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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第二章 深い心臓編

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25、深い心臓

【2026/5月改訂】




 ──闇が、黒い。


 いや、黒いっていうか、もうなんか質が違う。

 地球の夜とは別物だ。


 二つの太陽が沈んだあとに落ちてくる闇は、ただ暗いだけじゃない。墨汁をそのまま空にぶちまけたみたいに光を吸って、目の奥にまでべったり張りついてくる。


 足元の土はひんやりしてるし、湿った夜風が肌をなでるたびに、体温がじわじわ持っていかれる。

 なのに、胸の奥にあるものは、それよりもっと冷たかった。


 先頭を歩くのはアリアさん。

 その後ろを、わたしと統(すばる)がついていく。


 土の匂い。濡れた枝の匂い。夜の湿気。

 ふだんなら「まあ森ってこんなもんだよね」で流すようなものが、今日はやたら引っかかる。


 思わず足が止まった。


(……聞こえる)


 耳鳴りじゃない。風でもない。


 虫が葉っぱの上を渡る音。

 高いところでじっとしてる鳥の、胸が小さく動く気配。

 その先を歩くアリアさんの鼓動まで、ただの音じゃなくて、ちゃんと“拍(ビート)”として頭に入ってくる。


 そして──


 少し離れた場所で、草をかき分ける音。

 その奥で、鉄がこすれる音。


 どっちから聞こえたのか。どれくらい遠いのか。何人なのか。

 考えるより先に、わかってしまった。


(三人……いや)


 その瞬間、胸のずっと奥で、ず……っと低い振動が鳴った。


(なにこれ)


 心臓が変だ。

 胸に手を当てても違う。いつもの鼓動じゃない。


 皮膚の下でも、内臓のあたりでもない。

 もっと深いところ。触れられない場所で、もう一つ何かが勝手に脈を打ってるみたいだった。


「七色(どれみ)、止まるな」


 肩に置かれた統の手は冷たい。

 なのに、その冷たさに触れた瞬間、耳の奥のざわざわが少しだけ引いた。


 ……なんなの。落ち着くのが普通に悔しい。


「ごめん。ちょっと、変な感じがして」


 アリアさんが足を止めて振り返る。

 星明かりに金髪がうっすら浮いて見えた。


 その目が、まっすぐこっちを見た。

 やさしさゼロ。完全に“見る側”の目だ。冒険者の査定ってたぶんこういうやつ。


「ドレミ、さっきから変だよ。耳がいいの? 気配にも先に反応してるし」


 うわ、ばれてる。

 この人、やっぱり鋭い。


 とっさに口を開く。


「……気のせい、かも」


「夜目が利くだけだ。異常ではない」


 わたしが余計なことを言い足す前に、統が上からぴしゃっと閉めた。


 アリアさんはしばらくわたしを見ていた。

 何か言いたそうだったけど、結局なにも言わない。


 その“いったん保留”が、逆にめちゃくちゃ怖い。

 喉がじわっと乾いた。




 それから少し歩いたところで、また胸の奥がざわついた。


「……統」


 声をひそめて袖を引く。

 自分の指先がちょっと震えてるの、ちゃんとわかった。嫌な自覚だ。


「なんだ」


「来る。こっちに……三人」


「四人だ」


 即訂正。

 この人ほんとそういうとこ容赦ない。


 でも、そのぶれなさが変に安心する。

 むしろ「そうだね七色、三人だね」とか言われた方が今は怖い。


 わたしたちが止まった気配で、アリアさんが振り返った。


「どうしたの?」


「四人、近づいている。まだこちらに気づいたわけではなさそうだ」


 統がそう言うと、アリアさんの眉がぴくっと動いた。


「……なんで人数までわかるの」


「慣れだ。今は進め」


 早い。短い。終わり。

 統の会話、ほんとにドア閉まる音みたいだなってたまに思う。


 アリアさんは半分あきれたみたいに息を吐いた。


「慣れって、そんな雑に片づける?」


「片づくだろ」


「片づかないから聞いてるんだけど」


 小声なのに空気がちょっとぴりっとする。

 わたしは口を開きかけて、やめた。


 今ここで変なこと言うと、絶対よくない。

 それくらいには、胸の奥で鳴ってるもう一つの拍動が嫌な感じだった。


 アリアさんは少しだけ振り返って、低く言った。


「……あんたら、本当に何者?」


 答えられない。

 というか、わたしもわりと知りたい。


 けど今それを言う空気じゃない。

 静かな沈黙だけが、三人のあいだに落ちた。




 四人の気配は、いつのまにか別の方向へそれていった。

 でも安心はできない。森の空気はむしろどんどん濃くなって、湿った土の匂いが鼻にまとわりついてくる。


 三人で木々の間を進みながら、アリアさんがぽつりと口を開いた。


「ここ最近、オーミのまわりは妙に慌ただしいんだ。代官も商会も、裏を嗅ぎ回られるのをすごく嫌がってる」


「裏を……?」


「オーミって流通の要みたいな街だからね。もともと利権も多かった。でも十年くらい前に代官が変わってから、露骨になった。最近はもう、隠しきれてない感じ」


「その代官が原因なのか」


「たぶんね。権力と金が、よくない形でくっついたんでしょ」


 声は軽い。

 でも、軽く言ってるだけで、たぶん普通に嫌ってる。


「王国もさすがに調べ始めたみたい。私たちみたいなのにまで仕事が回ってくるくらいには」


「お前もか」


 統が短く言う。

 少しだけ声が硬い。


 アリアさんは肩をすくめた。


「冒険者だからね。依頼があれば動く。あんたたちの知り合いの件も、その流れで引っかかっただけ」


「……そうか」


「そっちも詮索しないでよ。私もしないから」


「賢明だ」


 短いやりとりだった。

 でも、なんとなくわかった。


 この人は全部は見せない。

 見せないけど、見捨てる人でもない。


 そういう感じだ。





 森の奥に、小さな岩の裂け目があった。

 その前に布が張ってあって、外から見たらただの岩陰にしか見えない。


 アリアさんが合図すると、布の向こうで気配が動いた。


 ──近い。


 そこで初めて気づく。

 さっきまであれだけ聞こえてたのに、この二人の気配はうまく拾えなかった。


 隠すのが上手すぎる。


「遅いぞ」


 低い声。

 布の陰から出てきた人が、周囲を警戒したまま言った。


「オーミの兵が森に入ってる。村にも衛兵隊が回されたようだ」


「知ってる。村の方は、身をもって体験してきたからね」


「そうか。よく出られたな。で、獣人の知り合いかもしれないっていうのが、その子らか?」


「そう。無事に連れてこられた」


 その会話を聞いてるあいだ、胸の奥がずっと落ち着かなかった。


「あの……」


 わたしが言いかけるより先に、アリアさんがうなずく。


「わかってる。獣人の様子だろ」


 奥にいたもう一人が答えた。


「意識が戻ることはある。だが、まだ混濁している。何度もうなされて、『少女を……仲間を……』と言っていた」


 その瞬間、胸がぎゅっと縮んだ。


 ……わたしを?


 唇を噛む。

 アリアさんが少しだけ口元をゆるめた。


「顔、見せてやりなよ。たぶんずっと探してたんだろ」


 足が勝手に前に出た。


 わたしを探してた頃は、まだみんな無事だったはずだ。

 統は、馬車で去っていった四人を見たって言ってた。


 なのに、どうしてこんなことになった。


 盗賊?

 いや、でもそれなら村に衛兵が来る理由がわからない。


 もしかして。

 もしかして、わたしたちのせいで。


 嫌な想像が頭の中をぐるぐる回る。

 胸の奥の拍動まで、それに合わせるみたいにざわついた。


 布の奥へ入る。

 そこで最初に鼻をついたのは、血と薬草の匂いだった。


 重ねた布の上で、獣人の男が浅く息をしている。


 右腕が、肩口から先ごと失われていた。


 膝から力が抜けた。

 その場に座り込んだ瞬間、視界がぐらっと傾く。世界の輪郭が一瞬だけ溶けたみたいに、うまく焦点が合わなかった。


「……イヌミミさん……」


 自分でも引くくらい小さい声しか出なかった。

 喉が震える。息もうまく吸えない。


 肩口には何重にも布が巻かれている。血は止まってるみたいだった。でも、毛並みは乾いた血で固まってて、顔色は土みたいに悪い。

 呼吸も浅い。今にも切れそうなくらい弱い。


 そのときだった。


 胸の奥の、あの深い場所で、拍動がひとつ強く跳ねた。


 とくん。


 怒りとも、悲しみとも違う。

 もっと底の方に沈んでる、名前のつけようがない何か。


「“イヌミミさん”? ああ、こいつの名前はゲルトっていうらしい」


 アリアさんの声が、ちょっと遠く聞こえた。


 ゲルト。

 聞き覚えはあった。たぶん名前なんだろうなとは思ってた。でも、ちゃんと確かめる暇なんてなかった。


 ドワーフの人は名乗ってくれた。

 でも発音が難しくて、わたしは曖昧に笑ってごまかした。


 馬の人は愛想がなさすぎた。

 名前を聞ける空気ですらなかった。


 フィーネさんは──


 そこで思考が止まる。


 優しかった。

 言葉がちゃんと通じない相手にも、あの人はちゃんと手を差し出してくれた。あの街道脇で拾ってもらわなかったら、わたしは統と会うこともなかったかもしれない。


 感謝してもしきれない人たちだ。


 その一人が、今こうして目の前で横たわっている。


 他の人たちは。

 フィーネさんは。

 ドワーフさんは。

 騎乗の人は。


 胸が痛い。

 冷たい空気を吸うたびに、肺の奥がひりっとする。


「ゲルトさんは……ずっとこのままなんですか」


 声がかすれた。

 それでも、なんとか絞り出した。


「意識が戻るときはある」


 答えたのは、奥にいた仲間の人だった。


「だが、しばらくは厳しいだろう。これでも少しずつ持ち直してはいる」


「薬は……?」


「傷薬は使ってある。断面が荒れていないぶん、処置はしやすかった。出血もどうにか止められた」


 意味はわかる。

 わかるけど、そんな言葉で軽くなる傷じゃない。


 視線が勝手にゲルトさんの肩口へ行く。

 そこには右腕が、もうない。


 もしかして。

 統なら、なんとかできるんじゃないか。


 わたしを助けてくれたみたいに。

 あのときみたいに、どうにもならないものを、どうにかしてしまうんじゃないか。


 振り返って、統を見る。


 統は黙っていた。

 無表情のまま、ゲルトさんを見下ろしている。


 冷たい目じゃない。

 突き放してる顔でもない。


 ただ、静かに何かを測ってるみたいな目だった。


(統……)


 お願い、って言葉が喉まで上がる。

 でも声になる前に、胸の奥の深い場所がまた脈を打った。


 とくん。


 まるで、わたしの願いより先に動くみたいに。

 まるで、わたしの中の何かが、もう別の答えを知ってるみたいに。




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