50、タカシが見たかった空
【2026/5月改訂】
エンターキーを押した瞬間、塔の中から低い唸りみたいな音が返ってきた。
びくっと肩が跳ねる。
壊れたわけじゃない。たぶん。いや、たぶんじゃ困るけど。
床の奥で、重たいものが噛み合い直すような音がする。
次いで、機械室の片隅の床がゆっくりと横へずれた。
「うわ……」
現れたのは、下へ続く細い階段だった。
ほんのりと青白い魔法灯がともっていて、闇に落ちる穴というより、何かの喉の奥みたいに見える。
「正解らしいな」
統が先にのぞき込む。
「アバカム、で合ってたんだ」
「単純だが、悪くない選び方だ」
「タカシくん、わりとベタ寄りだったんだね」
「親しみやすいとも言える」
「今の言い方、ちょっと好き」
統は何も返さず、先に階段を下りていった。
ので、わたしも続く。
下へ行くほど、塔の機械音が遠のいていく。
代わりに空気が変わった。乾いているのに、どこか閉じ込められた匂いがする。長いあいだ誰も開けなかった引き出しみたいな空気だ。
階段の先は、小さな部屋だった。
広くはない。
けど、きちんと作られている。壁も床も磨かれた石で、ただの隠し倉庫という感じじゃない。誰かが、ここをちゃんと“置き場”として整えたのがわかる。
その中央に、布をかぶせられた大きなものがあった。
「これ、か」
わたしは近づいて、布の端をつまんだ。
少しだけためらう。
たった今まで、これは兵器かもしれないと思っていた。男爵が欲しがって、職人を攫って、子どもまで使い潰そうとしているもの。そういう話の中心にある以上、もっと禍々しくて、もっと見ただけで嫌な感じのするものかもしれないと、勝手に思っていた。
でも、目の前のそれは、布越しにもどこか静かだった。
息をひとつ吸って、わたしは布をめくった。
「……え」
出てきたのは、巨大な筒だった。
大砲みたいでもある。
望遠鏡みたいでもある。
金属の骨組みに、太いガラス管。魔導回路の筋が蔦みたいに這っていて、古い機械なのに、どこか不格好な愛嬌がある。
兵器というより、巨大な実験装置。
科学室の夢をそのまま大きくしたみたいな形だった。
「なんか……思ってたのと違う」
「同感だ」
統が側面に手を触れる。
目を閉じ、じっと探る。
こういう時の統は、ふだんより少しだけ静かになる。というか、普段から静かだけど、その静かさの質が変わる。
わたしは機械を見上げたまま待った。
少しして、統が目を開ける。
「兵器ではないな」
「ほんとに?」
「ああ。少なくとも、直接何かを破壊するための構造じゃない」
「じゃあ、何」
統は筒の先を見上げた。
「投影機だ」
「投影機?」
「光を上へ飛ばし、空間へ像を映す装置だ。魔力で像を組み立て、塔全体を増幅器として使う」
言われて、わたしも改めて見回した。
機械の台座から伸びる細い導線みたいな回路が、床の下へ潜っている。たぶんこの部屋だけじゃない。塔のどこかと繋がっている。
「つまり、時計塔まるごと使うってこと?」
「おそらくな。この高さ、この位置、この構造。全部込みで設計されている」
わたしはもう一度、機械を見た。
大砲みたいな形。
でも中身は違う。
撃ち出すのは弾じゃない。光だ。像だ。空に浮かべる何かだ。
「……何を映すつもりだったんだろう」
口に出した瞬間、わかった気がした。
帰りたかったんだ。
たぶん、すごく。
日本に。元の世界に。見慣れたもの全部に。
でも、帰れなかった。
だからせめて。
せめて空だけでも、と思ったんじゃないか。
「タカシくん……」
会ったこともない。
顔も知らない。
それでも、この機械の形が妙に寂しく見えて、胸の奥が鈍く痛んだ。
「男爵たち、これを兵器だと思ってたの?」
「完全には理解していなかったのだろうな。未知の技術と魔力の出力だけ見て、危険なものだと決めつけた」
「馬鹿だね」
「ああ。たいへん馬鹿だ」
珍しく、統の口調にちょっとだけ棘があった。
わたしは機械のそばを回った。
背面にはいくつかの端子があり、そのうち一つには見覚えのある形の差込口がついていた。ゲーム機とどこか思想が似ている。異世界の魔道具だけじゃなく、日本の機械を知ってる人間が手を入れた形だ。
「起動できる?」
「今すぐはやめておけ」
「なんで?」
「上空に何かを映す装置なら、こんな時間に動かせば街中の目を引く。明日の前に騒ぎを起こすのは得策じゃない」
「そりゃそうか」
わたしは少しだけ残念になって、すぐに納得した。
ここで空に変なものを映したら、決戦前に全部台無しだ。
統は機械の側面をもう一度なぞる。
「ただ、起動の準備はできる」
「準備?」
「投影内容の選択と、魔力経路の再接続だ。今のままでは、たぶん途中で止まる。経年劣化もある」
「直せるの?」
「応急処置程度ならな」
そう言って、統は機械の基部を開いた。
内部には細い回路板みたいなものと、魔石をはめる座がいくつも並んでいる。何がどうなってるのか、正直わたしには半分もわからない。
「手伝えることある?」
「そのゲーム機を出せ」
「え、こっち?」
「ああ。データの記録方式が似ている。投影パターンの読み出しに使えるかもしれん」
言われた通り、サコッシュからゲーム機を渡す。
タカシくんが最後まで抱えていたもの。
その中身と、この機械がどこかで繋がっていると思うと、変な感じだった。
統は端子とゲーム機を見比べ、少し考え込んだあと、四次元ポケットからケーブルだの小さな魔石だの訳のわからないものを次々出し始めた。
「ほんとに何でも入ってるね、それ」
「必要なものしか入っていない」
「必要の定義、広すぎない?」
「狭いよりはいい」
それはそうかもしれないけど、そうかなあ。
結局、統が作業しているあいだ、わたしは部屋の中を見て回った。
壁際には小さな机があって、その上に紙束がひとつ置かれていた。湿気から守るためか、箱の中に丁寧に入れられている。
「統、こっち見ていい?」
「罠の気配はない。問題ない」
箱を開ける。
中にあったのは、何枚かの設計図と、走り書きのメモだった。
字は少し癖がある。
でも、勢いのある字だ。考えながら一気に書いた感じがする。
帰還装置は危険。
座標が安定しない。
人を通す前に空を通せ。
星座ならずれても死なない。
わたしは、その一文の前で止まった。
「……そっか」
帰るために作ってたんだ。
帰還装置を。
でも人間を通すには危なすぎた。だからまず、空を通すことを考えた。
日本の空を、この世界に映す。
それがタカシくんの“最高傑作”。
兵器なんかじゃなかった。
帰れなかった人が、それでも諦めきれなくて、空に手を伸ばした跡だ。
なんだそれ。
切ないにもほどがある。
「七色」
統に呼ばれて振り向く。
「見ろ」
機械の先端近く、透明なガラス管の奥で、淡い光がゆっくり点った。
完全起動ではない。でも、死んでない。ちゃんとまだ動く。
「いけそう?」
「ああ。明日の夜なら使える」
「何を映すの」
「まだ全部は読み切れていないが、星図らしきデータがある。おそらく、元の世界の夜空だ」
胸の奥がきゅっとなる。
「……うん」
それ以上、すぐには言葉が出なかった。
タカシくんが見たかった空。
帰れなくて、でも忘れたくなかった空。
もしそれが明日の夜、この街の上に広がるなら――それはたぶん、ただ綺麗なだけじゃない。
男爵たちが欲しがった“最高傑作”の正体が、誰かを殺す力じゃなくて、誰かが帰りたかった証拠だってことになる。
「これ、持っていかなくていいの?」
「運ぶには大きすぎるし、ここに固定されている。この塔ごと使って完成する仕組みだ。下手に動かせば壊れる」
「じゃあ、明日ここで起動する?」
「いや」
統は短く首を振った。
「起動自体は遠隔でできるようにしておく。オークション会場で騒ぎを起こし、相手の目を地上に向けたところで空を使う」
「派手だね」
「お前は好きだろう、そういうの」
「好き」
即答すると、統が少しだけ笑った。ほんの少しだけ。
その顔を見て、こっちもつられて笑う。
「いいね。偽物を並べて悦に入ってるところへ、本物を空から見せるわけだ」
「ああ。しかも本物は兵器ですらない」
「最高に趣味が悪い」
「褒め言葉として受け取っておく」
準備に必要な細工をいくつか済ませて、わたしたちは部屋を出た。
布は元通りかぶせる。床の扉も閉じる。機械室のキーボードも、触った痕跡が残らないように整える。
全部終わったころには、夜はだいぶ深くなっていた。
時計塔を出ると、風が頬を撫でた。
ドレスの裾が少し揺れる。見上げた空には、この世界の星が散っている。見慣れない形。二つの月。日本じゃ絶対に見られない空。
それなのに、明日の夜はそこへ別の空が重なる。
「七色」
「なに」
「歩きながら寝るなよ」
「寝てない。ちょっと考えてただけ」
「顔がぼんやりしている」
「感傷にひたってる乙女への言い草じゃないなあ」
「乙女ならもっと静かにひたれ」
「注文が多い従者だね」
言い返しながら、少しだけ胸を押さえた。
深いところで、あの心臓がゆっくり鳴っている。
不安はある。
明日はたぶん、簡単に済まない。
カコちゃんも、地下の子どもたちも、職人さんたちも、みんなまとめて助けるなんて、口で言うほど簡単じゃない。
でも、ひとつだけはっきりしたことがある。
タカシくんの話を、あんな連中の勘違いで終わらせたくない。
兵器なんかじゃない。
あれは、帰れなかった誰かが、それでも世界を見失わないために作った空だ。
だったら、いちばん綺麗な形で使ってやる。
宿へ戻る道すがら、わたしはもう一度だけ時計塔を振り返った。
闇の中に立つ塔は、何も知らない顔をしている。
明日の夜。
あそこから、空が変わる。
「統」
「なんだ」
「明日、絶対決めよう」
「ああ」
短い返事。
でも、それで十分だった。
ニセ令嬢と小さな従者。
ふざけた配役だ。ほんとに。
けど、舞台に上がる準備はもう終わった。
次は、幕を開けるだけだ。




