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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第七章 王都への道編

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94、街道に立つ白い影




 ゲルトさんの家を出たあとの馬車は、行きより少しだけ静かだった。


 誰かが気を遣って黙っている、という感じではない。

 ただ、わたしの中で何かが少し落ち着いたせいか、言葉を無理に探さなくてもよくなっただけだと思う。


 幌が風に鳴る。

 車輪が土を踏む。

 時々、道の小石に乗り上げて荷台が跳ねるたび、ベルロウさんが「あー、もう」と面倒くさそうに腰を浮かせる。


「……顔、ちょっとましになったな」


 向かいに座ったベルロウさんが、耳をぴくりと動かしながら言った。


「ほんと?」


「あーしを誰だと思ってんだ。鼻も耳もいいんだよ」


「便利ね」


「こういう時だけはな」


 口調はいつも通りちょっと蓮っ葉なのに、言っていることはだいぶ優しかった。


 アリアさんも、地図を畳みながらこちらを見る。


「話せたのね」


「うん」


「それで十分よ」


 それ以上は聞かない。

 ありがたいな、と思う。


 何もかも全部、きれいに言葉にしなくてもいい。

 そういう距離で一緒にいてくれる人がいるのは、思っていたよりずっと救いだった。




 その日は宿場をひとつ越え、獣人の多い小さな集落で昼の休憩を取った。


 干した肉の匂い。

 道端で売っている硬い焼き菓子。

 井戸端で笑う子どもたち。

 耳や尻尾の形は違っても、暮らしている人たちの空気はどこも同じだ。


 次の日は風の強い街道を進み、塩気の混じる空気の宿場で一泊した。

 その次の日は古い石橋を渡り、馬の足を休ませながら、じわじわ東へ進む。


 旅は、地図で見るよりずっと細かいものでできている。


 食べる。

 歩く。

 揺られる。

 眠る。

 たまに景色に見とれて、たまに腰が痛いと文句を言って、たまにすばるにむかつく。


 そういう積み重ねの先に、王都がある。それを実感し始めた頃だった。




 その日の夕方、わたしたちは街道沿いの中くらいの宿場町に入った。


 広場を中心に宿や道具屋や露店が集まっていて、旅人も商人もそこそこ多い。大きな街ほどじゃないけれど、逆にこういう場所の方が、いろんな噂や人の気配が混ざるのかもしれない。


 馬車を止めたところで、広場の空気が少し妙なのに気づいた。


 ざわざわしている。


 でも市場の賑やかさとは違う。

 もっと静かで、妙に整ったざわめきだ。


 広場の中央では、白い布を肩や頭にまとった一団が、旅人たちに何かを配っていた。


 小さな札。

 紐で括られた護符。

 薄い香の匂い。


「ああ、またあれか」


 ベルロウさんが、露骨に嫌そうな顔をした。


「昼間の街道で見たのと同じ手合いね」


 アリアさんが低く言う。


 たしかに、雰囲気は同じだった。

 静かで、よく揃っていて、そのくせ人を見る目だけが妙に鋭い。


「王都に近づくほど増えるってことかしら」


 わたしが言うと、アリアさんは小さく頷いた。


「そう考えるのが自然でしょうね。寄付や救済を口実に、人の不安に食い込むのは、こういう時代の定番よ」


「すごく嫌な定番ね」


「ええ、本当に」


 わたしたちはできるだけ関わらないよう、広場の端を横切って宿へ向かおうとした。


 けれど、向こうの方が先に気づいた。


 白布のひとり――柔らかな物腰をした若い女が、静かにこちらへ歩み寄ってくる。


「旅の方々、お疲れでしょう」


 声は穏やかだった。

 押しつけがましさもない。むしろ丁寧すぎるくらいだ。


「夜の安寧を祈る護符をお配りしています。よろしければ、おひとつ」


「結構です」


 アリアさんが即答する。


 女はそれでも笑みを崩さなかった。


「代価は要りません。救いは、必要な方へこそ届くべきものですから」


 そこまで言って、女の視線が流れた。


 アリアさん。

 ベルロウさん。

 ノッピーニオさん。

 統。


 そして最後に、わたしで止まる。


 その瞬間、女の表情がほんの少しだけ揺れた。


 驚いた、というほど露骨じゃない。

 でも、何かを見つけた顔だった。


「……あなたは」


 ごく小さく、そんな声が漏れる。


 わたしは思わず足を止めた。


「え?」


「いえ……」


 女はすぐに微笑みを作り直した。

 けれど目だけが、さっきよりずっと慎重にわたしを見ている。


 まるで、何かの印を確かめるみたいに。


「長旅でお疲れのご様子です。こちらは心を鎮める香草の札でして――」


「要らないって言ってるでしょ」


 ベルロウさんが一歩前へ出る。


「あーしら、そういうありがてえもんに縁がなくてね」


 女はベルロウさんを一瞥しただけで、またわたしを見る。


 その視線が、妙にぞわっとした。


 統に向けられる警戒とは違う。

 もっとこう、値踏みというか、確認というか。


 わたし自身、気配を完璧に隠せているわけじゃない。

 統みたいに、存在感ごと綺麗に抑え込むなんて到底無理だ。


 たぶん、わかる相手にはわかるのだろう。

 それも、“統の方が危険”とは気づかないまま。


「……まさか、とは思いますが」


 女が小さく言いかけて、そこで口を閉ざした。


 代わりに視線を少し落とし、今度は統を見た。

 でもその目にはさっきのような驚きはない。

 従者か、付き添いの子どもか、その程度の認識なのだろう。


「お連れの方々にも、どうか安らぎが訪れますよう」


 そう取り繕って、女は一歩下がった。


 アリアさんが低い声で言う。


「行きましょう」


 わたしたちはそのまま宿へ向かった。


 背中に、まだ視線が刺さっている気がする。




 宿は広場に面した二階建てで、食堂つきのありふれた街道宿だった。

 部屋は狭いけれど清潔で、寝るだけなら十分。

 夕食は塩漬け肉と根菜の煮込み、黒パン、それに薄いスープ。


 いつも通りといえばいつも通りの味だったけれど、広場での一件のせいで、食卓の空気は少しだけ低かった。


「昼間の女、ドレミを見て止まったわね」


 アリアさんが声を潜める。


「うん。統じゃなくて、わたしを見てた」


「そりゃそうだろ」


 ベルロウさんがスプーンを置いた。


「スバルは抑えすぎだ。あれで引っかかるようなら相当なもんだが、今日の連中はそこまでじゃねえ。逆にドレミの方は、隠してるつもりでもまだ甘い」


「う、ぐ」


 言い返せない。


「それに、ああいう手合いから見りゃ、お前の方が“それっぽい”んだろうよ」


「それっぽいって何」


「上に立つ側ってことだろ」


 ベルロウさんは肩をすくめた。


「スバルは見た目が子どもだし、気配も薄い。普段の行いを知ってるやつじゃなきゃ、ただの付き添いか、せいぜい従者だと思う」


 それは、たしかにそうかもしれない。


 普段の統を知っている側からすると完全に逆なのだけど、初見ならそう誤解しても不思議じゃない。


 アリアさんが頷く。


「向こうがドレミを“上の存在”として見誤ってる可能性は高いわね。昼の女の態度も、警戒というより確認に近かった」


「嬉しくない確認ね……」


「ええ、まったく」


 わたしは無意識に統を見た。


 統はいつもの無表情で、淡々とスープを飲んでいた。


「……何か言いなさいよ」


「何をだ」


「こう、否定とか」


「事実と違うなら、そのうちわかる」


「他人事ね」


「他人事だからな」


 腹立つくらい落ち着いている。


 でも、その落ち着きが少しだけありがたいのも事実だった。


 アリアさんはグラスを置いて、声を低くする。


「王都に近づくほど、ああいう連中は増えるでしょうね。最近は『古き血』『夜の加護』『真祖の再来』みたいな噂を旗印にする集団が増えてるって、監査院でも話題になってる」


「真祖、ねえ……」


 口に出した瞬間、自分でも変な感じがした。


 わたしはそんな大層なものじゃない。

 でも、だからといって人間だとも言い切れない。


 その中途半端さが、最近いちばん厄介だった。


「ドレミ」


 アリアさんが静かに言う。


「無理に割り切らなくていいわ。でも、向こうが勝手に意味をつけてくることはある。それだけは覚えておいて」


「……うん」


 たぶん、それは正しい。


 この世界の人たちは、自分が理解できないものに名前をつけたがる。

 真祖。古き者。呪い。救済。


 こっちがまだ何も決めていないうちから、勝手に意味を押しつけてくる。


 それが、少し怖かった。




 夜は更けた。


 宿場町のざわめきも遅くにはほとんど消えて、窓の外に残るのは風の音と、たまに遠くで犬が鳴く声くらいになる。


 眠れないわけじゃなかった。

 でも、眠りは浅かった。


 広場の白布。

 女の視線。

 真祖という単語。


 そういうものが頭の隅でまだざわついていたからだと思う。


 だから、夜中に気配が変わった時、すぐ目が覚めた。


 冷たい。


 宿の外の空気だけが、急に深く沈んだみたいな感覚だった。


 わたしが身を起こした時には、統はもう目を開けていた。


「起きてるなら先に言って」


「起きたから見ている」


「うそっぽい」


「そうか」


 そう言う声が平坦すぎて、ますます怪しい。


 でも次の一言で、眠気は完全に飛んだ。


「面倒なのが来た」


「白布の連中?」


「それより上だ」


 わたしたちは音を立てないように部屋を出た。

 廊下の先では、すでにアリアさんたちも気づいていたらしい。ベルロウさんは双剣を手に、耳をぴたりと伏せている。


「外に一匹」


「“一人”じゃないのね」


「あーしの勘が、そっちはやめとけって言ってる」


「同感よ」


 アリアさんが短く剣を抜く。


「宿の中でやられると面倒だわ。外へ」


 わたしたちは宿の裏手へ回った。


 草地が広がり、その向こうは低い林になっている。

 月は薄雲の向こうで、光は弱い。


 その闇の中に、ひとつだけ妙に輪郭のはっきりした影が立っていた。


 黒い外套。

 雪みたいに白い肌。

 血の色みたいな赤い目。


 見た瞬間、わたしの口から半分呆れた声が漏れた。


「……うわ」


 もう一度見ても同じ感想しか出ない。


「またあんた?」


 そいつ――アシュドラは、以前ダイスロープで見た時と同じ、やたら整った顔で薄く笑った。




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