95、王都ダイベイドアで待つもの
アシュドラは、以前ダイスロープで見た時と同じ、やたら整った顔で薄く笑った。
「再会を喜んでもらえて光栄だ、美しき同胞よ」
「喜んでない」
「そう冷たくするな。あの夜以来、ずっと気になっていた」
「それを普通は迷惑って言うのよ」
アシュドラはわたしの言葉なんて聞いていないみたいに、優雅ぶった仕草で片手を胸に当てた。
「以前は無礼を働いた。あの場では、御身の高みを見誤っていたからな」
うわ、前より面倒くさくなってる。
そう思ったのは、たぶんわたしだけじゃない。
「あの拗らせてそうな奴、ドレミの知り合い? 友だちは選んだ方がいいぞ」
ベルロウさんが露骨に顔をしかめた。
「同感」
アリアさんも剣先を下げない。
けれどアシュドラは、ほとんど彼女たちを見ていなかった。
視線はわたしに向いている。まっすぐすぎて気味が悪いくらいに。
「我が名はアシュドラ。古き者の純血に連なる者」
そこまでは前に聞いた。
「王都に近づくほど、夜に連なる者どもは騒ぎ出す。ならば、その前に確かめておきたかった。御身が敵か、あるいは並び立てる方なのかを」
「並び立つ気はないわ」
わたしは即答した。
「前にも言ったでしょ。そっちの“夜の世界がどうこう”に、わたしは興味ないの」
「今はそうでも、いずれ理解する」
「しない」
「人間の都に近づけば、なおさらだ」
赤い目が細くなる。
「王都には古い血の残滓がある。死にきれぬもの、縋るもの、救われたいもの。そういう者どもは、御身のような存在を放ってはおかない」
「だから先に仲間にしに来たってわけ?」
「共に歩む道を示しに来た」
「言い換えただけじゃない」
そのやり取りの横で、統が小さくため息をついた。
「長い」
いつもの、あの平坦な声だった。
「帰れ。姉上はお前の芝居に付き合うほど暇ではない」
アシュドラの視線が、そこで初めて統へ向く。
でも、その見方は前とは違った。
恐れるというより、値踏みだ。
わたしのそばにいる付き従う者、くらいの認識なのだろう。
「従者が口を挟むか」
声が少し冷える。
「御身の傍に侍ることを許されているからといって、分を越えるな」
「誰が従者よ」
わたしが即座に突っ込むより早く、統が言った。
「違うな」
「ほう?」
「私は面倒を見ている側だ」
それがまた、無表情で棒読みみたいな口調だから余計にひどい。
アシュドラの赤い目が、すっと細まる。
明らかに機嫌が悪くなったのがわかった。
「……不愉快だ」
その一言と同時に、空気が切れた。
黒い刃が夜の中から生まれる。
闇そのものを削って作ったみたいな、細く鋭い一撃だった。
狙いは、統。
「統!」
考えるより先に身体が動いていた。
わたしは統の前へ滑り込み、右手を突き出す。
腹の底で、あの“深い心臓”がひとつ強く鳴った。
直後、皮膚の上を透明な膜が走るような感覚。
統の絶対防御バフだ。
黒刃がそこへぶつかる。
甲高い音が夜気を裂いた。
衝撃が腕を走る。
でも、弾いた。
黒い刃はわたしの前で砕けて、霧みたいに散る。
アシュドラの目が見開かれた。
「……またか」
「またよ」
わたしは一歩踏み込んだ。
「前も言ったけど、うちの身内に勝手に手ぇ出さないでくれる?」
怖くないわけじゃない。
でも、それより先に腹が立った。
こいつは統を何だと思ってるんだろう。
従者でも、ただの子どもでも、どっちにしたって勝手に切り捨てていい存在だとでも?
「七色、下がれ」
統が言う。
「やだ」
「邪魔だ」
「嘘つき。今の、完全に庇うべき場面だったでしょ」
わたしが言い返した瞬間、ベルロウさんが横から飛び出した。
「あーしらもいるっての、忘れてんじゃねえよ!」
双剣が夜を裂く。
ノッピーニオさんも無言で前へ出て、重い一撃で間合いを潰しにかかる。
アリアさんはやや後ろに位置を取り、逃げ道を塞ぐ形で剣を構えた。
「深追いしない!」
アリアさんが叫ぶ。
「こいつ、試してるわ!」
その通りだった。
アシュドラは本気で殺しに来たというより、値踏みしている。
強さも、反応も、立ち位置も。
だからこそ気持ち悪い。
アシュドラは後ろへ滑るように下がった。
ほんとうに地面を蹴っているのかも怪しい、不快なくらい軽い動きだった。
「なるほど」
赤い目が、愉快そうに細まる。
「娘。やはり御身は面白い」
「嬉しくない!」
「その力、その怒り、その執着。半端な血でそこまで到るか」
「勝手に決めつけないで」
「では、何者だ?」
わたしはそこで一瞬だけ言葉に詰まった。
何者なんだろう、わたしは。
自分でもまだよくわからない。
だからこそ王都へ行こうとしているのに。
沈黙したわたしを見て、アシュドラは薄く笑う。
「知らぬまま進むのも一興か。ならば王都へ行け。あそこには、古い夜に縋る者どもがまだ残っている」
ぞっとするくらい、楽しそうな声だった。
「御身が何であるか、誰が最初に膝を折るか。見るには悪くない舞台だ」
「見世物になる気はないんだけど」
「そういうものほど、勝手に舞台の上へ引きずり上げられる」
アシュドラは最後に、また統を見た。
その視線には苛立ちが混じっている。
「従者」
「違うと言ったはずだ」
「そうであれ、違っていようと同じことだ。次に私の前へ立つなら、その時はもう少し礼を学べ」
「お前よりはましだ」
統の返しがあまりにも真顔すぎて、こんな場面なのにちょっとだけ笑いそうになった。
たぶん、アシュドラも気に入らなかったのだろう。
赤い目が細くなり、怒気がわずかに強まる。
けれど次の瞬間、その気配はふっと薄れた。
「……今夜はここまでにしておこう」
黒い外套が夜風に揺れる。
「以前は私が見誤った。今はまだ、人間どもも含めて見極めが足りぬ。ならば急ぐ理由もない」
「こっちは二度と会いたくないんだけど」
「そういう願いほど叶わぬものだ」
うわあ、ほんとに嫌なこと言う。
アシュドラはほんの少しだけ口元を上げた。
「ではな、七色」
名を呼ばれて、背筋が少し粟立った。
「王都で待つものが、御身にとって福音か災厄か――楽しみにしている」
その言葉を残して、アシュドラの姿は闇に溶けた。
風がひとつ吹く。
それだけだった。
しばらく、誰も口を開かなかった。
最初に息を吐いたのはベルロウさんだ。
「……最悪だな、やっぱあいつ」
「ええ、かなり」
アリアさんも剣を収めながら言う。
「宗教勧誘より質が悪いわ」
ノッピーニオさんは無言で周囲を見回し、敵の気配が完全に消えたのを確かめてから、ようやく肩の力を抜いた。
わたしは自分の右手を見下ろした。
少し震えている。
遅れてきたらしい。
「七色」
アリアさんが近づいてくる。
「怪我は?」
「ない、と思う」
「“と思う”はやめなさい」
言いながら、アリアさんはわたしの腕を軽く確かめた。
その手つきが意外なくらい丁寧で、少しだけ力が抜ける。
「統は?」
わたしが振り返ると、統はいつもの無表情で立っていた。
「問題ない」
「ほんとに?」
「お前が前に出た」
「そうだけど」
「助かった」
一瞬、耳を疑った。
「えっ」
「聞こえなかったか」
「いや、聞こえたけど。今の統が言うんだ、って」
「失礼だな」
「自覚なさいよ」
ベルロウさんが吹き出す。
「あーし、ちょっとだけ感動したぞ」
「余計だ」
「照れてんのか?」
「違う」
「子どもの顔でむくれると少し可愛いな」
「ベルロウ」
「悪かったって」
そんな、少しいつもの調子みたいな空気が戻ってきて、ようやく息が整った。
でも胸の奥のざわつきは消えない。
王都へ行けば、答えの欠片がある。
アシュドラはそう言った。
知りたい。
でも、知るのが怖い。
その両方が、前よりずっとはっきりした気がした。
部屋へ戻ったあともしばらく眠れなかった。
窓の外は静かで、宿場は何事もなかったみたいに眠っている。
でも、わたしたちだけが少し別の夜を見てしまった気がする。
隣の寝台から、統がぽつりと言った。
「気にするな」
「何を」
「アシュドラの言葉だ」
「便利ね、そのざっくりした慰め方」
「慰めてはいない」
「でしょうね」
でも、そのそっけなさは少しだけありがたかった。
「王都に行く理由は、あいつに言われたからじゃない」
統が続ける。
「お前が決めたからだ」
わたしは天井を見たまま、少しだけ黙った。
「……うん」
「ならそれでいい」
それだけ言って、統は黙った。
説明も、飾りも、立派な励ましもない。
でも今は、それで十分だった。




