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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第四章 古都テンペタ・フロップス編

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45、スパイ・カコ、石ころひとつ携えて

【2026/5月改訂】




 朝というのは、ほんとうに容赦がない。

 誰かが空の向こうで「起きろ」とでも言いながら、いきなり光をぶちまけてくるみたいに、まぶしさが目に刺さる。


 昨夜遅くまで、これで本当にいいのかを一人でぐるぐる考えていた身には、爽やかな朝日なんて嫌がらせでしかない。


 古都テンペタ・フロップスの朝は、腹が立つくらい気持ちよく晴れていた。

 窓を開けると、石畳を抜けてきた風が、焼きたてのパンの匂いと、路地裏にしみついた湿った苔の匂いを一緒に運んでくる。

 表向きはきれいな観光都市。けど、ちょっと裏へ入れば別の顔がある。そんな街だった。


 大きく伸びをすると、首の骨が小さく鳴った。

 吸血鬼の体になっても、寝起きのだるさまでは消えないらしい。そこはちょっと、設計ミスじゃないかと思う。


 部屋の真ん中のテーブルには、もう統(すばる)がいた。

 すでに紅茶まで淹れて、いかにも最初から起きていましたみたいな顔で座っている。見た目はちびっこなのに、朝の空気だけは妙に年寄りくさい。


「おはよう、七色(どれみ)。顔が死んでいるぞ」


 朝の挨拶がそれだった。


「おはよう、弟よ。姉の顔を朝一番で死体判定するなんて、いい度胸してるね」


「事実を言っただけだ。今のお前、煮込みすぎた大根みたいな顔をしている」


「味が染みてるってことなら、褒め言葉として受け取っとく」


 言い返しながら向かいに座る。

 そこで、わたしは改めてもう一人の姿を見た。


 カコちゃんが、椅子の上で小さくなっていた。


 昨日の夜、わたしたちは話し合った。

 ここから逃がすか、それとも戻すか。


 わたしは逃がしたかった。

 あんな場所に、この子をもう一度返すなんて、どう考えてもまともじゃない。


 けれど、カコちゃんは首を縦に振らなかった。


『うちだけ逃げるなんてでけへん。あの子らほったらかしたら、うちはずっと後悔する』


 震えていたのに、目だけは強かった。

 あの目を見たら、もう止められなかった。


 彼女の前には、宿の朝食が並んでいる。焼きたてのパンに、野菜のスープ、ベーコンエッグ。湯気が立っていて、どれもちゃんと美味しそうだ。

 なのに、カコちゃんの手は止まったままだった。


「カコちゃん、食べないの? 冷めるよ」


 声をかけると、彼女はびくっと肩を揺らして、そっとこっちを見た。

 昨日よりは少し落ち着いている。けど、目の奥にはまだ、深いところまで沈んだ怖さが残っていた。

 戻る先がどんな場所か、いちばんよく知ってる顔だった。


「……食べる」


 小さく答えて、パンをちぎる。

 一口入ったあとは早かった。急に勢いがついて、ほとんど詰め込むみたいに食べはじめる。


 味わうというより、先に腹へ入れないと、って感じの食べ方だった。

 見ているだけで、胸の奥がちくっとする。


「ゆっくりでいいよ。誰も取らないし、おかわりもあるから」


 そう言うと、カコちゃんは口いっぱいのまま、こくこく頷いた。


 朝食が終われば、もうごまかせない。

 今日やるのは観光でも散歩でもない。


 潜入だ。

 しかも中に戻るのは、この細い体の少女ひとり。


 食後、統が淹れた紅茶を飲みながら、わたしたちは最後の確認に入った。

 悔しいけど、美味しい。




「いいか、カコ。昨夜決めた手順をもう一度確認するぞ」


 統が淡々と言う。


「うん」


 カコちゃんは背筋を伸ばした。


「まず、お前は孤児院に戻る。理由は『逃げようとしたけど行く当てがなくて戻ってきた』だ。恐怖と空腹で心が折れたふりをしろ」


「ふり、やのうて、半分ほんまやけどな」


 カコちゃんが乾いた笑い方をした。

 冗談みたいに言ってるけど、その通りだ。昨日のあの子は、ほんとうにぎりぎりだった。


「盗んだものについては?」


「『怖なって川に捨てた』て言う。持ってたらまた追いかけられる思て、頭まっしろになってもうた、て」


「それでいい」


 統は短く頷く。


 理屈としては通る。

 でも、通ったところでどうなる。相手は子どもを売り物みたいに扱う連中だ。逃げたうえに、盗んだ品まで失くして戻る。

 殴られるかもしれない。もっとひどいことだって、普通にある。


 考えたくない想像が勝手に浮かんで、わたしは身を乗り出していた。


「ねえ、統。やっぱり心配だよ。カコちゃん一人で戻すなんてさ……何かあったとき、すぐわかる方法ないの?」


 作戦だっていうのはわかる。

 でも、敵のど真ん中にひとりで返すには、この子は小さすぎる。


「……言うと思って、用意しておいた」


 統はそう言って、ポケットから何かを取り出した。


 石ころだった。

 河原にでも転がっていそうな、灰色の、形もぱっとしない小石。


「これ、なんやの?」


 カコちゃんが不思議そうにつまみ上げる。


「念話石だ。昨夜、石に術式を組んでおいた」


「いつの間に……」


 わたしが寝てるあいだに、そんなことまでやってたのか。


「魔力を通せば、対になった石へ声が届く。離れていても使える」


「つまり、遠くから話せる道具ってこと」


 わたしが補うと、カコちゃんは目を丸くした。


「こっちの声は返せないが、お前の声は拾える。何かあったら握って念じろ。それだけでいい」


 一方通行。

 でも十分だ。それでもあるのとないのとじゃ全然違う。

 ただ戻すだけじゃない。ちゃんと拾う気でいる。そのことに、少しだけ息がしやすくなった。


「そんな大事なもん、うちが持っててええの?」


「貸すだけだ。なくすな」


 統はいつもの顔でそう言った。

 でも、昨夜のうちにこれを作っておいたってことは、最初からカコちゃんをひとりで放り込む気じゃなかったんだろう。


「わかった。肌身離さず持っとく」


 カコちゃんは石を両手で包んでから、そっと胸元にしまった。


「あと、これも持っていけ」


 統がもうひとつ、小さな包みを差し出す。


「干し肉と携帯食だ。隠しておけ。飯を抜かれた時の保険になる」


 一瞬、カコちゃんの顔が止まった。

 そういう目に遭う可能性を、本人も当然わかっているのだ。


「……ありがとう、お兄ちゃん」


 その声は、少し潤んでいた。


 統の眉がほんのわずかに動く。

 けれど、訂正はしなかった。


「行くぞ」


 それだけ言って、統は立ち上がる。

 わたしたちも後に続いて、宿を出た。




 朝の街は、今日も何事もない顔をしていた。

 店を開ける準備をする人。客引きの声。のんきに歩く旅人。

 どこを見ても平和そうで、だからこそ腹が立つ。こんな明るい場所のすぐ裏で、子どもが食い物にされてる。


 わたしたちは人目を避けて裏通りを進んだ。

 セシール修道院は街はずれの丘の上。近づくほど人通りは減って、建物の影が濃くなる。


 やがて、修道院の尖塔が見えた。

 そこで足を止める。


「ここまでだ」


 統が言った。


 ここから先は、カコちゃんひとりだ。


 彼女は一度、深く息を吸った。

 小さな背中が、見えない荷物でも背負ってるみたいに固い。


「……行ってくるわ」


 振り返って笑おうとしたのだと思う。

 でも、うまくいかなかった。唇だけが引きつって、今にも泣きそうな顔になってしまう。


 わたしはしゃがんで、目線を合わせた。


「カコちゃん。無理しないで。ほんとにヤバいと思ったら、すぐ逃げていいから。計画なんてどうでもいい。あんたが無事なのがいちばん大事」


 きれいごとじゃなく、本気だった。

 悪いやつをどうするとか、証拠をどうするとか、そんなの全部あとだ。

 この子が傷つくくらいなら、作戦なんて壊れていい。


「……うん。わかってる」


 カコちゃんは頷いた。

 そのあとで、ぐっと顔を上げる。


「でも、うちはやる。あの子らのためにも、うちがやらなあかんねん」


 怖いはずなのに、足を止めない。

 その強さが、まぶしかった。


「頼んだよ、スパイさん」


 頭を撫でる。

 少しごわついた髪の下に、ちゃんとあたたかい体温があった。


 カコちゃんはもう一度だけ大きく息を吸い、それから背を向けた。

 今度は振り返らない。


 小さな背中が、修道院へ続く坂をのぼっていく。

 朝の光の中なのに、その道だけやけに遠く見えた。


 門の前で一瞬もたついて、それでも彼女は中へ入っていく。

 姿が見えなくなるまで、わたしたちは動けなかった。


「……行っちゃったね」


 ぽつりとこぼす。


「ああ」


 統の声は変わらない。

 けれど、その目はまっすぐ修道院を見据えていた。


 その手の中で、対になったもうひとつの石が、静かに握られていた。




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