソラール王妃、罠にかかる
王宮は蜂を突いたような騒ぎとなった。他国から嫁いできた元公爵令嬢、そして現王妃に対する毒殺未遂。下手すれば、ステラノヴァとソラールの間で戦争が起きてもおかしくない事態に、セルジュ様達は昼夜問わず犯人探しを進めていた。
私は、というと。放心したまま、ぼうっと部屋の中で過ごしている。今でも、あの時のことを思い出すと手が震える。見えない殺意が、ぴったりと背中に張り付いているような心地で、うまく休むことができないのだ。いつもはぽかぽかと温かい自分の手に、血流がうまく回っていかない。手も足も冷たく、心臓がずっと小刻みに動いて落ち着かなかった。
ジゼルからもらった茶でも飲んで気持ちを落ち着かせようかしら。そう思って侍女を呼ぼうと呼び鈴を手に取ろうとして、扉の外が騒がしくなる。ばたばたと誰かの駆け足が聞こえた。
「プリムローズ様、至急、お目通り願いたいことが」
「何事です」
扉を開く。近衛が一人、息を切らしながら立っていた。
「セルジュ様が何者かに襲われまして……!」
震える声。火急の知らせに、私は狙われていたのが自分だけではないことに驚愕する。ソラールそのものが狙われているのであれば、これはどこかの国からの明確な敵意なのだろうか。
だけど。そんなことより、今は。
「……すぐ。すぐに、案内して」
セルジュ様を助けに行かなければ。
胸が苦しいまま、近衛兵に案内を頼む。ジゼルに声をかける余裕などない。背後からプリムローズ様!と彼女の声がするけれど、今は振り向く時間だって惜しかった。重たいドレスが煩わしいかった。小走りで廊下を駆けていく。ソラールの王宮は私の知らない部屋がまだたくさんある。近衛兵は私がついてくるのを確認しながら、右へ、左へ、廊下を的確に曲がって行った。
そうしてたどり着いた突き当たりの部屋。近衛兵が奥の扉を開ける。今まで来たことのない部屋だった。
セルジュ様、どうしよう、どんな傷の具合なのだろう。私を助けてくれた人を、こんな形で失いたくないのに。
泣きそうになりながら小走りに扉を潜る。
そこには――誰もいない。
人影一つない埃被った部屋が、ただそこにあるのみだった。
え、と吐息が漏れた時には、自分の体が床に押し付けられている。人間の体重が、重く背にのしかかっていた。
「石を渡してもらおうか」
近衛兵が、私を拘束していた。後ろ側に両手を纏められ、ぐい、と引っ張られてうまく動けない。ひやりと首筋に何か――この状況だ、おそらく刃物だろう――が当てられている。
「なにを、するのです」
罠だった、と胸の鼓動が跳ね上がる。セルジュ様はここにいない。埃被った部屋の床で、ぎり、と歯噛みする。私はまんまと、敵の間者に捕えられたというわけだ。
「その首の宝石を渡していただこう。さもなくば」
首筋に当たる刃物の存在を、言外に示される。ようやく理解した。彼は、彼の背後にいる者は、ソラールを狙っているのではない。私の首にかかるこの宝石が欲しいのだと。背にのしかかる重みが増す。床に胸が潰され、呼吸がままならない。声も出せぬまま、目を閉じてセルジュ様の姿を思い浮かべる。
お願い、助けて。強く、強くそう願った。
男の手がペンダントの鎖に触れた。短剣で鎖を切ろうとしているのだろう、金属の触れ合う音がする。
その時。
「ぐああっ!?」
ばちん!と一際大きな光が放たれた。背中の重みがなくなった、と思って体を捩ると、弾き飛ばされたのか、近衛兵の姿をした男が壁に打ち付けられて悶えている。からん、と音を立てて男が手に持っていた短剣が落ちた。
どん、どん、と扉が叩かれる。ばたん、と大きな音を立てて部屋が開く。マティアス様を含めた本当の近衛兵たちが来てくれたのだ。きっと、ただならぬ様子を気にかけたジゼルが呼んでくれたのだろう。近衛達は宝石を抱く私と、壁で倒れた近衛兵を交互に見る。あんなやつ、いないよな。ぽつりと呟かれたその言葉で、空気が張り詰めた。
「逃すな、捕えろッ!」
マティアス様の号令で、近衛達が男へ殺到する。
「ッ……!」
男は自分の不利を悟ったらしい。宝石を手にすることができぬまま、窓へと手を伸ばす。ぱりんとガラスの割れる音。影が窓枠を飛び越え、間者は速やかに城内から逃げ去って行った。
「プリム」
人垣からセルジュ様が現れた。いつもの笑顔のように見えて、表情が凍りついている。
「……セルジュ様。ごめんなさい、私」
「君は悪くない。あんな賊が入りこめるこの城が悪い。……怖い思いをさせたね」
セルジュ様は優しくそう言ってくださる。けど、私にはわかる。深い緑色の奥に、憎悪と悲哀がのぞいていた。
私のせいだ。強く、そう思った。家族を失うのが怖い人に、またその恐怖を感じさせてしまった。セルジュ様にそんな顔、してほしくないのに。
ごめんなさい。そう呟いて、目の前がちかちかと明滅する。安堵からか急速に意識が遠のいて、視界が真っ暗になる。私はそのまま、意識を手放した。




