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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第六章 自治都市ボーダー編

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90、巨塔の街への招待状




 商業の神グレースビスを祀る礼拝堂は、つい先ほどまでの怒号と剣戟が嘘みたいに、重く乾いた沈黙に包まれていた。

 ステンドグラスから差し込む多色の光が、床に転がる無力な私兵たちと、もはや声を出す気力すら失った商人たちの影を長く引き伸ばしている。


 わたしはソウギュから奪い取った『王都との裏取引の契約書』を、ぱたぱたと扇子みたいに振りながら、肺の奥に残っていた緊張を吐き出した。


 サコッシュの底に放り込んだポンコツ手鏡の余熱が、布越しに太ももをじんわり焼いている。

 五分という制限時間。至近距離での顔面崩壊。そんな条件で演じた“名もなき側近”の役は、わたしの女優人生の中でも間違いなく指折りの難役であり、同時に最も報われない仕事だった。


「……さて。悪役が退場したところで、こっちの種明かしも聞かせてもらおうかしら」


 わたしが議席の底へ声を投げると、証言台の陰でひっそりと“哀れな老人”を演じていたソーク・イマウェルが、ゆっくりと腰を伸ばした。


 背筋が伸びるにつれ、その体から漂っていた弱者の気配が霧みたいに消えていく。代わりに現れたのは、自治都市ボーダーという荒波を何十年も舵取りしてきた、老獪で強靭な指導者の顔だった。


 ソークは最上段にへたり込むソウギュを一瞥した。そこにあったのは怒りでも憎しみでもなく、ただ深い失望だけだった。


「ソウギュ。君の野心は、商人としてなら理解できなくもない。だが君の脚本には、決定的な欠落があった。……利益を量る天秤は、載せるものだけを見ていては駄目だ。その天秤そのものを、誰が支えているかを忘れてはならない」


「……黙れ。売国奴の一族が……」


 ソウギュが喉の奥から呪詛を吐く。


「三十年前、貴様の父がこの街の港を潰したせいで、どれだけの家が路頭に迷ったと思っている。あの密約書こそ、イマウェル家の呪われた正体じゃないか!」


 議席の商人たちがざわめいた。


 そうだ。ソウギュが現在進行形の売国を企てていたとしても、三十年前の“港を潰した”事実が消えるわけじゃない。彼らにとってソークは、依然として街を衰退させた元凶の家の人間だ。


 ソークは高く広い天井を見上げた。そこには、彼だけが見続けてきた三十年分の泥が映っているようだった。


「その通りだ。父は港に土砂を堆積させるため、意図的に川の付け替え工事を強行した。……だがソウギュ。父がシンドアの商人から受け取ったとされる莫大な“賄賂”が、今どこにあるか知っているかね」


「貴様の家の地下金庫にでも隠してあるに決まっている!」


「いいや。最後の一枚まで、この街の北区にある工房を支える研究資金として使い切ったよ。マタやギヤたちのような連中のな。……三十年前、この街が繁栄しすぎた時、王都の軍部はこう言った。『ボーダーの技術力は、王国の管理下に置くべき兵器である』と」


 アリアさんの目が鋭くなる。


「軍の介入……つまり、この街の自治権が奪われかけていたということですか」


 ソークは重く頷いた。


「一度でも正規軍を受け入れれば、街の自由は戻らない。だから父は、あえて港を潰した。街の経済価値を意図的に下げ、王都の過剰な注目を逸らすためにだ。自分が“街を売った裏切り者”という最大の泥を被ってな」


 なるほど。

 外から強盗が来ないように、わざと家を貧乏に見せかけたわけだ。

 その汚名だけを、親子二代で被り続けながら。


「……わざと悪役を被ったってこと? 随分と割に合わない役回りね」


 わたしが呟くと、隣で統が淡々と口を挟んだ。


「合理的ではあるが、人間の感情というノイズを軽視しすぎた愚策だな。三十年も一族で汚名を被り続ければ、ソウギュのようにその“偽の事実”を利用して本当に街を乗っ取ろうとする輩が内側から出る。防衛策としては欠陥品だ」


 容赦のない七千歳児の総評に、ソークは苦笑した。


「その通りだ。私は父の泥をそのまま引き継ぎ、強欲な独裁者の仮面を被り続けた。その結果が今日のこれというわけだ。……私の脚本も、ソウギュを笑えないほど三流だったのかもしれんな」


「まあ、裏でマタのおじさんたちに資金を流して、あんな変な魔道具ばっかり作らせてたのはどうかと思うけど」


 わたしがサコッシュを軽く叩くと、ソークは少しだけ得意そうに顎を上げた。


「あれでいいのだ。王都の軍事常識に当てはまらない異質な技術こそが、いざという時に我々を守る盾になる。君が、先ほど証明してくれただろう?」


 二十キロの盾を投げつける戦法なんて、確かにまともな教本には載っていないだろう。わたしの怪力が前提だけど。


「……なるほどね。大人の世界っていうのは、舞台の上の台本よりよっぽど複雑で、タチが悪いわ」


 ソークもまた、この街の自由という舞台を守るために、三十年も悪役を演じ続けてきたのだ。


「あとはよろしく頼むわ、アリアさん。このおじさん、とりあえず無罪ってことでいいわよね」


 話を振ると、アリアさんはソークに向けて密偵の冷たい顔を向けた。


「……裁くわ。これは間違いなく罪よ」


「でも、この街を守るためだったし」


「たとえ自治を守るためだったとしても、非合法な資金操作や権力闘争の責任は問うわ。……でも、この街の外には出さない。ボーダーの問題は、ボーダーの法で裁かれるべきよ」


 それは彼女なりの最大限の譲歩であり、この街の自治への敬意でもあった。


 ソークは何も言わず、深く頭を下げた。

 こうして、泥沼の権力闘争には、ひとまず決着がついた。




 教会の石壁にこもっていた悪意と埃を振り落とすみたいに、わたしたちは外へ出た。

 ボーダーの街は、眩しい午前の光に包まれていた。運河の水面が砕いたガラスみたいにきらきら光り、冷えた朝の気配はもうどこにもない。


 そして当然のように、わたしたちは南区の魚市場へ向かった。

 お腹が空いたのだ。


「おお、戻ったか。……その顔を見るに、無事に大立ち回りを演じきったようだな」


 海産物問屋『トト屋』の前に辿り着くと、いつものように大男のリクローズさんが、丸太みたいな腕で繊細なティーカップを傾けていた。


「おかげさまで、この街の泥の正体はよくわかりました。リクローズさんの言った通り、ソークさんはただの悪い狸親父じゃなかったです。……ずいぶん面倒な脚本に付き合わされましたけど」


 わたしが腰を下ろすと、リクローズさんは満足そうに頷き、新しいカップを置いてくれる。


 けれど、安堵の時間は一瞬で終わった。


「スバル君! 約束だよ! 新作のパウンドケーキ、今度こそ完璧に焼き上がったんだから!」


 声の塊みたいな勢いで、菓子屋の娘アキが統へ突撃した。一直線に彼の腰へ抱きつき、そのまま真っ茶色のパウンドケーキを口元へ押しつける。


「……やめろ。離せ。私は今、極度の疲労状態にある」


 統は、これまで見たことがないほど苦い顔で抵抗していた。

 世界をひっくり返しそうな怪物を相手にしても無表情の七千歳児が、菓子屋の娘ひとりに追い詰められている。実に良い見世物である。


「だめだよ! スバル君は私の新作を食べなきゃいけない運命なんだから! ほら、あーん!」


「……七色。助けろ。このままだと、私の味覚中枢が取り返しのつかない損傷を受ける」


「無理よ。頑張りなさいな。これは街を救った英雄に対する、この世界で最も甘くて残酷なギャラなんだから」


 わたしは統の絶望顔を眺めながら、リクローズさんの淹れてくれた紅茶を一口すすった。

 美味しい。喉を通るあたたかさが、ようやく本当に事件が終わったのだと教えてくれる。


 白磁のカップから湯気が少しだけ遅れて立ち上った。




 しばらくして、後処理を終えたアリアさんが険しい顔のまま市場へ駆け込んできた。

 その手には、王都の封蝋が押された手紙が握られていた。


「アリアさん? そんな顔してどうしたんですか。ソウギュの件は解決したはずでしょ」


 わたしが問うと、アリアさんは手紙をテーブルに叩きつけるように置いた。


「……終わりじゃなかったわ。ソウギュの背後にいた王都の腐敗貴族。その正体と、王都ダイベイドアで急速に勢力を広げている新興宗教団体。……全部、繋がっていたのよ」


「宗教団体?」


 アリアさんの声は、市場の喧騒を一瞬で冷やすほど鋭かった。


「人を救うって言いながら、夜を支配する存在の“復活”を祈ってる連中よ……そして、その中心にいるのは、アシュドラと名乗る生き残りの『古き者』たちだわ」


 わたしは黙ってカップを置いた。


 アシュドラ。

 ダイスロープで出会った、あの傲慢で狂気じみた吸血鬼の眷属たち。

 その影が、今度は王国の中枢である王都を飲み込もうとしている。


「……それに、そこへ関わる怪しい姉弟の噂もあるそうよ」


 アリアさんの視線が、わたしと統の顔を順番に滑る。


 統の目が初めてアキの襲撃から離れ、手紙へ向いた。

 その瞳の奥に、太古の火花みたいな鋭い光が宿るのを、わたしは見逃さなかった。


「……統。どうやら次の巡業先が決まったみたいね」


 わたしは空になったカップを置き、立ち上がる。


 サコッシュの中には、まだ使い道のわからないガラクタの魔道具と、数え切れないほどの後悔、そしてほんの少しの勇気が詰まっている。


「王都ダイベイドア。……そこに行けば、あんたの同窓会が開かれてるってわけだわ」


 統は無言のまま、アキに押しつけられたパウンドケーキを忌々しそうに見下ろしたあと、観念したように一口で飲み込んだ。


「ねぇ。急いで行かなきゃだめなの? また帰って来るよね」


 別れを惜しむアキの元気な声を背中で聞きながら、わたしたちはボーダーの北門へ歩き出す。

 ボーダーのざわめきが少しずつ遠ざかっていった。


 次の舞台は、王都ダイベイドア。

 まだ見ぬ巨塔の街だった。




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