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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第六章 自治都市ボーダー編

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85/90

85、これが劇場型犯罪?




 舞台上の事故。


 役者の手が滑り、小道具が客席に飛び込んでしまったという悲劇的なアクシデント。

 それが、彼らの描いた暗殺のシナリオだった。


 空気を切り裂き、回転しながら飛翔する短剣。

 観客が悲鳴を上げる暇すら与えない速度。


 ソークの隣に座るソウギュの口元が、勝利を確信してわずかに歪んだ。


 だが、その凶刃がソークの喉元に突き刺さる直前。

 客席の前方、暗がりとなっていた通路の影から、一条の銀光が跳ね上がった。


 金属同士が激突する、鋭く冷たい音。


 ソークの眉間から数センチ手前の空間で、飛来した短剣は弾き飛ばされ、無力な鉄の塊となって床に転がった。


「舞台の上から物を投げるのは、マナー違反というものよ」


 静まり返った劇場の中に、よく通る凛とした声が響く。


 通路に立っていたのは、王国監査院の密偵、アリアさんだった。

 彼女の右手には、鞘から抜かれたばかりの細身の剣が握られている。刃こぼれ一つないその剣先が、舞台上の狂気を見据えていた。


 客席は一瞬の沈黙の後、爆発的な歓声に包まれた。


「おおっ、見ろ。客席の通路を使った乱入劇だ」


「なんと斬新な演出。観客を巻き込む前衛的な舞台装置か。素晴らしい」


 最前列に座る恰幅の良い商人が、身を乗り出して拍手を送っている。


 なんと彼らは、目の前で行われた本物の暗殺劇を、劇団が用意した「3D体験型のサプライズ演出」だと完全に勘違いしてしまったのだ。人間の想像力と現実逃避のメカニズムは、時に喜劇を通り越して狂気すら感じさせる。


「な……貴様、何者だ」


 暗殺の失敗を悟った親玉の男が、驚愕と憎悪の入り混じった顔でアリアさんを睨みつけた。


「名乗るほどの者じゃないわ。ただの、舞台の清掃係よ」


 アリアさんの言葉を合図に、客席の両側から二つの影が猛烈な速度で舞台へと躍り出た。


 獣人のベルロウさんは、猫科の獣特有の滞空時間の長い跳躍で舞台の縁を飛び越え、両手に構えた双剣で、周囲を固めていた用心棒役の暗殺者たちを瞬時に牽制した。


 同時に、長身のノッピーニオさんが舞台の階段を大股で駆け上がり、背後から短剣を抜こうとした別の暗殺者の腕を無言で掴み上げた。抵抗しようとする暗殺者の腕の関節が、ノッピーニオさんによって容易く外される。


 苦悶の叫びが舞台上に響いたが、観客はそれすらも「迫真の演技」として熱烈な拍手を送っている。


「監査院の権限において、貴様らを国家転覆を企てたテロリストとして拘束する」


 アリアさんが、冷厳な声で宣告する。


 しかし、リーダーらしき男は降伏するどころか、狂気に満ちた笑い声を上げた。


「国家転覆だと。笑わせるな、王都の猟犬どもが。我らが目指すのは、この腐りきったボーダーの浄化だ。過去の過ちを隠蔽し、未来を売り渡す老害を排除することこそが、真の正義なのだ」


 男は衣装の裏から曲刀を引き抜いた。

 迷いはない。

 狂信者の目をむき出しにしてアリアさんへと斬りかかった。


 単なる金で雇われた殺し屋ではない。その目には、報酬ではなく信念の狂気があった。自らの命すら羽虫のように使い捨てる覚悟を持った男だ。


 二人の剣戟が交差する。


 男の動きは常軌を逸していた。防御を完全に捨て、相打ち覚悟でアリアさんの急所のみを狙い続ける。


「邪魔をするなら、貴様らも新時代の礎となれ」


 アリアさんは卓越した剣技で攻撃を捌いているが、相手の命知らずの特攻にわずかに足並みを乱された。

 男はアリアさんの剣を曲刀で強引に絡め取ると、空いた左手から、さらなる隠し武器である三枚の毒刃をソークに向けて投擲しようと腕を振りかぶった。


 アリアさんの体勢は崩れており、間に合わない。

 ベルロウさんとノッピーニオさんも、他の暗殺者たちを抑え込んでおり手が離せない。


 それなら――


 出番を終えた女優が再登壇するのはルール違反かもしれないが、あの痛い狂信者の独壇場をこれ以上許すわけにはいかない。


「統、ちょっとだけ手伝ってくる」


「舞台装置を壊すなよ」


「善処するわ」


 統の冷淡な許可を得て、わたしは足元にあった大道具に目をつけた。

 それは、食堂のセットの一部として置かれていた、純木製の巨大な丸太の樽であった。中身は空だが、大人が抱えてようやく持ち上がるほどの重量がある。


 わたしの強化された身体能力を右足のつま先に集中させ、その重い樽に向かって、サッカーのフリーキックの要領で躊躇なく足を振り抜いた。


 空気を圧縮するような重い衝撃。


 巨大な樽は、物理法則を完全に無視した速度で舞台の床を滑空し、投擲動作に入っていた親玉の男の真横から、まるで走る馬車のように激突した。


 男は毒刃を放つどころか、声を発する暇すらなく真横に吹き飛ばされ、舞台の書き割りを突き破って奥の壁に激突し、そのまま崩れ落ちた。


 完全なる沈黙。



 観客たちも、あまりの衝撃的な「演出」に言葉を失い、静まり返っている。


「……ちょっとやりすぎたかしら。ごめんなさい、美術スタッフさん」


 わたしが舞台袖で小さく手を合わせていると、崩れた書き割りの前で、アリアさんが額の汗を拭いながら深々と息を吐き出した。


「まったく、美味しいところだけ持っていくんだから。でも、助かったわ」


 彼女の呟きは、客席には届かない。


 ものの数分で、舞台上の脅威は完全に排除された。

 狂信的な男も完全に意識を失い、残りの暗殺者たちもノッピーニオさんによって無言のまま手際よく縛り上げられていく。

 その光景を見て、ようやく状況が「演出ではない」と気づき始めたのか、客席の一部がざわつき始めた。


 その不穏な空気を断ち切ったのは、VIP席に座っていたソウギュ・ハーバーダだった。


「お、おお……なんという恐ろしい。ソーク殿、ご無事で何よりです。まさか、芸術の舞台にこのような過激派の暴徒が紛れ込んでいようとは。この劇団の責任者はどこだ、早急に処罰しなければならん」


 ソウギュは、白々しいにも程がある驚きと怒りの表情を顔に貼り付け、隣のソークを気遣う素振りを見せた。


 自らの手駒である狂信者が失敗したと悟るや否や、即座に切り捨てて自らの関与を否定する腹積もりだろう。見事なまでのトカゲの尻尾切りである。


 ソーク・イマウェルは、ソウギュのその白々しい芝居を、深く暗い目で見つめ返した。


「ええ、ソウギュ殿。本当に恐ろしいことです。私の命を狙い、狂った大義を叫ぶ輩が、これほど身近に潜んでいたとは。……ですが、監査院の優秀な方々のおかげで命拾いをしました。これで、街の膿を出すための調査も、さらに進むことでしょう」


 ソークの言葉には、表面上の感謝とは裏腹に、確かな牽制と反撃の意志が込められていた。


 毒を盛られたふりをして暗殺者を誘い出し、監査院の介入を計算に入れていたのは、他でもない彼自身なのだから。


 狸と狐の化かし合い。


 あるいは、泥沼の権力闘争の新たな幕開け。


 わたしは舞台袖の暗がりから、二人の権力者が交わす視線の応酬を眺めながら、深い疲労感を覚えた。


「どいつもこいつ、腹の中にどれだけの真っ黒なものを飼っているのかしらね」


 わたしが呆れたように呟くと、統は淡々とした声で結論を述べた。


「人間の本質は嘘と隠蔽だ。彼らは自分が生き残るためならば、手駒の狂気すら利用し、どれほど見え透いた芝居であっても演じ切る。お前の無表情な食事の演技よりも、よほどタチが悪い」


「わたしの至高の芸術表現と一緒にしないでよね」


 わたしは反論したが、統の言う通り、この街の闇はわたしの想像以上に深く、そして狂気を孕んでいるようだった。


 暗殺未遂劇は防がれた。


 しかし、三十年前の川の付け替え工事に関する売国の証拠、そしてボーダーという街の未来を巡る商人たちの争いは、まだ終わっていない。


 劇場に響く衛兵の足音が近づいてくる。


 わたしはサコッシュの中の手鏡の重みを感じながら、次に誰が舞台に立つことになるのかを考えていた。




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