44、タカシくんのRPG クリアは任せて
彼女の手には、薄汚れた布に包まれた何かが握られていた。
少女の名はカコ。年の頃はチナちゃんと同じくらいか、少し下か。痩せっぽちで、目は野良猫のように鋭い。けれど、その奥にある怯えを隠しきれていない。
なぜか京都弁っぽい訛りがある。異世界だから方言の一つや二つ、あってもおかしくないけれど。
「……それ、盗んだの?」
わたしが直球で聞くと、カコちゃんはバツが悪そうに視線を逸らした。
「そや」
即答。
ああ、やっぱり。
「あの男ら、これ取り返しに来てん」
「えー」
わたしはがっくりと肩を落とした。
「わたし、盗っ人助けちゃったって事?」
悪漢に追われる美少女(自称)を助けるヒーローごっこ、完遂ならず。どうりで、あのチンピラたちが「泥棒猫」呼ばわりしていたわけだ。彼らにとっては、正当な財産回収業務だったのかもしれない。
「そうなるな」
統が冷静に追い打ちをかける。
「どう見ても悪人面だったのに」
人は見かけによらないと言うが、あのチンピラ顔で善良な市民というのは、神様のキャラデザミスとしか思えない。
「でも、うち、これだけしか盗ってへん」
カコちゃんが布を解く。
その瞬間、私は息を呑んだ。
手のひらサイズの長方形。プラスチックの質感。小さな液晶画面。十字キーと赤いボタン。
「……ゲームボーイ?」
いや、正確にはその後継機だ。カラー液晶がついているタイプ。
私の世代より少し前の、伝説的な携帯ゲーム機。
見覚えがあるなんてもんじゃない。これは間違いなく、日本から来た代物だ。
裏蓋を開けてみる。単三電池が二本。劣化して白く粉を吹いている。そして、カセット差込口には一本のソフトが刺さっていた。タイトルシールは擦り切れて読めないが、その形状は紛れもなくRPGのそれだ。
「動くかな」
統が、どこからともなく新しい単三電池を取り出し、手早く入れ替えた。
電源スイッチを入れる。
懐かしい電子音が路地裏に響いた。
画面が灯る。ドット絵の勇者。ロード画面を選択すると、セーブデータが一つだけ残っていた。
『タカシ』
LV.45 プレイ時間 32:15
「タカシ……」
誰だよタカシ。
いや、持ち主なのは間違いないだろう。裏蓋にはマジックで『T.H』とイニシャルが書かれていた。タカシ・ハシモトとか、そんな感じか。
異世界転移したタカシ少年が、唯一の心の支えとして持ち込んだゲーム機。それが巡り巡って、この異世界の路地裏で、盗っ人の少女の手にある。
数奇な運命を感じずにはいられない。
「……で、どこから盗んだの」
「バウンス商会」
即答その二。
「バウンス?」
「うちが働いてた店や」
ああ、なるほど。
盗んだというより、腹いせに持ち出したってことか。
「貴族のおっさんが、それ買おうとしてたんや」
「貴族?」
「ロンリコ・ブランコ男爵、て名前やった」
ふざけた名前だ。どういうセンスをしているのか、その男爵の両親に小一時間問い詰めたい。
「そのおっさんが、うちに目ぇつけてな」
カコちゃんの顔が歪む。
「可愛い子猫ちゃん、て。キモかった」
「……あー」
なるほど、そういう話か。
一気に空気が重くなる。
「逃げる時に、これ掴んで走った。あんなヤツに渡したくなかったし」
カコちゃんの手が、ゲーム機を握りしめる。
わたしは拳を握りしめた。パキパキと指の関節が鳴る。
「やっぱりあいつら、悪人で間違いなかったじゃん」
前言撤回。私の勘は正しかった。
「よし、決まりだ」
わたしは立ち上がった。
「カコちゃん、あんたはわたしが保護する。そして、そのバウンス商会とロンリコ男爵、きっちり落とし前つけさせてやる」
「ちょ、ちょっと待って!」
カコちゃんが慌てて私の服を掴む。
「そんなん無理や! 相手、大店やし貴族様やで!」
「大丈夫。わたしには強い味方がいるから」
わたしは隣の統を親指で指した。
統は、やれやれといった顔でため息をつく。
「……七色。早まるな」
「なんでよ。話聞いたでしょ」
「ここは日本ではない」
統の声は冷たい。
「力の使い方を間違えるな。出来る事イコールやって良いことではない」
「う……」
確かに、ゲーム機を盗んだのはカコちゃんの方だ。事情はどうあれ、窃盗は窃盗。
「まずは情報を集める。状況を把握する。動くのはそれからでも遅くない」
「……わかったよ」
わたしは渋々頷いた。
統の言うことはもっともだ。でも、腹の虫は収まらない。
とりあえず、このゲーム機「タカシ」の無念を晴らすためにも、タカシ(仮)の冒険の続きを見届けてやることにしよう。
わたしたちはカコちゃんを連れて、ブンザさんたちが泊まっている「白の風車亭」へ向かった。
夕食をご一緒させてもらう約束だ。一人増えるけど、ブンザさんなら許してくれるだろう。
食堂に入ると、ブンザさんたちはすでに席に着いていた。
わたしたちがカコちゃんを連れているのを見て、少し驚いた顔をしたが、事情を話すと快く席を作ってくれた。
「街で知り合いまして、案内してもらっていたんです」
わたしは適当な作り話でカコちゃんを紹介した。盗みの一件は伏せる。彼女の立場を悪くするだけだからだ。
テーブルの上には、豪華な料理が次々と運ばれてきた。肉厚なステーキ、山盛りの野菜サラダ、湯気を立てるスープ。どれもこれも、空きっ腹にはたまらないビジュアルだ。
カコちゃんは、目の前の料理の山に目を輝かせ、猛獣のような勢いで食らいついていた。
「おいしい……!」
口の周りをソースだらけにしながら呟く。
チナちゃんが、そんなカコちゃんを見て、自分の皿からパンを分けてあげている。同年代の女の子同士、すぐに打ち解けたようだ。
「この街の料理は美味いですね」
ブンザさんが満足げに髭を撫でる。
「けど、市場がちょっと妙でしたな」
ふと、ブンザさんの声のトーンが落ちた。
「妙、ですか?」
わたしが尋ねると、ブンザさんはワイングラスを傾けながら眉をひそめた。
「オーミから持ってきた食材は飛ぶように売れた。それはいいんですがね」
ブンザさんが視線を落とす。
「魔道具が、極端に少ないんです」
「魔道具?」
「ええ。テンペタは古くからの魔道具の産地で有名なんですが」
統の手が止まる。
「品薄で、しかも質が落ちてる。店主に聞いても歯切れが悪くてね」
「材料が入ってこない、とか?」
「それもありますが……職人が減ったと」
職人が減った。
その単語が出た瞬間、テーブルの空気が少しだけ冷えた気がした。
「どうも、魔道具職人が減少しているようでして。いつのまにか工房を畳んでいる魔道具屋がちらほらとあるんです」
「夜逃げ?」
「このテンペタで、魔道具工房が夜逃げするような事態になるとは考えられませんなぁ」
「あの」
今まで黙っていたカコちゃんが、おずおずと口を開いた。
「うちの修道院でも、働きに行ったまま、帰って来てない子がいてる。シスターは逃げたって言うてたけど……」
「孤児院?」
「そや。うち、セシール修道院で育ってん」
カコちゃんがぽつりぽつりと話し始めた。
彼女はセシール修道院付属の孤児院で育った。年齢も定かではない。十二か十三か、そのあたり。
「十五歳になったら働きに出されるんやけど……うちら、正確な年齢わからへんやろ? 院長の気分次第で『お前、もう十五歳や』て言われて、早々に売られんねん」
「売られる、って……」
「労働力として、や」
チナちゃんが息を呑む。
「うちもバウンス商会に出されて……通いで、朝六時から夜六時まで働かされて」
「ご飯は?」
「朝と夜は孤児院で食べることになってる。けど、孤児院の朝は七時。次は夜の七時や」
「……は?」
わたしは思わず聞き返した。
「つまり、昼は食べられないってこと?」
「せやねん。昼休憩はあるけど、飯は出ぇへん。夜中に厨房忍び込んで、パンの耳盗み食いしてた」
カコちゃんがあっけらかんと言う。
わたしの拳が、テーブルの下で握りしめられる。
「商会に訴えても『孤児院で食え』、孤児院に訴えても『商会で食わせてもらえ』。たらい回しや」
「ひどい……!」
チナちゃんがフォークを握りしめる。
「それで半年……耐えて、耐えて……」
カコちゃんの声が震える。
「今日、あの貴族が来て……それで、我慢できんようになって逃げた。商品を掴んで」
しばしの沈黙。
ブンザさんが、深いため息をついた。
「良くはないが……それが普通と言えば普通だな」
「おかしいです!」
チナちゃんが声を荒げる。
「ただ」
ブンザさんは顎を撫でながら言った。
「教会付属の孤児院としては、少し引っかかる」
「引っかかる?」
「孤児院はどこも財政難で、子供を働きに出すのは一般的です。けど、教会付属となれば話は別だ。貴族や富裕層からの寄付が集まるはずなんです」
なるほど。
金があるはずなのに、子供たちへの待遇が悪い。
中抜き。横領。嫌な単語が頭をよぎる。
「バウンス商会も、あまり良い評判は聞きませんな」
ブンザさんが続ける。
「老舗ではありますが。基本、貴族や富裕層、観光客向けの商売で。仕入れの方法に問題ありとの噂です」
強引な買い叩きや、裏ルートからの仕入れ。カコちゃんが盗んだゲーム機も、そういった「裏の商品」の一つなのかもしれない。
「そういえば」
わたしは思い出したように言った。
「用途不明の謎道具とか、この街で扱ってないですか?」
ゲーム機のような、こちらの世界の常識では測れない物について。
「ああ、それなら」
ブンザさんは少し考えてから答えた。
「年四回、このテンペタでは古代遺物のオークションが開かれてます。出土した遺物の他に、他の大陸から来たと言われる不思議なものも扱われるらしいですよ」
「オークション……」
「ええ。開催は来月のはずです。興味があるなら、調べておきましょうか?」
「お願いします!」
わたしは身を乗り出した。
オークション。そこに潜り込めば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。タカシ(仮)以外にも、こっちの世界に迷い込んだ人の痕跡が。
楽しいはずの夕食会は、最後には少し不穏な空気を残して終わった。
カコちゃんは、今日はわたしたちの部屋に泊まることになった。孤児院へは、ダカタさんが使いに行ってくれる。
「商会の方で急用ができたので、今日は帰れない」と伝えてくれるそうだ。ダカタさんの強面なら、孤児院のシスターも文句は言えないだろう。
「おおきに、お姉ちゃん。ホンマに……ありがとう」
宿の部屋で、カコちゃんが深々と頭を下げた。久しぶりにまともな食事をして、少し顔色が良くなっている。
「いいってことよ。困ったときはお互い様だし」
わたしは彼女の頭をポンと撫でた。
細い髪の感触。守らなきゃいけないものが、また一つ増えてしまった気がする。
窓の外には、古都テンペタ・フロップスの夜景が広がっている。
王家の直轄地。リヴィエール侯爵が治めるこの街。表向きは華やかな観光都市だが、その裏にはどす黒い闇が渦巻いているようだ。
セシール修道院。バウンス商会。ロンリコ・ブランコ男爵。
ターゲットは絞られた。あとは、どう料理してやるかだ。
わたしはサコッシュの中のゲーム機に触れた。
タカシ。君の冒険はここで終わったかもしれないけど、私の冒険はまだ始まったばかりだ。君の無念、私が晴らしてあげるからね。
……まあ、クリアしてないゲームの続きをやるだけだけど。
統が、窓辺で静かに月を見上げていた。その背中が、何かを考えているように見えた。彼もまた、この街の歪みに気づいているのだろう。
夜風が、少しだけ生臭い匂いを運んできた。
戦いの予感がする。
でも、不思議と怖くはなかった。
だって、今のわたしは一人じゃないから。




