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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第七章 王都への道編

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91、北門の向こうは次の幕




 自治都市ボーダーの北門をくぐったとき、わたしは胸の奥に溜まっていた息を、ようやくひとつ吐き出した。


 朝の空気は少しひんやりしていて、それでも服の裾にはまだ海の気配が残っている気がする。

 振り返れば、あの騒がしくて、がめつくて、でも妙に活気だけはある街が、朝日を受けてきらきらと光っていた。北区の煙突からはもう煙が立ちのぼり、鍛冶場も工房も商会も、まるで何もなかったみたいな顔で今日を始めようとしている。


 いや、まあ、何もなかったわけじゃない。


 胡散臭い商人。壊れた魔道具。教会での騒ぎ。権力闘争。裏切り。ついでに命の危険。


 思い返してみると、ぜんぜん穏やかな滞在じゃなかったはずなんだけど。


 それでも、最後に街を見て思った感想が、


 ――海鮮、美味しかったなあ。


 なのだから、わたしという人間もだいぶ図太い。


「……なんか、すごい顔してるわよ」


 隣で地図を広げていたアリアが、呆れたように言った。


「どんな顔?」


「面倒ごとが終わって安心してる顔と、魚市場で食べたもの思い出してる顔が半分ずつ」


「そんな器用な表情できる?」


「ドレミならできるでしょ」


 ひどい。


 でも、否定できないのがもっとひどい。


 わたしは肩のサコッシュを抱え直した。中には、まだ使い道のわからないガラクタみたいな魔道具がごろごろ入っている。役に立ったものもあれば、役に立たなそうでいて肝心な時に暴れるものもある。人生ってたぶん、そういうのでできてる。


 すばるはわたしたちより少し前に立って、無表情のまま街道の先を見ていた。朝日を浴びていても、あいつだけは妙に影が薄い。存在感がないわけじゃない。むしろありすぎるくらいあるのに、景色に溶け込むのが上手すぎるのだ。


 ベルロウは肩を回しながら小さく欠伸を噛み殺し、ノッピーニオはいつも通り何も言わずに荷の具合を確認していた。


 旅立ちの空気としては、思っていたより静かだった。


 もっとこう、「次の舞台へ!」みたいな勢いのある感じになるのかと思っていたけれど、現実はそうでもないらしい。

 大きな騒動をひとつ抜けたあとは、達成感より先に疲れが来る。


 とくに心に。


「で」


 アリアが地図を持ったまま、わたしたちを見回した。


「ここから先の話をするわ。王都ダイベイドアに向かうのは決まりとして、問題はどの道を使うかよ」


 その一言で、みんなの意識が自然と集まる。


 わたしたちは門から少し離れた街道脇へ移動して、小さな輪を作った。荷馬車が軋みながら横を通り、商人たちの声が風に流れていく。平和な朝だ。少なくとも見た目だけは。


 アリアは地図の上を指先でなぞった。


「最短だけを考えるなら、海沿いへ出て船を使う手もある。でも人の出入りが多いし、港は記録が残る。王都方面に向かう旅人は目立つわ。陸路なら時間はかかるけど、そのぶん誤魔化しは利く」


「船かぁ……」


 わたしがぼそっと呟くと、すばるがすぐに言った。


「却下だ」


「まだ何も言ってないんだけど」


「顔に書いてある」


「何が?」


「楽しそうだから却下だ」


 ひどくない?


「いや、普通は逆じゃない? 『快適そうだから採用』とかじゃない?」


「船は揺れる。狭い。臭い。うるさい」


 統は指を折るでもなく、無表情のまま淡々と数え上げた。


「加えて、波と風任せだ。移動手段として精度が低い」


「最後のだけ妙に理知的に聞こえるのが腹立つわね……まさか流れる水が苦手だったり?」


「迷信だ。そんな非科学的なものを信じるな」


「非科学の塊が何を言ってるんだか」


 わたしが半眼で睨むと、アリアが小さく笑った。


「迷信って?」


「うちの国での戯言だ。気にする必要はない」


「そう? でも意外ね。統って船が苦手なの?」


「苦手ではない」


 即答したあとで、統はほんの少しだけ間を置いた。


「好んで乗る理由がないだけだ」


「それを世間では苦手って言うのよ」


「言わない」


「言うの」


 しょうもない応酬だったけれど、そのしょうもなさが妙に心地よかった。ボーダーでずっと張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。


 アリアが統の後押しをした。


「実際、船だと他人の目が多すぎるわね。こっちも自由に話せないし、寄港地ごとに足跡が残る」


「ほら見ろ」


「なんでそこで勝ち誇るのよ」


「事実だからな」


 無表情で言うあたりが腹立つ。

 でもまあ、そこは認めるしかなかった。


 わたしたちはそろって、あまり人に聞かせたくない話を抱えすぎている。アリアの立場もそうだし、統は存在そのものが問題児だし、わたしだって体質の話を掘られるといろいろまずい。


 ベルロウが耳をぴくりと動かした。


「海路は身元探りされやすい。陸でいいだろ。どうせ王都に着くまでにも面倒ごと起こすだろうしさ」


「わたしたちが起こしてるんじゃなくて、向こうから寄ってくるのよ」


「どっちでも同じっしょ」


 それは、反論しにくい。


「陸路なら、途中で補給もしやすいわ。情報も拾えるしね」


 アリアはそう言って、地図の上を指でなぞった。


「まずはダイスロープへ戻る。そこで目立たない足を確保して、必要ならオーミへ寄る。その先でテンペ・フロップスまで抜けられれば、リヴィエール侯爵家の伝手が使えるわ。あそこなら監査院筋の便宜も頼みやすい」


「ダイスロープでは使えないの?」


 わたしが聞くと、アリアは肩をすくめた。


「タイクーン公爵の土地で、堂々と王都側の顔を出したくないのよ。騒ぎのあとだし、向こうも神経質になってるでしょうしね」


 なるほど。たしかにそれはそうだ。


 いくら前回あの街で公爵側の思惑をめちゃくちゃにしたとはいえ、それで急に安全になるわけじゃない。むしろ、変なところで名前が残っていそうで怖い。


 アリアは、今度は地図の少し東寄りを指した。


「オーミ、寄る?」


 その一言で、胸の奥が小さく揺れた。


 たった二文字なのに、嫌なくらい重い。


 会いたい人がいる。


 ちゃんと顔を見たい人がいる。


 無事かどうか、自分の目で確かめたい。


 でも、その一方で。


 どんな顔をして会えばいいのか、わからない相手でもあった。


「……様子は見たい」


 口にした声は、自分で思っていたより小さかった。


「ただ」


「ただ?」


「会っていいのかは、ちょっと……まだ自信ない」


 笑って誤魔化そうとしたけれど、たぶん失敗した。自分でもわかるくらい、声の端が少し硬くなっていた。


 アリアは何も言わずに、しばらくこちらを見ていた。責めない。慰めない。ただ急かさない。


 そういう沈黙をくれる人は、案外少ない。


「じゃあ決まりだ」


 先に口を開いたのは統だった。


「ダイスロープを経由して、オーミに寄る。その後、王都方面へ向かう」


「……なんか『必要業務です』みたいな言い方なのよ」


「必要だろう」


 統はあっさり言った。


「お前が気にしている」


「…………」


「引っかかったまま王都へ行っても、どうせ集中しない」


「やっぱり言い方が優しさを装った業務連絡なのよ」


「事実だ」


 でも、否定はできなかった。


 こいつなりに気を遣っているのだろう。とても、とてもわかりにくい形で。


「今日はダイスロープまで戻りましょう」


 アリアが地図を畳む。


「向こうで一泊して、明日、朝一番でオーミ方面へ。急ぎすぎてもいいことはないわ」


「賛成」


 わたしがすぐ答えると、統がじろりと見る。


「お前は食事と寝床が絡むといつも判断が早いな」


「旅においてその二つは最重要でしょ」


「否定はしねえな」


 ベルロウが苦笑した。


 そうして、わたしたちは改めて歩き出した。


 ボーダーの北門が背後へ遠ざかっていく。石畳が土の街道に変わり、商人たちの呼び声は風に溶けて、代わりに鳥の声と車輪のきしみが耳に残るようになる。


 事件が終わっても、道はちゃんと続いている。


 その当たり前が、今日は少しだけありがたかった。


 ボーダーからダイスロープまでの道は、来た時より短く感じた。


 知っている道だからだろうか。人は、見知らぬ道を歩く時より、帰り道の方が景色をよく見るのかもしれない。


 空は高く、風は春先らしく少し冷たい。街道の脇には名も知らない白い花がぽつぽつ咲いていて、すれ違う荷馬車の車輪が土を鳴らしていく。途中、簡素な茶屋で薄いスープと硬いパンを食べた。


 この世界のパンについては、いつか真剣に改革を提言したい。


 噛めば噛むほど味が出る、ではない。噛まないと勝てない、だ。


 でも、そのぶんスープは美味しかった。野菜と塩と、たぶん魚の骨あたりから取った出汁が入っていて、地味な見た目のくせにちゃんと身体に染みる。


「何その顔」


 向かいに座ったアリアが言う。


「今度は何を考えてるの」


「この世界のスープ文化に、もっと魚出汁を強く持ち込めないかって」


「本当に平常運転ね、あなた」


「褒めてる?」


「半分は」


 そんな会話を交わしながら歩いていた時だった。


 前方から、白っぽい布を肩に羽織った一団がやってきた。


 男も女もいる。年齢もまちまちだ。でも、旅人にしては足並みが揃いすぎていて、商人にしては荷が少なかった。胸元には見慣れない意匠の札。手には木箱や小袋。誰も大声では喋らず、それでいて周囲は妙によく見ている。


 先頭の女が、わたしたちの前でほんの一瞬足を緩めた。


 目が合う。


 ただそれだけのことなのに、妙に見定められたような気がした。


 すぐに彼女は視線を外し、小さく会釈をして一団を連れて通り過ぎていく。


「……巡礼、かしら」


 わたしが呟くと、アリアが低く答えた。


「最近、増えてるって話は聞くわ」


「どこの信仰?」


「さあ。王都ではいくつか妙な集団が出入りしてる、とは報告にあったけど」


「妙な集団って、急に嫌な言い方するじゃない」


「いい集団だったら、わざわざ妙とは言わないのよ」


 ごもっともである。


 ベルロウは鼻をひくつかせて、「香の匂いがきついな」とだけ言った。


 統は何も言わなかった。


 ただ一瞥しただけで、そのまま視線を外す。


 でも、知っている。こいつが本当に何も気にしていない時は、もう少し露骨に無関心な顔をする。今の沈黙は、ただの無関心じゃない。


 それが何なのかまでは、わからないけれど。


 わたしの胸の奥には、小さな棘みたいな違和感だけが残った。




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