26、真祖様
統が背後から、座り込んでいるわたしの肩に手を置いた。
その手は冷たいのに、不思議と体の震えをゆっくり吸い取っていくみたいだった。
「七色、大丈夫だ。回復はしている。焦ることはない」
短い言葉なのに、全身の力がふっと抜けた。
頭が真っ白になりかけてたのを、統の声だけが地面に引き戻してくれる。
……統の声だけが、ちゃんと届く。
焚き火の弾ける音も、血の匂いに混じった湿った土の臭いも、ゲルトさんの浅い呼吸すら──薄い膜の向こうみたいに遠い。
ちいさな焚き火が、頼りなく揺れている。
炎はひょろひょろで、灰がひっそり落ちるたびに、夜が少しだけ深くなる。
その火を囲むように、アリアさん、アリアさんの仲間ふたり、統、そしてわたしが車座になって、声をひそめて話し始めた。
森は夜の湿気を含んで重くて、吐く息が白く見えるくらい冷える。
ゲルトさんのそばには治療道具が雑にまとめられていて、血の匂いが火のぬくもりと混ざって、なんとも言えない“嫌な気配”になっていた。
「この子たちに聞かせていいのか?」
焚き火越しに、長身の男の人──ノッポさんがアリアさんを見る。
火に照らされた顔は硬くて、疲れと怒りが線になって刻まれてる感じ。
「スバルとドレミは当事者だよ。それに見かけより“大人”だわ」
「わかった。アリアがいいと言うなら……」
ノッポさんはわずかに顎を引いて了承した。
その動きが、戦場の癖みたいで、妙に慣れて見える。
ゲルトさんに気を取られて気づかなかったけど、アリアさんの仲間のひとりは獣人だった。
火の光を拾う目が猫みたいに艶っぽい。
よし、心の中で“ネコミミさん”と呼ぶことにする。もう一人は人間で、“ノッポさん”。
ネコミミさんが口を開いた。
声は高め。でも奥に、ずっと燃えたままの怒りがある。
「じゃ、代官所屋敷に潜って分かったことを順番に話す」
焚き火の光が横顔に陰を作って、内容まで重くなる。
「屋敷に捕まっていた二人は、“少女について”執拗に尋問されていた」
「少女……?」
喉がきゅっと狭くなった。
胸の深いところで、あの“別の心臓”がひとつ跳ねた気がする。
「変わった服装の、見慣れない旅人の少女。荷車の焚き火の近くにいた……って、グソックが父親に話したらしい」
わたしだ。
心臓がどくん、と鳴った。
背中に冷たい水を流されたみたいに、肌が粟立つ。
(……わたしの……やっぱり、わたしのせい?)
その考えに引っ張られるみたいに、胸がじわじわ痛くなる。
「グソックとは?」
統が言葉を挟んだ。
わたしの不安に、ぶつ切りでストップをかけるみたいに。
「グソックは、オーミの街の代官クアンサマ・オーダインの嫡男。甘やかされて育てられた一人息子だ。市井での評判はすこぶる悪い。街や周辺の村へ出ては問題を起こす」
ネコミミさんの声には軽蔑と、悔しさが混ざってた。
「そのクアンサマ・オーダインってのが、十年前から代官になった奴だな」
アリアさんが引き継ぐ。
火に照らされた金髪がさらりと揺れて、その影が地面に長く落ちた。
「そう。オーダイン男爵。オーミみたいな重要な街を任せるには爵位が低すぎる。本来なら伯爵、少なくても力のある子爵が妥当。でもなぜか男爵家が派遣された。能力が優れてるわけでもない。むしろ凡庸ね。……それでも自分をわきまえてたらまだ救いがあったんだけど、本人は切れ者だと思ってる節があるから」
淡々としてるのに、嫌みがしっかり刺さる言い方だった。
焚き火がぱちりと弾けて、その皮肉が夜に滲む。
「なるほど。すまない、話の腰を折った」
「いや、ってほんとに子どもか?」
「だから最初に言ったじゃない。見かけより“大人”だって」
「大人すぎるだろ……まあいい。で、尋問されてたってとこだな。尋問っていうか、あれは拷問だ。子どもの前だし詳しくは言わない」
ネコミミさんが言葉を選ぶ。
でもそれだけで、胃の奥がきゅっと縮んだ。
「内容は、少女の正体と行方。あとは異国のバッグや、珍品の入手先を執拗に吐かせようとしてた。二人は少女が何者か知らない。バッグは預かり物だ、としか言わなかった」
焚き火の影が揺れて、わたしの胸の奥にも黒い波紋がじわっと広がった。
「……じゃ、やっぱり原因は……」
つぶやきが、火に吸い込まれていく。
わたしのせいだ。
バッグなんか持ってきたから。
フィーネさんたちと一緒にいたから。
わたしが──
「七色のせいではない。暴力を選んだのは代官側だ」
統の声が重なる。
強くて、でもちゃんと温度がある声。
焚き火が統の横顔を照らして、揺れる影がわたしを包む。
その影があたたかく感じて、涙が滲んだ。
「……でも……」
胸が痛い。息が詰まる。
詰まった息を吐き出すみたいに、言葉が飛び出した。
「二人を助けないと! フィーネは捕まってなかったのね! ……でもゲルトみたいに怪我してないといいけど!」
急に声を張ったせいで、アリアさんもノッポさんもネコミミさんも、一瞬だけ固まった。
「えっと、お嬢さんは何を言ってるんだい?」
ノッポさんの声は、驚き半分、困惑半分。
そりゃそうだ。わたし、日本語で叫んでる。
「何をって! そんな状態ならすぐ助けないと──」
「二人を助けたい。そして金髪のフィーネという女性は捕まっていなかったか、だな?」
統が翻訳してくれて、ようやく自分の失態に気づいた。
口の中が乾く。手が少し震える。
「そーです。ふたり、助けだすです」
必死に言葉を整える。
ノッポさんが、申し訳なさそうに目を伏せた。
「すまない……無理だ。その二人はもう……処刑された」
その瞬間、視界から音も色もすっと消えた。
(……わたしが……荷物が……あったから……?)
違う。荷物の価値の問題じゃない。
“わたしに関わったせいで、二人が死んだ”
そっちの痛さが、ずんと胸に落ちた。
二人は命を。ゲルトさんは腕を。
胸の奥が締めつけられて、喉の奥で何かが崩れる音がした気がした。
(もう……これ以上、失えない……フィーネさんだけでも……助けないと)
声は出ないのに、胸の中だけで叫んでた。
「フィーネ……フィーネは……?」
絞り出した声が、自分でも驚くくらい弱い。
「それらしい女性の姿は見かけなかった。捕まっていたのは二人、人族とドワーフ族だけだ」
ネコミミさんが静かに首を振る。
膝を握る手に力が入ってる。
「じゃ! 今すぐ探しに──」
立ち上がろうとして足がもつれた。
統が肩を押さえて止める。
「仲間が動いている。闇雲に動くより、ここで情報を待つ方がいい。それに──」
ノッポさんが、少し言い淀んだ。
焚き火の影が顔に縞模様を作って、“言いにくい”が見える。
「──代官がその女性を探している様子がない。追跡、捜索の指示が出てるのは、ゲルトと少女──君──だけだ……」
「え……」
胸が冷える。
肩をつかまれたみたいな圧が、全身に回った。
「そう。すでに捕縛している。あるいは……捕縛の必要がないか……だ」
焚き火がぱちりと弾けた。
その小さな音が、フィーネさんの“今”を残酷なくらいはっきり突きつけてくる。
息を吸うのも忘れた。
闇が、どんどん濃くなる。
***
焚き火が弱々しく揺れ続ける沈黙の中で、先に口を開いたのはネコミミさんだった。
「……ここらで一度休憩を挟もう。ドレミちゃん、顔色が悪すぎる」
優しさじゃなくて“判断”。
戦場で生きてきた人の、冷静な言い方。
わたしは反射で首を振る。
「だ、大丈夫……話、続けて……! まだ……聞かなきゃいけないこと、あるです……」
胸の奥は痛いのに、言葉だけが前へ走る。
止められない焦りが、わたしの中で暴れてた。
ネコミミさんは眉を寄せて何か言いかけたけど──
アリアさんがひらりと手を上げて止めた。
「よし。じゃ一旦、身体の方の休憩ね。ドレミ、あんた頭使いすぎ。お茶淹れてくる」
アリアさんは立ち上がって、水筒や荷袋を確認する。
「ついでにゲルトの様子も見てくる。……さっき、呼吸がちょっと強くなった気がしてね」
焚き火の明かりから離れて暗がりへ進む背中を見ていると、胸の奥がざわざわした。
(ゲルトさん……大丈夫……かな……)
しばらくして、布の仕切りの向こうからアリアさんの声。
「ちょっと来て。二人とも」
その声には、驚きと……少しの安堵が混じってた。
わたしは弾かれたみたいに立ち上がる。
足がもつれて転びそうになって、統が支えてくれた。
「七色、深呼吸」
「……うん……」
二度、三度。
呼吸を整えて、アリアさんのもとへ。
小屋の中は焚き火より暗い。
血と薬草の匂いが濃く漂っている。
その中央──
「ゲルトさん……!」
布の上のゲルトさんの瞼が、わずかに開いていた。
曇った琥珀色の目が、ゆっくりこちらを向く。
胸が大きく跳ねた。
「……ド……レミ……」
声にならない声。
でも確かに、わたしの名前。
アリアさんが言う。
「気がついたんだよ。さっき少しだけね。ドレミがここに来てるって聞かせたら……会いたいって」
ゲルトさんの喉が震えて、何度も言葉を作ろうとしてる。
わたしは膝をついて、その手をそっと握った。
「ゲルトさん……! 生きてて……よかった……!」
「……ドレミ?」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がぶわっと熱を帯びた。
「ゲルト! ごめんね!」
涙があふれて、止まらない。
「雰囲気変わったか?……それに匂いも……いや……」
ゲルトさんがそこまで言って、視線を統に移した途端──
身体が一瞬で固まった。
「──!! そ……そちらのお方は!」
「すばる。わたしの弟……えっと、あのあと助けてもらったの」
アリアさん、いろいろ疑ってそうだし、今さら設定が少しくらい崩れても大丈夫でしょ。
そのときは、わりと気楽にそう思ってた。
ゲルトさんが、次の言葉を吐くまでは。
「し……真祖様……」




