表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第七章 王都への道編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/92

92、片腕の狼と再会の茶




 オーミに近づくにつれて、幌馬車の揺れが妙に落ち着かなくなった。


 道が悪いわけじゃない。むしろ昨日より少しましだ。朝の光は柔らかいし、幌の隙間から入ってくる風も冷たすぎない。外だけ見ていれば、のんびりした春先の旅そのものだ。


 なのに、わたしの胸の内側だけが、ずっとせわしなかった。


 急かされているみたいだった。馬車じゃなくて、わたしの気持ちの方が。


「顔色悪いぞ」


 向かいに座ったすばるが、容赦なく言った。


「そういう言い方すると病人みたいだからやめて」


「病人ではないのか」


「返しづらいところ突かないでくれる?」


 わたしがむっとすると、統はそれ以上は言わなかった。

 でも視線は外さない。


 ほんとうにこの子、変なところだけしつこい。


 馬車の端で膝を立てていたベルロウが、外を見たまま口を挟んだ。


「まあ、しゃーねえっしょ。会いてえ相手がいる時の顔だ。あーしだって、それくらいはわかるさ」


「なんか、意外と優しいこと言うわね」


「意外は余計だっての」


 口調はいつも通り蓮っ葉だけど、声音はそこまで刺々しくなかった。


 ノッピーニオは無言のまま、揺れに合わせて荷がずれないよう手を添えている。たぶんこの人は、今みたいな時に何も言わないことが気遣いなんだと思う。


 アリアは御者台のすぐ後ろで地図を確認していたが、やがてこちらを振り返った。


「もうすぐオーミの外れよ。街には入らない」


「入らない?」


 わたしが聞き返すと、アリアは頷いた。


「ゲルトの家は森の中。オーミの外よ。人目を避けるために、最初からそうしてあるんでしょ?」


 その視線が、統に向く。


 統は簡潔に答えた。


「街中に置く意味がない」


 あっさりした言い方だった。


 でも実際、その通りだ。

 ゲルトさんはもうオーミの中で平然と暮らせる立場じゃない。

 だから統が、自分の収納から元の世界のログハウスを取り出して、街外れの森に据えた。人が近づいても気に留めにくいように、認識阻害までかけてある。


 異世界でやることじゃない気もするけど、統がやると「まあ、こいつならやるか」で済んでしまうのが怖い。


「ここから先はドレミとスバルで行く?」


 アリアの問いに、わたしは少しだけ迷った。


 ひとりでは行きたくなかった。

 でも、全員で押しかけるのも違う気がした。


「……統は来て」


「わかった」


 即答だった。


 アリアはそれ以上は聞かず、あっさり頷く。


「じゃあ私たちは少し離れて待つわ。補給もあるし、街の様子も見ておきたい。ベルロウ、ノッピーニオ」


「了解。あーしらは適当に目ぇ光らせとく」


 ベルロウが立ち上がり、腰の双剣の位置を直した。


「長引いても構わねえけど、暗くなる前には戻ってこいよ。柄でもねえが、心配はする」


「最後だけすごく取ってつけた感じだったわね」


「うるせえな」


 けれど耳は少しだけ寝ていた。照れてる時のやつだ。たぶん。


 アリアがわたしの肩を軽く叩く。


「急がなくていい。ちゃんと話してきなさい」


「……うん」


 それだけ返して、わたしは統と並んで馬車を降りた。


 森へ入る細い道は、前に来た時より静かに感じた。


 オーミの町並みは遠く、商人の声も車輪の音も、ここまではほとんど届かない。鳥の声と、枝の擦れる音と、足元の土を踏む音だけがある。


 人が住む場所というより、隠れて暮らすための場所。


 でも、湿った空気の中に、どこか落ち着く匂いも混ざっていた。木の匂い。土の匂い。少しだけ、洗った布みたいな清潔な匂い。


 統はいつもの無表情のまま先を歩いていく。


 けれど、その歩幅はわたしに合わせて少しだけ遅い。

 たぶん、こいつなりに急かさないつもりなのだろう。


 やがて木々の奥に、家の輪郭が見えてきた。


 最初に見えた時、少しだけ息を呑んだ。


 異世界の森の中に、あまりにも見覚えのある形がある。


 三角屋根。木の外壁。広めの窓。前に小さなデッキまでついている。

 絵本か、郊外の別荘地にでもありそうな、きれいなログハウスだった。

 わたしに出してくれたものに比べたら随分豪華。


 周囲の森に不自然なくらい馴染んでいるのに、作りそのものは明らかにこの世界のものじゃない。


 しかも、気を抜くと視線が少し滑る。


 そこに家があるとわかっているのに、注意して見ないと輪郭が頭に残りにくい。認識阻害だ。


「……ほんとに隠してるんだ」


「見つかると面倒だ」


「まあ、そうだけど」


 ここなら、人目を避けて暮らせる。

 ゲルトさんにはそれが必要だった。


 顔が知られてしまった以上、オーミの中で普通に生活するのは難しい。事情を知る人が匿うにも限度がある。だったら最初から街の外で、存在ごと目立ちにくくしてしまった方がいい。


 理屈はわかる。


 でも、その理屈が成立してしまう統の規格外さに、改めて感心する。



 ログハウスの脇には、割った薪が積まれていた。屋根の下には簡素な作業台。桶。干してある布。壁際には鉈と斧。

 ちゃんと暮らしている家の気配だ。


 そしてそれと同時に、元の世界の匂いも少し混ざっていた。


 デッキ脇に置かれた折りたたみ椅子。窓の内側に見えるカーテン。

 あれ、絶対こっちの世界の布じゃない。


 胸の奥が、少しだけ変な感じに軋んだ。


 生きている。

 ここで、ちゃんと暮らしている。


 その事実に救われるのに、その生活が“隠れて生きるためのもの”だと思うと、同じだけ苦しかった。


 戸口の前まで来たところで、中から物音がした。


 扉が開く。


 出てきたのは、見慣れた大きな身体だった。


 前より少し痩せた気がする。顔色も、万全とまでは言いがたい。けれど目はしっかりしていて、足も地面を踏んでいる。


 わたしと目が合ったあと、その視線が、わたしの隣へ流れた。


 統を見た瞬間、ゲルトさんの肩がほんのわずかに強張った。


 わたしは知っている。


 最初に会った時、ゲルトさんは統のことを、亜人族の最上位にいる伝説級の存在か何かだと勘違いしていた。

 今でもたぶん、その感覚は完全には消えていない。


 見かけた瞬間、跪きたくなるような、そういう“格の違い”として感じてしまうのだろう。


 でもゲルトさんは、そこを必死に抑えた。


 目を伏せるのも、一歩引くのもこらえて、あくまで普通に、なるべく普通に接しようとする。


 たぶん、統がそれを望んでいないと知っているからだ。

 そして、わたしへの気遣いもある。


 ほんのひと呼吸ぶんの硬直のあと、ゲルトさんはいつも通りを装って口を開いた。


「……よう」


 その声は、前に聞いた時より少しかすれていて、それでもちゃんとゲルトさんの声だった。


 わたしは喉がつかえたみたいになって、それでもどうにか笑った。


「……」


 何か言おうとして、声が出なかった。


「……元気そうで、よかった」


 ゲルトさんは口元を少し歪める。笑ったようにも、困ったようにも見える表情だった。


「そっちもな……」


 短い返事だった。


それだけで、十分だった。



「入れよ」


 ゲルトさんが身体を少しずらした。


「立ち話で済ませるには、お前らの顔は重すぎる」


「失礼じゃない?」


「図星だろ」


 そのぶっきらぼうさが、少しだけありがたかった。


 統は何も言わずに中へ入る。

 その横を通る時、ゲルトさんの背筋がほんの少しだけ伸びたのがわかった。


 自然に振る舞おうとしている。

 でも、やっぱり畏れは消えていない。


 中へ入った瞬間、わたしはちょっとだけ目を丸くした。


「……快適そう」


 思わず本音が漏れる。


 外見はログハウスなのに、中はほとんど“元の世界の別荘”みたいだった。


 木の床。清潔なラグ。見慣れた形のソファ。

 奥には日本製っぽいベッドまで見える。棚も、照明も、細かい調度品も、この世界の宿屋や民家ではまず見ないものばかりだ。


 もちろん電気は通っていない。でも、そこをこの世界の魔道具と灯りで上手く補っているらしく、不便さより居心地の良さが先に立つ。


「必要なものは揃えた」


 統が当然みたいに言う。


「必要の水準が高いのよ」


「生存環境は重要だ」


 わりと真面目な声で言うから反応に困る。


 ゲルトさんはそんなやり取りを聞きながら、微妙に居心地悪そうな顔をした。


「……最初は、こんなもんまで用意される筋合いはねえって断ったんだがな」


 その言い方は、統に対する敬意を押し殺して平静を保とうとしているのが、少しだけわかる声音だった。


「だが、その……」


 一瞬だけ言葉を探し、ゲルトさんは小さく息を吐いた。


「背に腹は代えられなかった。助かったのは事実だ」


 統は「そうか」とだけ返した。


 短いやり取りなのに、妙な緊張があった。

 ゲルトさんは普通に話そうとしていて、統はそこをわざわざ崩さない。


 きっとこれが二人なりの距離感なんだろう。


「座れ」


 ゲルトさんが顎でソファを示した。


「茶くらいは出す」


「手伝います」


 思わず立ち上がりかけたわたしを、ゲルトさんが片目を細めて止めた。


「そこは座ってろ」


「でも」


「そこまでされると、さすがに情けねえ」


 拒絶というより、意地だった。


 わたしは一瞬だけ迷って、それから素直に座り直す。


「……わかった」


「おう」


 ゲルトさんは、ぎこちないながらも慣れた手つきで湯を扱った。

 この家の中は、片腕で生活するための工夫がさりげなく行き届いている。


 棚の高さ。持ち手につけた補助紐。軽い食器。引きやすい抽斗。

 統が家具を出しただけじゃなくて、そのあと実際に暮らす中でゲルトさん自身が調整してきたのだとわかる。


 木のトレイが、ことりと置かれた。


「そんな顔するな」


「……してた?」


「してる」


 ゲルトさんは苦く笑う。


「最初の頃は、何やっても腹が立ったよ。紐結ぶだけで手間取るし、物は落とすし、薪割りゃ変なとこに力が逃げるしな」


 湯気がゆらゆら上がる。


「誰かに手ぇ貸されるのも嫌だった。憐れまれてるみてえで」


「……」


「だが、貸されなきゃ貸されねえで、それはそれで腹が立つ。勝手なもんだ」


 わたしは思わず笑ってしまった。


「めんどくさいですね」


「うるせえ」


 そのやり取りで、家の中の空気が少しだけ和らいだ。


 出されたお茶は熱くて、少し渋くて、でもちゃんと落ち着く味がした。


 しばらくは、本当にどうでもいい話をした。


 森の朝はまだ冷えること。薪の減りが早いこと。

 ベッドがやたら柔らかくて最初は落ち着かなかったこと。

 統は食べる量に対してぜんぜん背が伸びないこと。


「それは成長期に問題があるんじゃない?」


「必要ないだけだ」


「子供の見た目でそういうこと言うとすごく可愛くないわね」


「褒め言葉ではないな」


「もちろんよ」


 ゲルトさんが、そこでふっと笑う。


 その笑い声は前より少しかすれていたけれど、たしかに生きている人の声だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ