71、イケズシティ『ボーダー』の超・魔導具
ダイスロープの街を背にして、南へ向かう平坦な街道を歩き続けること約四時間。
海流と風向きのせいで船便の利用をあっさりと却下した我が最強の弟(仮)の判断により、わたしたちは完全なる徒歩での都市間移動を余儀なくされていた。
吸血鬼という人間離れした基礎体力を持つわたしと、そもそも疲労という概念が存在しないらしい統にとっては、四時間の道のりなど近所のコンビニへお弁当を買いに行く程度の散歩に等しい。
だが、問題はわたしたちのお目付け役を自称している、王国監査院の猟犬三人組である。
「……無理。もう一歩も足が前に出ない。私の膝の軟骨は完全に摩耗して、今は骨と骨が直接削れ合う哀しい音を奏でているわ」
アリアさんが、街道の脇に生えている手頃な木の幹にすがりつきながら、この世の終わりのような声で怨嗟の言葉を吐き出した。
彼女の背後では、獣人のベルロウさんが自慢の耳を完全に寝かせ、舌を出して荒い呼吸を繰り返している。長身のノッピーニオさんに至っては、もはや魂が肉体を離脱してしまったかのように、虚空を見つめたまま微動だにしない。干からびた野菜の標本のような状態だ。
王都からの無理な強行軍で馬を潰し、さらにゆっくり休む間もなく、早朝から徒歩での移動を強いられた結果がこれである。
「アリアさん、しっかりしてくださいよ。ほら、前を見て。もう次の目的地が見えてますから」
わたしが指差す先には、雄大な川が流れ、その向こう平原の先に築かれた、巨大な都市の全景が広がっていた。
自治都市、ボーダー。
地図で見た通りの、驚くほど几帳面な四角い形をした街だ。
西側は広大な海に面していて、沖合には他国からやって来たと思われる大型の商船がいくつも停泊しているのが見える。
そして何より特徴的なのは、海に面していない北、東、南の三方を、巨大な堀がぐるりと囲んでいることだ。南北に四キロ、東西に一・五キロという、規格外のスケールを持つ環濠都市。
街の外側にはのどかな農地と雑木林が広がっているのに、水がたっぷりと張られた深い堀の内側には、石造りの建物が碁盤の目のように整然と並んでいる。
堀の水面には、荷物を山のように積んだ小型の船がひっきりなしに行き交い、街の輪郭に沿って建ち並ぶ巨大な倉庫群との間で物資のやり取りをしていた。南側の海辺には活気のありそうな漁港も見える。
水の都というロマンチックな響きとは少し違う。もっと実用的で、商魂と鉄の匂いが混ざったような、独自の熱気を持つ工業都市の風景だ。
「あれが『物の始まりなんでもボーダー』の街……。なんだか、ダイスロープの重苦しい要塞とは全然違う空気ですね」
わたしが感心して呟くと、統は周囲の地形を冷静な目で見渡しながら言った。
「帝国時代からの名残だろう。外部からの侵入を物理的に阻む水濠と、水路を利用した効率的な物流網。計算されて作られた都市設計だ。……ただ、少しばかり魔力の排気臭が強いな」
統の言う通り、街の北側にあるエリアからは、煙突から吐き出される煤煙とは違う、魔道具の稼働に伴う独特の空気が陽炎のように立ち昇っているのが見えた。
「さあ、着きましたよ。とりあえず街に入って、甘いものでも食べながら休憩しましょう」
わたしがアリアさんの背中を叩いて無理やり歩かせ、わたしたちは北側に一つだけ設けられた陸路の入り口、北門へと向かった。
門の周辺は、大きな荷馬車や商人たちでごった返していた。
検問を担当している警備兵たちは、ダイスロープの殺気立った兵士たちとは違い、どこか余裕のある、悪く言えば少し人を小馬鹿にしたような態度で旅人の身分証を検めている。
わたしたちの番になり、アリアさんが王国監査院の身分証を提示すると、恰幅の良い警備兵は片方の眉を高く吊り上げた。
「おやまあ、王都からいらっしゃった監査院の役人様で。それはそれは、遠路はるばるご苦労なことでございますねえ。……ですが、随分と埃まみれのお召し物で。ボーダーでも一昔前は流行ってましたけど。王都の人は皆さん物持ちがよろしいようですな。中央広場では古着市も開催しておりますので、良ければ覗いてみるのも良いかと思います」
極めて丁寧な言葉遣い。しかし、その裏に隠された「余所者の古臭いボロを着た薄汚い連中が」という強烈な本音が、皮膚を刺すように伝わってくる。
これがアリアさんの言っていた、ボーダー特有の「無駄に気位の高いイケズな喋り方」というやつか。なんとも絶妙に腹の立つ対応である。
「……ご忠告、痛み入るわ。なるべく息を殺して歩かせてもらうわね」
アリアさんがこめかみに青筋を立てながら、笑顔のまま低い声で言い返した。公務員としての理性が、辛うじて暴力を思いとどまらせているらしい。
嫌味な歓迎を受けて北門をくぐると、そこは鍛冶屋や魔道具工房が密集する北区の職人街だった。
建物のあちこちから金属を叩く甲高い音や、魔力が弾ける破裂音が絶え間なく響いてくる。道幅は広いが、通りの両脇には怪しげなガラクタを並べた露店がひしめき合っており、歩くのも一苦労だ。
そして、この街の異常性は、その露店で実演販売をしている連中の売り文句を聞けば一瞬で理解できた。
「さあさあ、そこのお嬢さん方! 見ていってくれ! ボーダーの最新技術が詰まった魔法の道具だよ!」
頭に奇妙なゴーグルを乗せた、油まみれの白衣を着た男が、わたしたちの前に立ち塞がって声を張り上げた。
彼が手に持っているのは、金属の筒に無数のコードと魔石が巻き付けられた、爆弾にしか見えない不穏な代物だった。
「これぞ、我が工房の最高傑作! 『暴風雨の中でも絶対に使用できる着火装置』だ! これさえあれば、どんな過酷な天候でもキャンプファイアーが思いのままだぜ!」
男の熱弁に、わたしは思わず立ち止まってその筒をまじまじと見つめてしまった。
「暴風雨の中でも使えるって……それ、普通に生活魔法の火起こしで代用できるんじゃないの?」
わたしの素朴すぎる疑問に、男はチッチッと大げさに指を振った。
「甘いな、お嬢ちゃん。魔法が使えない一般人でも、強烈な炎を生み出せるのが道具の素晴らしいところだろう? こいつは内部の圧縮魔石を一気に励起させて、周囲の酸素を強制的に燃焼させる。雨風なんて関係ない、絶対的な火力だ!」
「へえ。じゃあ、ちょっとここで実演してみてよ」
わたしが促すと、男は突然視線を泳がせ、不自然な咳払いをした。
「い、いや。ここで使うのは少しばかり危険でね。なんせ火力が強すぎるからな」
「どれくらい強いの?」
「点火した瞬間、周囲二メートルの大気がプラズマ化して爆炎に包まれる。対象物が暴風雨に耐えて燃え残るかどうかは保証できないが、確実に火はつくぜ。まあ、使用者は最低でも全身に耐火呪文を三周くらい重ね掛けしておかないと、自分が炭になっちまうがな!」
男は誇らしげに胸を張った。
わたしは完全に真顔になった。
「それ、ただの自爆装置じゃない。暴風雨の中で自分が火だるまになってどうすんのよ。欠陥品にも程があるでしょ」
わたしの正論のツッコミに対し、男は呆れたように肩をすくめ、いかにもボーダーの住人らしい鼻につく言い回しで反論してきた。
「おやまあ。王都から来たお上品な方には、この技術のロマンと、限界に挑む職人の魂が理解できないようですな。実用性ばかり求めるなんて、随分と想像力の貧困なことで」
イラッ。
不良品を売りつけようとしておいて、なんだその上から目線は。前世のネット通販でレビューに星一つをつけられた悪徳業者の逆ギレと完全に同じ構図である。
わたしが言い返そうと息を吸い込んだ時、隣で黙って筒を観察していた統が、氷のように冷たい声で言葉を放った。
「回路の構造が根本的に破綻している」
統の言葉に、露店の男がムッとして眉を寄せた。
「なんだと? ガキが知ったような口を……」
「魔力の変換効率を計算したか? これだけの魔石を直列に繋ぎながら、炎への変換効率はわずか〇・〇〇二パーセントにすぎない。残りの九九パーセント以上の魔力は、筒の内部で熱暴走を起こすだけの無駄な負荷になっている。大気がプラズマ化するのではない。お前が作ったその粗悪な筒そのものが、耐えきれずに破裂しているだけだ」
統は、男の顔を見ることすらなく、ただ目の前のゴミを評価するように言い捨てた。
「つまり、着火装置ですらない。手元で爆発するだけの、欠陥だらけのガラクタだ。そんなものを最新技術と呼ぶなら、この街の知能レベルは私が想像していた以上に深刻な底辺にあるらしいな」
男の顔が、茹で上がったタコのように真っ赤に染まった。
統の指摘があまりにも的確で、反論の余地すら見つからなかったのだろう。男は何か言い返そうと口をパクパクさせていたが、やがて「ふん!」と顔を背け、自分の露店の奥へと引っ込んでしまった。
「……相変わらず、容赦ないわね」
わたしが苦笑すると、統は興味を失ったように歩き出した。
「事実を述べただけだ。あんな粗大ゴミの鑑賞に時間を割く意味はない」
わたしたちは再び北区の通りを歩き始めたが、この街の発明家たちの狂気は、一つの露店で終わるようなものではなかった。
少し歩くたびに、常識の斜め上を全力で疾走するような珍品の売り込みに遭遇するのだ。
「そこの冒険者のあんた! この『鏢刀』はどうだい! 刃の重さと空気抵抗を極限まで計算した、百発百中の投げナイフだ!」
別の露店で声をかけられたのは、疲労で死にかけているアリアさんだった。
彼女が気だるげにそのナイフを見つめると、店主は自慢げに機能の解説を始めた。
「刃の根元に特殊な魔力反発のギミックが仕込んである。的に当たると、その衝撃で刃が手元に戻ってくるという優れものだ!」
「へえ、ブーメランみたいなものね。でも、刃がそのまま手元に戻ってくるってことは……受け止める時に手を切らない?」
アリアさんが至極まっとうな疑問を口にする。店主はニヤリと笑った。
「そこさ! うっかり素手で受け取ろうとすれば、自分の手のひらが真っ二つにされるというスリリングな仕様だ! 常に死と隣り合わせの緊張感が、使い手の動体視力を極限まで引き上げる! どうだい、血湧き肉躍るだろう!」
「いらないわよそんな自傷兵器! 敵を倒す前に自分が失血死するわ!」
アリアさんの怒号が職人街に響き渡る。
その隣の店では、さらに巨大で意味不明な代物が展示されていた。
「これを見よ! 周囲の背景と完全に同化して姿を消す、究極の『迷彩盾』だ!」
店主が指差したのは、幅一メートル、縦二メートルはある、巨大な金属の板だった。もはや盾というより、どこかの家の頑丈な扉を取り外してきただけに見える。
「ほう。光学迷彩の魔道具か。理論自体は珍しくないが、実用化できているのなら悪くない」
統がわずかに興味を示して足を止めた。
店主は得意げに鼻を鳴らす。
「おや、そこの坊主。なかなかに見る目があるようだねえ。この盾の後ろに隠れて魔力を流せば、アラ不思議。背景の壁や森の色と完全に同じ色に変化して、敵から見えなくなるんだ。これで奇襲も逃走も思いのままさ」
「……それで、同化するまでにどれくらいの時間がかかるの?」
わたしが嫌な予感を感じながら質問すると、店主は少しだけ口ごもった。
「まあ、周囲の色彩情報を解析して魔力で再現するまでに、ほんの少しばかりのタイムラグがあってね。およそ三秒だ」
「三秒」
わたしは盾を持ち上げようとして、その異常な重さに腕の筋肉が悲鳴を上げた。
吸血鬼の力を使わなければ、持ち上げることすら不可能な重量だ。
「これ、重さどれくらいあるの?」
「耐久性を重視した結果、わずか二十キロに抑え込んだ傑作さ!」
「あのさ」
わたしは巨大な鉄板を地面に下ろし、呆れ果てて店主を見た。
「戦闘中に、こんな二十キロもある重たい扉を背負って、敵の目の前で三秒間もじっと動かずに立ってろっていうの? 完全に同化する前に、間違いなく隙だらけのところを三回は刺されて死ぬわよ」
私の正論の前に、店主はやはり「王都の人間は野暮だねえ」という顔をして、扇子で口元を隠しながら笑った。
「戦いにおける美学というものがわかっていない。消えるまでの三秒間こそが、敵との究極の心理戦を生み出す芸術的な時間だろうに」
「芸術で命が守れるか!」
これ以上付き合っていると、わたしのツッコミの語彙力が枯渇してしまいそうだった。
ダイスロープのリベットのおじさんが「変なガラクタを掴まされるよりはマシだろうぜ」と言って紹介状をくれた理由が、今になって痛いほどよくわかった。この街の発明家たちは、技術力はあるのかもしれないが、向かっている方向が完全に明後日の宇宙なのだ。
「駄目だ。このままじゃ目的地に着く前に、ツッコミの過労で倒れちゃう。さっさと紹介状の宛先の工房に行きましょう」
わたしはサコッシュからリベットのおじさんに貰った手紙を取り出した。
宛名には、大きく崩れた字でこう書かれている。
『北区第四通り裏・鍛冶工房 マタ宛』
変人だらけのこの職人街で、あのへそ曲がりなリベットのおじさんが唯一認めた相手。
まともな職人であることを心の底から祈りたいが、この街の空気を見る限り、嫌な予感しかしない。
「とりあえず、第四通りはこの奥ね。アリアさんたち、もう少しの辛抱ですから頑張って」
気力を振り絞って立ち上がったアリアたちを急かしながら、わたしたちは金属音と破裂音が絶え間なく響く北区の奥深くへと足を踏み入れた。
自治都市ボーダー。
物の始まりなんでもボーダーとはよく言ったものだが、その「物」の大半が、実用性を完全に無視したロマンの残骸であることは間違いない。
そして、わたしたちのこの街でのトラブルが、ただの露店冷やかしで終わるはずもないのだった。




