24、暗がりへの決意
【2026/5月改訂】
「──見つけたわよ。たぶん、あんたらが探してる人」
「ほんとに!?」
自分でも驚くくらい声が跳ねた。
テーブルに置いた手がじっとり汗ばんでいる。
アリアは少しだけ視線を落とした。
言いにくいことを言う前の、あの一拍だった。
「正確には、“見つけた”っていうより、“見つかった”かな」
胸が、どくんと鳴る。
「……生きてるの?」
いきなりそこを聞いていた。
たぶん、他のことは後回しでよかった。
「生きてる。かろうじて、だけど」
その一言で、肩から少しだけ力が抜けた。
でも、次の言葉が来るのが怖い。
アリアは手袋を外し、指先を軽く握った。
「右腕がなかった。根元から綺麗に飛んでた。血は止まってたけど、衰弱がひどい。意識も途切れ途切れだった」
息が止まる。
頭の中で、元気に走っていたイヌミミさんの姿を思い出そうとする。
でも、言葉の方が先にそれを潰してくる。
「……獣の傷じゃない」
統が低く言った。
「うん」
アリアがうなずく。
「刃物。しかもかなり鋭い。逃げながらやられた感じだった」
森の魔獣より、もっと近くて嫌な怖さが胸を冷やした。
“人”に斬られた。
それだけで、世界が少し暗くなる。
「今、その人はどこに?」
「見つかったのは村の北、一刻くらいの藪の陰。今は別の場所に移してる」
「なんで連れて来なかったの」
思ったより強い声が出た。
自分でも少し驚く。
「目立つわけにはいかなかった。人も付けてる」
「看護か? 監視か?」
統の声は静かだった。
静かなのに、刃みたいに細い。
アリアは少しだけ口元を引いた。
「……両方、かな」
正直すぎて、余計に悔しい。
「場所どこ。今から行く」
気づけば立ち上がっていた。
周囲の客がこっちを見たけど、そんなのどうでもよかった。
「悪いけど、今は言えない」
「どうして!」
「今日会ったばかりだろ」
アリアは目を逸らさなかった。
「それに、場所を説明しても暗い中じゃ辿り着けない」
横から統が割って入る。
「七色。無駄だ」
「でも……!」
「信用が足りない。それだけだ。違うか?」
「……そうだね」
アリアの答えはまっすぐだった。
正しいからこそ腹が立つ。
わかってる。
わたしたちは、まだ“そういう立場”ですらない。
それでも、どこかで今にも壊れそうな人がいると思うと、座っていられなかった。
***
部屋に戻ってからも、全然眠れなかった。
寝返りを何度も打って、薄い布団の中で目を閉じても、頭だけが妙に冴えている。
天井の木目を数えるのも途中で飽きたのに、時間だけがちっとも進まない。
焦りのせいなのか、身体が変わってきているせいなのか。
もう、どっちでもよかった。とにかく胸の奥が落ち着かない。
(本当に、あの獣人がイヌミミさんなのかな)
(だったら……フィーネさんたちは?)
「ねえ、統。今から探しに行かない?」
暗がりの向こう、隣のベッドから気配だけが返る。
「村から一刻。十キロ前後だ。北というのも本当か分からん。闇雲に動くより、明朝アリアに案内させた方が早い」
理屈はわかる。
わかるけど、感情って理屈だけじゃ止まってくれない。
「……なんで教えてくれないんだろ。親切そうだったのに」
アリアの笑顔と、あの冷たい目が頭の中で交互に浮かぶ。
どっちも本物っぽいのが、余計にややこしい。
「あちらの用事が何かは知らん。だが、獣人の件もそれに絡んでいるんだろう」
統の声は落ち着いていた。
「それでも情報をよこした。十分すぎる好意だ。お前が人でないことに気づいているのにな」
「え。やっぱり気づいてるの?」
「たぶんな」
「なんでわたしだけなの。大元そっちじゃん」
「隠し慣れてる」
いつものように、短い。
「安心しろ。アリアが勘のいい側だ。普通はそう簡単に分からん」
また“慣れ”だ。
便利な言葉だと思う。何でもその一言で済む。
ため息をつきかけた、その時だった。
「来たか」
統の声が変わった。
小さなノックが響く。
「夜分に悪い。緊急事態だ」
ドア越しのアリアの声は低く、早い。
統がすぐに扉のそばへ寄る。
慎重に開けると、冷たい空気が細く流れ込んできた。
「オーミの衛兵隊が村に入った。急で悪いけど、今すぐここを出たい」
「さっきから外が騒がしいのはそのせいか」
統は振り返る。
「七色、荷物をまとめろ」
その声にはもう迷いがない。
わたしも反射で起き上がった。
荷物といっても大したものはない。
偽装用の鞄と短剣、それだけだ。
「ねえ、なんで衛兵が来たら逃げるの?」
靴を履きながら聞くと、統は窓の外を一度見た。
「アリアの件か、私たちの件か、その両方かだ」
「わたしたち?」
「今日、村を歩いていた時に妙な視線があった」
夕方の視線。食堂の酔っ払い。
全部ただの好奇心だと思っていた。
その時、外が急に騒がしくなる。
荒い足音。戸を開ける音。宿の主人の怒声。
アリアが舌打ちした。
「……早いな」
廊下で扉が叩かれる。
「代官所の者だ! 扉を開けろ!」
声が板壁を震わせた。
わたしの心臓もそれにつられて跳ねる。
「金髪の女と子ども二人がいるはずだ。確認する!」
統が指を立てた。
声を出すな、の合図。
息を止めた、その瞬間だった。
──どくん。
胸の奥の、もっと深いところで脈が強く跳ねた。
(……え?)
熱が一気に上がる。
視界がわずかに揺れて、廊下の足音がやけにはっきり聞こえた。
耳が良くなった、というより、壁の向こうが近すぎる。
息遣いが分かる。靴の重さが分かる。
扉の前にいる人数まで、なんとなく輪郭が浮かぶ。
(……三人……いや、二人半?)
上手く言えない。
一人が強く前に出ていて、もう二人が少し後ろ。そんな感じがする。
その先頭の気配だけ、妙に熱かった。
怒っているのか、苛立っているのか、とにかく刺さる。
「七色、大丈夫か」
統の囁きで、なんとか現実に戻る。
「……うん。でも、なんか変。外の音が、近い」
自分の声まで少し遠い。
統が手首を取って脈を測った。
ひやりとした指先が、熱を少し奪っていく。
「……速いが乱れてはいない。進行が早まっているだけか」
「進行?」
「あとで話す」
その間にも、扉を叩く音が強くなる。
「返答しろ! 不審者の確認だ!」
今にも壊されそうだった。
統がアリアを見る。
アリアは一瞬だけ笑って、それからすぐに動いた。
窓へ駆け寄り、外を一瞥する。
「行くよ。飛ぶ」
「窓!?」
聞き返す間もなかった。
アリアが窓を蹴り破り、統がわたしの手を掴む。
木枠とガラスが派手に飛び散って、冷たい夜気が一気に流れ込んだ。
次の瞬間には、三人そろって裏の畑に転がり落ちていた。
息が詰まる。
でも止まれない。
背後で怒鳴り声が上がる。宿の主人の悲鳴も混じる。
それらを置き去りにして、わたしたちは暗い裏道を駆けた。
村外れの防壁を越え、そのまま森へ入る。
焚き火もない、真っ暗な林の中でようやく足を止めた。
湿った土と木の匂いが鼻を満たす。もう村の灯りは見えない。
ここから先は、夜の世界だった。
「……七色。本当に大丈夫か?」
統がもう一度聞いてくれる。
暗闇の中で、その声だけがはっきりしていた。
「うん……でも、変。音が近いし、鼓動もなんか違う」
胸に手を当てる。
速いだけじゃない。もっと深いところが鳴っている感じがする。
アリアが額に手を当てた。
戦闘の時とは違う、少しだけ柔らかい手つきだった。
「熱い……でも熱だけじゃないね」
彼女は目を細める。
「気配が濃い。浮いてる、って言った方が近いか」
「浮いてる?」
「普通の体調不良には見えないってこと」
それはもう、わたしもわかってる。
統が静かに言った。
「七色。怖いか」
「……ちょっと。けど……フィーネさんの仲間を助けたい」
口に出したあと、自分で少し驚いた。
怖いのに、それより先にその言葉が出た。
統はうなずく。
「なら、この変化は無駄じゃない。お前の身体が、必要な方へ寄っているだけだ」
その一言で、胸が少し軽くなった。
勝手に変わっていく身体に、意味をひとつ貰えた気がしたから。
アリアが木にもたれたまま言う。
「聞きたいことは山ほどあるけど……先に動くか。見張りと合流しないと」
「夜明けまで潜むの?」
「いや」
統が立ち上がる。
「夜のうちに行く」
その背中は、さっき宿から逃げた時とは違っていた。
逃げるための背中じゃない。向かうための背中だ。
「了解。ほんと、子どもに見えないね」
アリアも苦笑しながら腰の武器を確かめる。
わたしは鞄の紐を握り直した。
布の感触が手のひらに残る。それが妙に安心する。
胸の奥で、また脈が強く跳ねた。
怖さだけじゃない。
助けなきゃ、という気持ちに、身体がようやく追いつこうとしている。
わたしたちは、イヌミミさんのところへ。
もっと暗い方へ、踏み込んでいった。




