12.ソラール王妃、星を眺める
マティアス様からセルジュ様の昔話を聞いてから、一週間が過ぎた。ソラールでの生活に、私は少しずつ慣れてきていた。城内に出入りする王の側近たちの顔と名前を覚えたり、ソラールのしきたりを覚えたりしているうちに、日々はあっという間に過ぎていく。王妃としての仕事を少しずつこなしているうちに、少しずつ周りの人たちとは打ち解けてきた、ような気がする。重用されているソラール国の貴族たちは、ステラノヴァよりも気さくで、私の二つ名を気にせずに話しかけてくださる方々が多かった。
そんなふうに慌ただしく過ごしていた、ある夜。
共用の寝室。私は緊張を緩和させる効果のある蝋燭に火をつけて、その香りを楽しんでいた。ソラールは三方を山に囲まれた国だ。ほとんどが開けた土地にあるステラノヴァとは植生が違うと、以前に本で読んだことがある。この蝋燭は山の方に自生している花を複数使ったものだと、用意してくれたジゼルが目を輝かせて語っていた。
セルジュ様とは毎晩共寝をしているが、どうしても緊張してしまう。心臓もどきどきうるさいし、ずっと目を合わせると逃げたくなる。けれど、この前のマティアス様の話を聞いて、もっとセルジュ様のことを知りたいと思ったのだ。もう少し話がしたくて、しっかり向き合うために、安楽のための品をジゼルに頼んだのだった。
蝋燭と同じ産地の薬草を煎じた茶を含み、窓からそっと星あかりを眺める。ステラノヴァではこの時間に見られなかった星が、月のない夜の空で輝いている。青みがかった光が神秘的で、ずっと見ていられそうだった。
「綺麗……」
「君も、あの星が気に入ったのかな」
「きゃあ!?」
振り向けば、背後に夜着を纏ったセルジュ様が居た。気配なく後ろに立つので、びっくりして小さく体が跳ねてしまった。心臓がうるさい。
「せ、セルジュ様……」
「セルジュ、でしょ」
「……セルジュ。びっくりさせないでください」
恨めしげに睨めば、ごめんごめん、と軽い口調で笑っていらっしゃる。
「君が星空を眺めているところが気になってね。あの星、綺麗だろう」
「ええ。星座の配置を考えると、あれは『雫星』ですよね。ステラノヴァでは、明け方に見られるかどうか、というところで。こんなにはっきり見たのは初めてです」
セルジュ様も一緒に天を仰いで、『雫星』をじっと見つめる。他の星から少し離れたところにある、ぽつんと明るい光を探せばそれが『雫星』だ。新月の晩、暗い空の中で青く輝く星が、雫をぽたりと落としたように見えたためにその名がついたのだとか。
未知なる輝きに心を奪われていると、ふと、背後から気配を感じた。振り返らずにいると、後ろからそっと抱きしめられる。
「君に似てるな、と思ってるんだ」
「……あの星が?」
「うん。僕の一番好きな星なんだけれどね」
セルジュ様の腕の力が強くなった。逃げられなくなる、けれど、嫌じゃない。安心するような、けれど緊張するようなそんな不思議な感覚。逃げ出したいけれど、このままでいたいような、矛盾。とく、とく、と心臓の音が耳のそばで聞こえるようだった。
「即位したばかりの頃、いろいろ大変でね。まあ、基本的には孤軍奮闘って感じだったんだけど。その時に、あの星を心の支えにしてたんだ」
囁くように、セルジュ様が語る。マティアス様から聞いた、疫病と寒波が襲ってきたあの時期のことだろう。
「真っ暗な中、道標みたいに青く光ってる星を見て、まだ死ねないと思ったことが何度もあった。だから、あの星は僕の希望」
低いテノールが、いつもより揺れて聴こえる。セルジュ様の表情は見えなかったが、空気に哀しみが混じる。
「……辛かったでしょう」
振り返らずに呟けば、腕の力が少し緩んだ。ちらり、とセルジュ様の顔を見れば、泣き出しそうな小さな子供みたいな表情をしていた。
「過ぎた事だ」
「それでも。……マティアス様から聞きました。たったお一人で、やらなければならない事をやってのけたと。私には想像もつかない困難です」
マテューめ、とセルジュ様が舌打ちをなさる。それからぐしゃり、と前髪をかき乱した。はあ、とため息をついて、セルジュ様が項垂れた。私はしっかりとセルジュ様の方へ向き直って、彼の瞳を見つめる。深い緑の奥で、悲しみが漂っていた。
「セルジュ、私……あなたの力になりたいのです。あの時助けていただいた恩を、お返ししたいの」
セルジュ様が息を呑んだ。
「……君が、ここにいる事自体が、僕にとっての助けだよ」
大きな手が、私の頭を撫でる。八つも歳上の夫が、泣き出す前の小さな子供に見えた気がした。しばらくそうして星を眺めて、他愛もないことを語り合う。
眠る時、なんとなく手を繋いでいたくて。セルジュ様の手をぎゅ、と握ったまま、夢の世界へと潜り込む。蝋燭の香りが、優しく眠りへ誘ってくれる、そんな気がした。
☆
眠るプリムローズを見て、セルジュは愛しさで胸がいっぱいになるようだった。初夜はどちらかといえば欲に突き動かされていた部分が大きいが、今はどちらかというと、心の充足で彼女への恋慕が募る。『雫星』は、夜会でたったひとりになっていたプリムローズの姿とも重なった。独りでも、輝き続ける青い星。かつてあの厄災のような寒波と飢饉で苦しんだ自分を励ました星を体現したような少女に、セルジュは魂ごと魅了されていた。八つも歳下であるというのに。
「……君は、どこまで僕を夢中にさせるんだ、プリム」
心の傷にそっと寄り添われたような気がした。長い間誰も踏み入れなかった部分に、プリムローズは軽やかに近寄って。己の凍りついた部分を全て溶かしてしまった、そんな感覚。セルジュは眠る妻の頭を撫でながら、繋いだ手を強く握り返した。




