49、ニセ令嬢と時計塔の鍵
【2026/5月改訂】
「服が人を作る」って言葉があるけど、あれはたぶん半分だけ正しい。
正しくは、服が人に別の皮をかぶせる、だ。
鏡の前に立っている自分を見て、わたしは本気で二回見直した。
いや、素材が悪くないことくらいは自分でも知ってる。そこまで卑屈じゃない。けど、知ってるのと、目の前に完成形を突きつけられるのは話が違う。
深紅のドレス。
ぴたりとしすぎず、でもきれいに身体の線だけ拾う形。胸元も背中も開きすぎてないのに、普段の服と比べると落ち着かなさがすごい。布の重みも光り方も、いかにも「高いです」と全身で主張している。
髪は上でまとめられて、真珠の飾りが挿してあった。頬の色も、目元の赤も、自分でやるとたぶんこうはならない。ブンザさんが手配してくれた人、ほんと仕事がうまい。異国風で、少し気が強そうで、黙っていればちゃんと“それっぽい”。
……黙っていれば、だけど。
「背中が落ち着かない……」
思わずぼやくと、背後からすぐ呆れた声が飛んできた。
「我慢しろ。そういう格好だ」
振り向く。
そこには黒の燕尾服をきっちり着こなした、小さな従者がいた。
統だ。
髪まできれいに撫でつけて、銀縁の眼鏡なんかかけている。見た目だけ切り取ると、よくできたお坊ちゃんか、小柄すぎる執事見習いだ。けど立ち方と目線の配り方が妙に完成されていて、変に腹が立つ。
「似合いすぎじゃない、それ」
「お前もな」
「そっちは褒めてない」
「こちらもだ」
しれっと返された。
こういうところがほんとに可愛くない。
「名前はどうするの?」
「私は従者だ。目立つ必要はない。呼び方は統でいい」
「設定、雑じゃない?」
「従者の名など、客のほうは覚えない。覚える必要もない」
ひどい言い草なのに、たぶんその通りなのが嫌だ。
わたしは鏡の前で、軽く裾を持ち上げて礼をする真似をした。
重い。慣れない。足元も見づらい。こんなので階段を上り下りするとか、貴族って見た目よりだいぶ修行僧だと思う。
「で、お嬢様。笑う時はもう少し抑えろ」
「え?」
「今のは社交界に出る笑い方じゃない。悪役が企みを思いついた時の笑い方だ」
「失礼な」
「事実だ」
むかつく。
でも、否定しづらいのがもっとむかつく。
今夜、わたしたちは時計塔へ行く。
オークションの前日。明日になれば警備はもっと厳しくなる。タカシくんの遺したものを回収するなら、今しかない。
その前に、ブンザさんの部屋で最後の確認だけ済ませた。
「招待状の件はこちらで何とかします」
ブンザさんは、昼間よりずっと固い顔をしていた。
チナちゃんは隣で静かに座っている。昨日までの元気さは少し引っ込んでいたけど、それでもこちらを見上げる目には、ちゃんと期待があった。
「ドレミ様は、“東方の島国から来た商家の令嬢”という設定でいきましょう。多少の言葉遣いの違和感も、異文化で押し通せます」
「よし、異文化で全部押し通そう」
「雑だな、お前は」
「でも便利でしょ、異文化」
「便利ではある」
統が否定しきらなかった。
チナちゃんがくすっと笑う。
それが少しだけ嬉しかった。
「お姉ちゃん、ほんとにその格好で行くの?」
「うん。どう?」
「きれい。……でも、ちょっとこわい」
「えっ」
「つよそう」
たぶん褒められてる。褒められてると思いたい。
ブンザさんが咳払いをひとつした。
「時計塔の件、くれぐれもお気をつけて。明日を迎える前に、そちらで何か掴めれば、こちらも準備がしやすくなります」
「大丈夫です。無茶はしません」
言いながら、自分でちょっとだけ嘘っぽいなと思った。
無茶をしない予定で始まって、無茶をしなかった試しがほぼない。
でも、今日はほんとに無茶はしたくない。
明日が本番だ。その前に消耗するわけにはいかなかった。
夜がすっかり落ちてから、わたしたちは宿を抜け出した。
ドレスのまま夜道を歩くのはどうかと思ったけど、統が認識阻害をかけてくれたおかげで、人目はほとんど気にならない。
石畳を踏むヒールの感触だけが、やけに現実的だった。
時計塔は街の中心に立っている。
昼に見た時より、夜のほうがずっと大きく見えた。白い魔法灯に照らされた文字盤が、真上の闇に浮いている。街の真ん中で、何もかも見下ろしている顔だ。
「派手だねえ」
「帝国時代の建築らしいからな」
「権力の趣味って感じ」
「たいていそういうものだ」
正面入口の扉は閉ざされていた。
がっちりした鍵。ふつうなら、ここで終わる。
でも、ふつうじゃないのがうちの従者だ。
統はポケットから薄い板みたいな魔道具を取り出し、鍵穴に差し込んだ。何かを探るみたいにほんの少し動かす。
次の瞬間、かちり、と軽い音がした。
「開いた」
「毎回思うんだけど、その技術、だいぶ犯罪向きだよね」
「鍵を開ける技術に善悪はない」
「使う人間にあるんだよ」
「なら私は善人だから問題ない」
「その自認、強すぎない?」
言い合いながら中へ入る。
扉を閉めた途端、外の街の音が一気に遠のいた。
塔の中は薄暗く、ひんやりしていた。石と油と、長く動き続けた機械の匂いがする。
一階に、地下へ向かう扉は見当たらない。
見えるのは上へ続く螺旋階段だけだった。
「地下って言ってたよね、タカシくん」
「ああ」
「上に行くの?」
統は壁に手を当て、目を閉じた。
少しの沈黙。やがて指先がゆっくり上を向く。
「魔力の流れが上から落ちている」
「つまり?」
「制御部が上層にある。地下へ行くには、先にそっちを触る必要があるはずだ」
めんどくさい。
でも、タカシくんがそんな単純な作りにするとも思えない。
「よし、登るか」
「その格好でか?」
「言わないで。自分でも思ってる」
螺旋階段は、見た目以上に長かった。
ひたすら回る。上る。回る。上る。視界がぐるぐるする。ドレスの裾は邪魔だし、ヒールは階段と仲が悪いし、途中からわたしの中の上品さがかなり削れていった。
「貴族ってすごいね……」
「なぜだ」
「毎日こんなの着てたら、それだけで尊敬する」
「論点がずれている」
「ずれてない。かなり切実」
統は平然としている。
腹立つくらい平然としている。
見た目ちびっこ執事のくせに、ひと息も乱れていない。
やっと最上階へ辿り着いた時、わたしは本気で壁にもたれたくなった。
けど令嬢姿でそれをやると一気に台無しなので、気合いで背筋だけ保った。
最上階は機械室だった。
巨大な歯車がいくつも噛み合い、振り子の重い音が空気を刻んでいる。金属の軋む気配と、一定のリズム。塔そのものが、生き物みたいに呼吸していた。
その中央に、どうにも場違いなものがあった。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
金属製の台。
その上に並んでいるのは、見慣れた配列のキーだった。アルファベット。ひらがな。日本語配列のキーボード。
異世界の古い時計塔のど真ん中に、それが置かれている。そのちぐはぐさが、逆に生々しい。
「ほんとに日本のものだ」
「少なくとも、作ったやつの頭は日本製だな」
台の横には黒いプレートが埋め込まれていた。
そこに、白い文字が一行だけ光っている。
『PASSWORD:』
喉の奥が少し詰まる。
来た。
わたしはサコッシュから携帯ゲーム機を取り出した。
ひびの入った画面、擦り傷だらけの外側。タカシくんが最後まで手放さなかったもの。
最後のメッセージは、もう覚えている。
――パスワードは、俺たちの世界の、あの有名な呪文だ。
「どう思う」
統の声は低かった。
「たぶん、わかる」
答えながら、すぐにはキーに触れられない。
候補はいくつか浮かぶ。けど、たぶん本命はひとつだ。
開けるための呪文。
閉ざされた場所から先へ行くための言葉。
この世界でタカシくんが、いちばん欲しかったもの。
わたしは深く息を吸った。
「……これで、たぶん合ってる」
指先をキーの上に置く。
でも、押す直前で止まった。
「怖じ気づいたか」
「ちょっとだけ」
「珍しいな」
「失礼な。わたしだって慎重になる時くらいある」
「今がその貴重な瞬間か」
「茶化さないで」
画面の『PASSWORD:』が、急かすみたいに瞬いている。
ここまで来て、間違えたら。
何か壊れたら。
タカシくんの最後の置き土産を、わたしたちが台無しにしたら。
その時、統がわたしのすぐ横に立った。
「七色」
「ん」
「合っていようが、間違っていようが、止まっても何も始まらない」
慰めにも励ましにも聞こえない。
でも、統のこういうところは妙に効く。
「……だね」
わたしは画面を見据えた。
指を動かす。
“A”
“B”
“A”
“K”
“A”
“M”
“U”
そして、最後のキーへ手を伸ばした。




