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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第七章 王都への道編

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93、残された者の家




 沈黙がひとつ落ちたあと、ゲルトさんが杯を机に置いた。


「……この前、別れたあとで思ったんだ」


 わたしは顔を上げる。


 ゲルトさんは、少しだけ視線を暖炉の方へ流しながら続けた。


「もう一回、お前がここへ来ることはねえかもしれんってな」


「どうして」


「そりゃあ、来にくいだろ」


 あっさりした言い方だった。


 でもその奥にあるものは、全然あっさりしていなかった。


「お前からすりゃ、この街は思い出したくねえことだらけだ。あの時のことも、あいつのことも、全部ここにある」


 あいつ、という言い方だけで、誰のことかわかってしまう。


 わたしは黙ったまま、指先で杯の縁をなぞった。


「それでも来たのは」


 ゲルトさんが、今度はまっすぐこちらを見た。


「顔を見たかったからか」


「……うん」


「そうか」


 たったそれだけなのに、胸の奥がじわっと痛んだ。


「わたしも」


 気づけば、言葉が先に出ていた。


「来にくかったです」


 自分でも、ずいぶん正直だと思う。


「会いたかったし、無事か確かめたかった。でも、何て言えばいいのかわからなくて。会ったら余計なことまで思い出させるんじゃないかって、ずっと迷ってました」


「迷うのは当然だ」


「でも、来ないまま先に進むのも違う気がしたんです」


 そこで言葉が詰まる。


 自分の胸の中にあるものを、そのまま出すのは案外難しい。


 わたしが言いよどんでいると、ゲルトさんは視線を落として、小さく言った。


「……おれもな」


 その声は、さっきより少し掠れていた。


「もう一回、お前の顔を見る資格なんざ、ねえと思ってた」


 空気が、静かに張る。


 統は何も言わない。邪魔をしないかわりに、逃げ道も作らない沈黙だった。


「おれがもっと早く動けてりゃ、とか。別のやり方があったんじゃねえか、とか。そういうのは毎日考える。考えたってどうにもならねえのはわかってるんだが」


 ゲルトさんは、自嘲気味に笑った。


「腕がなくなったこと自体は、まあいい。よくねえが、まだいい。生きてるからな。だが、生き残った方ってのは、勝手に計算するんだよ。これで釣り合ってんのか、ってな」


「……」


「……笑えねえだろ」


 ゲルトさんは自分でそう言って、少しだけ口を歪めた。


 わたしは息を止めた。


 その重さが、あまりにもよくわかってしまったから。


「釣り合うわけ、ないですよ」


 ほとんど反射で、そう言っていた。


「腕一本なくしたからって、全部帳消しになるわけじゃないし、だからって、その傷が軽いわけでもない」


 きれいな慰めにはなっていない。

 でも、たぶんわたしが今言えるのはそれだけだった。


「わたしも、たぶんずっと計算してます。あの時こうしてたら、とか。言わなかったら、とか。もっと早く気づいてたら、とか」


 喉の奥が少し熱くなる。


「でも、計算したって、合わないんです。ぜんぜん」


 ゲルトさんはしばらく黙っていた。


 やがて、ふっと力の抜けた顔で笑う。


「……お前、そういうとこ不器用だな」


「いきなり失礼じゃないですか?」


「慰めようとしてるのに、慰めきれてねえ」


「自覚はあります」


「だろうな」


 少しだけ、空気が緩む。



 しばらくして、外から小さく鳥の鳴き声みたいな合図がした。


 統がわずかに顔を上げる。


「ベルロウだな」


「わかるの?」


「耳のいい獣人が、雑に合図するとああなる」


「雑にって何よ」


「音が大きい」


 思わず笑いそうになる。


 たぶん「長くなりすぎるなよ」くらいの意味だろう。


 ゲルトさんも気づいたらしく、口の端を上げた。


「気ぃ遣わせてるな」


「みたいですね」


「いい仲間じゃねえか」


「……うん」


 それはちゃんと、誇っていいことだと思った。


 そして、それと同じくらい。

 この人が今こうして生きていることも、わたしにとって大事なことなのだと思う。


 ゲルトさんが改めてわたしを見る。


「それで」


 来ると思っていた問いだった。


「次はどこへ行く」


 わたしは少しだけ視線を落とした。


「……王都です」


 ゲルトさんの眉が、わずかに動く。


「ダイベイドアか」


「はい」


「アリアの用か」


「それも、あります」


 “それも”。


 自分でそう言ってしまってから、しまったと思った。


 ゲルトさんはすぐには何も言わなかった。ただ、こちらの顔を静かに見ている。責める視線じゃない。だからこそ、余計に逃げにくい。


「わたし」


 言葉を探す。


「ちょっと……確かめたいことがあって」


「自分のことか」


 小さく、心臓が跳ねた。


「……」


「図星か」


「ずるい聞き方しないでください」


「当てずっぽうだ」


「当たってるから困るんですけど」


 ゲルトさんは小さく笑った。


 その笑い方に、妙な優しさがあった。


「言いたくねえなら、言わなくていい」


 思いがけない言葉に、わたしは顔を上げる。


「え」


「お前が何を抱えて王都へ行くのか、今ここで全部きれいに話せる顔じゃねえ」


 また顔に出ていたらしい。


 ほんとうに、この世界に来てから表情管理の難易度が上がってない?


「ただな」


 ゲルトさんは、残った方の手で杯を持ち上げてから言った。


「逃げるために行くんじゃねえなら、それでいい」


 その言葉が、思っていたより深く胸に落ちた。


「答えが欲しくて行くのか、喧嘩を売りに行くのか、巻き込まれて仕方なしか、そんなもんは途中で変わる。だが、自分の足で行くって決めたなら、そいつは誰にも奪えねえ」


 そこで一度、言葉を切る。


「おれは、お前のやること全部を肯定してやれるほど立派じゃねえ。止めた方がいいと言いたくなる時もある。たぶん王都は、そういう場所だ」


「……はい」


「でも」


 ゲルトさんは少しだけ困ったように笑った。


「お前が行くって言うなら、もう止めねえよ」


 許された、とは思わなかった。


 そんな簡単な話じゃない。


 けれど、背中を押されたのとも少し違う、奇妙に静かな承認みたいなものを感じた。


 勝手に進んでいいわけじゃない。

 でも、怯えて立ち止まったままでもいなくていい。


 たぶん、そのくらいの位置だ。


「ありがとうございます」


 わたしが言うと、ゲルトさんは鼻で笑った。


「礼を言われるほどのことは言ってねえよ」


「じゃあ、覚えておきます」


「それでいい」


 統がそこで口を開いた。


「王都は面倒だ」


「お前が言うと説得力しかねえな」


 ゲルトさんが苦笑する。


 ただ、その苦笑にはほんの少しだけ緊張が混ざっていた。

 統に対して自然に返そうとしているのに、やっぱりどこかで“格上”として意識してしまっている。そんな感じだ。


「ドレミが無茶しそうになったら止めてやれ」


 ゲルトさんはなるべく平静にそう言った。


「無理だ」


「即答!?」


「聞かない時は聞かない」


「否定できないのが悔しいわね……」


 わたしが肩を落とすと、ゲルトさんが声を立てて笑った。


 その笑い声が、この家の中にちゃんと馴染んでいることが、少し嬉しかった。


 外へ出ると、日が少し西に傾き始めていた。


 林の向こうから差す光が柔らかくなって、ログハウスの壁をあたたかい色に染めている。森の中にぽつんとあるのに、ここだけは妙に“帰る場所”みたいな空気があった。


 別れ際、わたしは何を言えばいいのか少し迷った。


 また来ます、でいいのか。

 元気で、でいいのか。

 無理しないで、なんて、もう十分無理をして生き直している人に言うには軽すぎる気もした。


 迷っているうちに、ゲルトさんの方が先に言った。


「次に来る時は、もう少し気楽な顔で来い」


「そんなにひどい顔してました?」


「してた」


「うわあ、容赦ない」


「そのかわり、来るなとは言わねえ」


 わたしは少しだけ目を丸くして、それから笑った。


「……はい」


「あと、土産持ってこい」


「急に現実的ですね」


「甘いもんがいい」


「覚えておきます」


「硬いパン以外で頼むぜ」


「そこはすごく同意です」


 最後の最後でそんな話になるのが、なんだか少しだけおかしくて、助かった。


 わたしは軽く頭を下げた。


「行ってきます」


 ここはわたしの家じゃない。

 でもその言葉が、いちばん近かった。


 ゲルトさんは一瞬だけ目を細め、それから短く頷く。


「おう。……行ってこい」


 統はその横で、小さくひとつ頷いただけだった。

 ゲルトさんも深くは触れず、ただほんのわずかに姿勢を正して応じる。


 そのやり取りだけで、二人の距離が少しわかった気がした。

 馴れ合いではない。

 でも、確かに認め合ってはいる。


 林を抜ける途中で、ベルロウが木にもたれて待っていた。


 こちらを見るなり、耳をぴくりと立てる。


「終わったか」


「うん」


「泣いた?」


「泣いてない」


「ほんとかぁ? あーし、鼻の音でわかるぞ?」


「やめて、変な特技で追い込まないで」


 ベルロウはけらけら笑って、わたしの肩を軽く小突いた。


「まあ、顔はましになったな。行く前よりは」


 その一言に、わたしは少しだけ立ち止まった。


 行く前よりは。


 たぶん、ほんとうにそうなのだと思う。


 全部が軽くなったわけじゃない。

 綺麗に整理がついたわけでもない。

 後悔も、引っかかりも、まだ残っている。


 でも少なくとも、会わないまま先へ進むよりは、ずっとよかった。


 馬車のところまで戻ると、アリアとノッピーニオが待っていた。

 アリアはわたしの顔を見るなり、何も聞かずに小さく頷くだけに留める。


 それがありがたかった。


「行けそう?」


「うん」


「そう。じゃあ今日はこのまま少し進みましょう。日が落ちる前に、次の宿場まで出たい」


「了解」


 幌馬車に乗り込む時、わたしは一度だけ振り返った。


 木立の向こうに、家はもう見えない。


 認識阻害のせいか、注意して目を凝らしても、そこに何かあるという確信だけが薄く残る。

 でも、たしかにあそこにあるとわかっている。


 残された者の家。


 失ったものを抱えたまま、それでも火を絶やさずに暮らしていく場所。


 馬車が動き出す。


 車輪が土を踏み、幌がきしみ、景色が少しずつ後ろへ流れていく。


 わたしは揺れる荷台の上でサコッシュを抱え直し、小さく息を吐いた。


 軽くなった、とは言えない。


 でも、ほんの少しだけ。


 次の場所へ向かうための足場が、自分の中にできた気がした。


 王都はまだ遠い。


 けれど、もう逃げないで行けるかもしれないと、そう思えた。




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